遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
更新は猫以下の頻度です。

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賤ヶ岳へ

2011-05-30 00:40:09 | 行ってきました


リフトで上る

滋賀で小谷城の次に向かったのは賤ヶ岳。ここも大河ドラマの影響か、ウイークデイにもかかわらず、小谷城ほどではないが、人が訪れていた。

ここで秀吉と柴田勝家が激突し、お市の方が自害した戦である。

秀吉が、光秀を討った後、ある意味で天下を掌握した戦いだ。また「賤ヶ岳の七
本槍」で名高い7武将(平野長泰、加藤嘉明、加藤清正、糟屋武則、脇坂安治、
福島正則、片桐且元)が活躍したところでもある。

頂上への道

賤ヶ岳頂上

ここへはリフトで登った。琵琶湖の北部が静かに開け、北には余呉湖が広がる。
背後を見れば、先ほど行った小谷城跡や虎御前山が霞む。かなりの激戦でリフト
を降りたところに、戦死者の合同慰霊所が設けてある。

山が重なって見える山頂から展望すると、佐久間盛政、前田利家、中川清秀、高
山右近、などの雄叫びが聞こえるようだ。つくづくこの辺りは戦国の中心だった
ような気がする。


秀吉の像

山頂にあった、秀吉の合戦の合間の像が印象的であった。よくある武将の勇まし
い姿ではなく、合戦の合間のホッとした息ぬきの一瞬を映したもので面白い。足を投げ出し、目を瞑っている姿がいかにも人間らしい。

リフトの昇降道に、シャガという中国の花が咲き誇っていた。強者どもの夢の跡である。


シャガ


戦国の舞台 小谷城

2011-05-29 13:52:23 | 行ってきました

20代に一緒に仕事をした関西の畏友から、かねてから「遊びに来ないか」と誘われていた。彼の娘さんの嫁いだ滋賀でおちあい、小谷城に出かけた。彼とは久しぶりの再会だが、親切に遇してくれ、すっかりお世話になった。つくづく良い友人に恵まれていると感謝した。同行のM氏も無口ではあるが腹の据わった人で、好感が持てる。

この日は雨天の天気予報で足下を案じたが、幸いにも雨は落ちてこない。
北陸本線河毛駅は無人駅だが、結構下車する人がいた。そこに友人が車で迎えに来
てくれていた。



早速小谷城址にむかうと、麓には幟がはためき、売店が立ち並び、観光バスも駐車し
ている。有料駐車場が整備され、そこそこ賑わっている。NHK大河ドラマ「江」の威力だろう。

駐車場から番所跡へはバスが出ており、語り部ボランティアが案内してくれる。バスは30分おきに出ているが、これもやはりおばさん軍団で満席だ。25人乗りのバスの中で男は我々3人を含めても6,7人だ。


道端に杖が備えられている

おばさんで一杯のバス

番所跡に設置された案内板も伸長された。

小谷城は名にし負う山城である。攻めにくく、守りやすい軍事上の理由から山の中に
ある。なるほど、曲輪(くるわ)と呼ばれる建物を建てた平らな土地が、細い山道につながれ、木々に囲まれている。宏大な本丸、二の丸などを備えた平城とはだいぶ違う。
守りやすくするため、崖に縦の掘割を掘って、攻撃陣が横へ展開するのを防ぐ工
夫もしている。(写真は平坦なところしか写してないので、山城の険しさを表してない。実際には細く険しい山道でつながれている)


御馬屋跡

小谷城跡の石碑

桜番場跡から展望する竹生島、山本山

ここは戦国の世、まさに戦いに明け暮れた砦の面影をとどめている。番所跡、お茶屋跡、
御馬屋跡、首据石、桜番場跡、黒金御門跡、大広間跡、本丸跡、大堀切跡などを
順次語り部さんの名調子で案内される。それぞれの跡地には雑木が生えてはいる
が、地形はそのまま保存されており、当時の面影を残している。やはり現地で空気を吸ってみると、当時への思いが増すようだ。


一番大きな曲輪、大広間跡

本丸跡の石垣、上の木が生えているところが本丸跡

琵琶湖、姉川古戦場、虎御前山、竹生島、近江平野、など戦国時代の主戦場のパ
ノラマ展望が広がる。浅井長政、お市の方、3姉妹の物語と相まって興味ふかい。
ここは、日本海側、太平洋側を結ぶ最短の平野であり、京へ上る当時の国内軍事
上の枢要地であることがよくわかる。

現地を訪れてみて、やや手遅れだろうとは思うが、大河ドラマを見てみようかという気になった。

嬉しい反応

2011-05-27 10:39:31 | 

この前のブログで佐伯泰英のエンタテイメント小説のことを取り上げ、最後の一行に
「最近この著者は時代小説、「密命」「吉原裏同心」などで人気を博していると聞くが、一度読んでみたいものである」と書いたら、それを読んでくれていた知人から電話がかかってきた。

「私もこの作者を愛読している。吉原裏同心シリーズ全巻を持っているので、良かったら読まないか」とありがたい言葉をかけてくれた。勿論「渡りに船」とばかりお願いした。以前にもメキシコ道中のブログを見た友人が、関連のW・ハンコック「神々の指紋」が面白いよと言って貸してくれたことがある。あの時も嬉しかった。

私のブログなど暇つぶしに読んでいただけたらいいな、と思って書いているのだが、こんな反応を示してくれるのは、物凄く嬉しい。コミュニケーションはやっぱり双方向で成り立つのだ。

この本は近々出発する旅行の際の楽しみにしておこう、と考えていた。だが誘惑には勝てず、一冊だけ添えられていた、「居眠り磐音江戸双紙」を読んでしまった。藤沢周平、池波正太郎、とは味わいが違う。剣術の立会い場面の描写が特に面白い。剣道を知っているのだろうか。太刀筋、間合い、心理描写と臨場感あふれる。まさにエンターテイメント小説だ。

年をとると、とかく時代物を好むようになる、と誰かに聞いたがどうしてだろう?
なぜか、気持ちが落ち着いて読める。没頭できる。暫くはこれだけのボリュームを楽しめそうだ。

祈りの島へ(4)

2011-05-25 10:14:44 | 行ってきました


米兵も結構多い


魚も原色だ

沖縄最終日。本日もゆっくりホテルで過ごし、レンタカーで国際通りへ。

修学旅行生と米兵が目立つ。この通りは南国らしい原色の世界。公設市場では、
夜光貝、マングローブガザミ、シロダイ、アオダイ、グルクン、ブダイなど我々
にはあまり馴染みの少ない魚介終が並ぶ。これも原色。

石垣島ペンギン食堂のラー油が人気だそうな。蛇皮線も店頭にある。


商店も原色

レンタカー営業所近くのアウトレットへ立ち寄るも、お客は閑散としていて物淋
しい。時間を持て余し気味で、レンタカーを返し、空港へ。

空港で最後の沖縄料理を注文し、ゆっくり食事をしたら、おみやげを買う時間が
なくなった。慌てて買って、ゲートに並ぶ。
搭乗口が変わる。出発時間が遅れる。同じ飛行機に修学旅行の団体が乗るので、
待っている