遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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散歩

2011-11-26 18:10:28 | 雑感


良い天気が続く。寒さも厳しくなってきたので、少し億劫になるが、気が向いた
ら散歩に出る。まだ身を切るような冷たさではないが、それでも空気は冷えてい
る。

大雑把に言って30分、一時間、2時間コースに分かれる。紅葉も終わった今、
花も、彩りもない、寒々とした道だ。華やかなことがないだけ、思索には好都合
だ。何もない道をぼんやり歩いていても,なにかと頭によぎることがある。おな
じことがグルグル巡ってくるようになったら、そこで思考は停止して、周りの景
色を眺める。不思議に考えに整理がつく。ただ歩くだけで何の目標もないと、単純
になりすぎるので、大きな池、ゴルフコース、水汲み場、テニスコート等、到達
点を設定して出かける。


水は青く澄んでいる

すっかり葉が落ちた枝に、赤い実がついている

落葉松の葉もすっかり落ちたあと、名前は知らぬが(ナナカマド?)赤い実をつ
けた枝が冬空に伸びていた。

寒くなってきて、動物に出会わなくなってきた。先日夕暮れ時道端に立派な角を
持った鹿に出くわした。体色は黒っぽくいつものよりおおきめであった。道を横
切ってもなかなか立ち去らないので、出てきた方を見ると、牝鹿と小鹿が一匹ず
つ控えていた。道の反対側で家族を見守る牡鹿になぜか貫禄を感じた。


角が立派だ

牝鹿と小鹿

闇の狩人 上、下

2011-11-21 14:05:16 | 

池波正太郎著 角川文庫刊 平成12年発行

どうも一種の中毒症状に似ている。前に佐伯泰英の「吉原裏同心シリーズ」を読んだ時にもそうなったが、どうも読み終えないとなにかやり残したような気持ちになり、ついつい読んでしまう。終わるとまたなにか次が読みたくなる。そんな繰り返しである。

本書は昭和47年から48年にかけて報知新聞に連載されたものだ。池波正太郎といえば、鬼平犯科帳、剣客商売、仕掛け人・藤枝梅安、のシリーズがあまりにも有名だ。この3シリーズの要素をすべて盛り込んだような作品だ。ひょっとすると原点かもしれない。
盗賊の跡目争い、お家騒動、香具師の縄張り争いに、記憶喪失の凄腕剣士:笹尾平三郎と、盗賊、雲津の弥平次が巻き込まれてゆく。という物語だが、随所に池波人生観が盛り込まれる。

「人とという生きものはね、良し悪しは別としても、どうしたって、昔のことを
背負って生きてゆかなくてはならないものですぜ」
「いずれにしろ俺たちは一緒に、なんでも、ちからを合わせてやってゆこうとし
ている。まあこれだけは、人という生き物のいいところだと思いますよ」
「人の一生なんてものは食べて寝て、たまには女を抱いて、くらしてゆくだけの
ことさ・・・。」
「この世の中なんてものは、上は将軍さんから下は俺達に至るまで、みんな同じ
さ。人間の世の中はな、みんな泥棒と乞食から成り立っているのだよ」

単純に聞こえるが奥は深い。これだから池波中毒になってしまうのか。


カウントダウン(本)

2011-11-16 17:08:39 | 


佐々木譲著 毎日新聞社刊 読書の秋まっただ中で、いろんな著者を味わってみている。雑読、乱読何の脈絡もない。

この著者は「警官の血」「笑う警官」など警察組織の内幕物が専門分野かと思っていたが、このような自治体選挙などに絡むものもあるようだ。

改めて経歴を見ると、北海道夕張生まれ、自動車メーカー勤務を経て、新田次郎賞直木賞を受賞している。大組織の持つ官僚性、非情性などは、メーカー勤務の時に観察、実感したのかもしれない。

この本は故郷夕張のとなり町幌岡市を舞台とし、炭鉱撤退後観光で街おこしをしようという、旧態然とした市政の改革がテーマである。破綻しかかっている保守派市長の長期独裁姿勢に立ち向かう若い司法書士が主人公であるが、現市長の側にすべての旧悪が凝集し、主人公の側に圧力がかかるという設定は、いくら小説といえども、やや単純化し過ぎのきらいがある。

しかし議会との癒着、市長の横暴さなどは程度の差こそあれ、かっての(現在の?)刈谷市でも珍しくない。いやどこの街にでも有りそうである。違うのは財政再建をせねばならない街でないこと、大きなメーカーが有ることくらいか。社会派エンターテイメントという分野があるかどうかは知らぬが、まずまずである。


姉 逝く

2011-11-14 17:59:32 | 雑感


花に埋もれた棺

実の姉が亡くなった。3日に入院して僅か一週間、11日の午前6時に永眠した。
あっという間の事だった。私とは3っつ違いの活発な人だった。

はっきりした物言いの人で、表裏がなく(そのために目上の人に疎んじられることもあった
くらいだ)考えたこと、思ったことをスパスパ主張する。相手が誰であっても臆
することなく自説を主張する。しかしそれにこだわり抜くと云うわけではなく自
分に非あれば、あっさり撤回する。絵画、書道、音楽など芸術センスに優れ、回
りの家具、調度、食器の類にはかなりこだわった。

頭の回転が早く、明るい性格とあいまって、人の輪がいつも周りにはできていた。
そんな性格のせいか、労働組合の役を引き受け、職場の労働条件の改善に奔走し
た。職場で知り合った人も多く、沢山の人から慕われていた。

実は私も影響を受けた一人である。地元の進学校K高校に通っていた2学年年上
の姉は、生徒指導の先生?に睨まれたのか、高校時代担任の先生が家庭訪問の際、
本人不在の時勉強机の中を調べていた。当時の校長は、旧制中学の流れをくむK
高校の中でも名うての保守派校長で、校訓「質実剛健」を徹底させるべく、指導
をしていた。

学校の帰りなどによく映画などを見に行っていた、姉などは特にその指導対象に
なったのだろう。指導は制服のスカート丈、襞の数まで厳格に規制されていたよ
うだ。そんな管理体制を聞いた私はその高校に行く気にならず、名古屋の高校を
目指した。中学校の頃、恋愛映画を見に行って、ラブシーンに出くわし、真っ赤に照れている私をからかったのもこの姉でした。

71歳と4ヶ月の人生でしたが、難病を抱え、若い頃から身体にガタが来ていた体
がよく持った、というのが周りの一致した見方でした。彼女の幸せは、春風駘蕩
を絵に描いたようなご主人と一緒になったことで、この大きな愛情に支えられて
70の坂を登ったといっても言い過ぎではありません。

本人の遺志により、無宗教の家族葬で、本当に親しい人に囲まれ、自宅の居間で、
お気に入りの音楽に送られ、花に埋もれて旅立った。
肉親が亡くなったのは、両親以外では妻方でもまだ例がなく、初めてのことで、衝撃はかなり大きい。明るい元気な声がまだ耳に残る。

遺体は焼却場の扉の向こうに消えた



人生の収穫

2011-11-09 16:30:08 | 


「人生の収穫」曾野綾子著 2011年9月30日 河出書房新社刊

なんとも大仰なタイトルである。帯には「老いてこそ人生は輝く」とある。随分張り切ったものだ。しかしこれはどうも出版社の思い入れらしい。

本の中身は、もう少し淡々と生き方について語られている。私は知識人というと、宮崎哲弥、姜尚中、女性では櫻井よしこ氏などを思い浮かべるが、曾野綾子氏もその一人だった。イメージとは少し違い、随分行動する人である。

この本は、ちょっと古いが「個人の品格」と名付けたいくらいの内容である。倫理にかかわるエッセイです。決して大上段に振りかぶってはいないが生き方について、やわらく説いている。藤原正彦と共通する、日本人の良さを見つめている。
特に一章と四章が私には面白かった。良き時代の日本人の生き方、人間としてのきちんとした考え方について示している。

例えば、「やりたいことをやるのが自由ではなく、人間としてすべきことをするのが自由だ」と述べていることなどは興味深い。

その他項目だけでも一部挙げてみると
 人脈を使いさえしなければ人脈はできる
 世間の常識に刃向かっても自分独自の価値観を持つ
「したいことはしつくさねばならない」は思い上がり 
「損なことを選べる」という魂の高貴さ
 苛酷に耐えるのが人生だという認識
 悪意の人より善意の人が怖い
 理由なく信じることは、愚かなことである
 最後の瞬間まで日常性を保つこと

など、とても面白かった。一読をおすすめする本である。

新蕎麦

2011-11-07 13:49:48 | 雑感



新蕎麦の季節である。

息子が訪れた機会に一緒に新蕎麦を食べに行った。
茅野駅前のよもぎ庵。以前は駅前の蕎麦屋なんて、どうせ観光客相手の店だろう
と、小馬鹿にしていたのだが、ふとしたきっかけで、食する機会を得た。

その時、変な言い方だが、予想を裏切って美味しかった記憶がある。
何でもこの辺の信州そばの会の会員で歴史を調べ、復元した「献上寒晒しそば」
などを季節限定で供するという。蕎麦の実を寒中渓流に浸しエグ味を除いてから
粉に挽く。将軍家に献上した歴史があるのだそうだ。なかなか研究熱心である。



今回の注文は、もりそばとかけ。いずれも蕎麦を味わう原点だ。
まずもりそばが運ばれる。少し茹でが足りないかなあと思うくらいの、固ゆで:
アルデンテ。表面がつやつやと光り、そば粉の粒が見えるような気がする。そば
つゆは甘くもなく辛くもなく丁度良い。つい箸が進み、あっという間に平らげ、
そば湯を味わう。濃い目でしっかり蕎麦の味がする。新米もそうだが、新蕎麦のせいか蕎麦の香りがいっそう新鮮に思える。



続いてかけそば。何のテラいもなく、真ん中に「なると」一つ。薬味ネギを落と
して、唐辛子を振って啜る。ちょっと寒い時には最高だ。麺の固ゆでが効いてこ
れだけで充分蕎麦が堪能できる。ニシンとか天麩羅は、この際いらぬお世話であ
る。

決して有名店ではなく、料理に特別の工夫があるわけではないが、それなりに美
味しい。蕎麦は肩肘張って、理屈をこねて食べるものではなく、こういうふうに何気なく
味わうものだろう。時間外れに訪れたので、隣の席にこの店の家族が賄い料理を
食べていた。中心は2,3歳の可愛い女の子。調理場から出てきたおじさんに「じ
じ、じじ」となついている。お爺さんメロメロ。

帰り際戸口に、入るときには無かった「本日の営業は終了しました」と看板が出
ていた。まだ3時半である。きっとこれからは尋ねてきた、孫と遊ぶ時間にした
のだろう。気持ちのぬくもりも一緒に頂き、店を出た。

詩集 「くじけないで」

2011-11-03 07:01:28 | 
白寿の処女詩集「くじけないで」

柴田トヨ著 飛鳥新社刊

この詩集は100万部を超えるベストセラーになったそうだ。
本屋で見かけ、衝動買いをした。

日常の何気ない心の動きを詩に詠う、ごくごく普通の人の普通の感情が流れてい
る。しかし何故か普通でありながら、手垢にまみれた感じはしない。99歳の老婆
とは思えない感受性のみずみずしさ。可愛らしさ。こんなふうに歳を取りたいと思う。

気持ちがほんわか温かくなってくる


  貯金

私ね 人から
優しさを貰ったら
心に貯金をしておくの

さびしくなった時は
それを引き出して
元気になる

あなたも 今から
積んでおきなさい
年金より
いいわよ

男振(おとこぶり)

2011-11-02 12:56:47 | 
男振(おとこぶり)

池波正太郎著 昭和53年11月27日刊 新潮文庫

概ね越後筒井藩の後継ぎをめぐるお家騒動を描いたものである。
しかし通常のお家騒動者と違うのは、私利私欲に凝り固まった悪者一味の計略と正義の味方との2派拮抗しての争いで、最後は勧善懲悪の結果に終わる、水戸黄門のような物語ではない。

脱毛症になった若君の近習(実は主君の血筋を引いていた者)が、禿を侮蔑され、若君を打擲したことから始まる、不幸で、不遇な生い立ちを送ることとなる。その生い立ちゆえ、ちょっと複雑で奇妙な運命を描きながら、次第に自立してゆき、若君亡き後、擁立しようとした家老派の人々の思惑とは別の道を歩いてゆく。

著者は、各々の立場に理解を示しながら、少しほろ苦い真実と冷静で爽やかな生き方を展開する。これは全くのフィクションではなく、2つの史実を組み合わせたものらしい。画家がいろいろな要素を現実から切り取ってきて、ひとつの画面に構成するように、2つの事件からこの物語を創り上げたらしい。藤沢周平が「漆の実のみのる国」で上杉鷹山の改革を取り上げているが、これもかなり客観的に描写し、スーパーヒーローがバッタバッタと守旧派を排除してゆくという単純な構成ではなかった。

江戸時代の強固な封建社会にあって、お家第一、血筋本位の旧習にあって、このような爽やかな生き方ができるのかなあ、という疑問は若干残るが、この生き方こそ「男振」の良さなのである。

いつもながら、ちょっとした筆使いで、男女の機微、食べ物の描写は相変わらず冴えている。池波作品の面目躍如である。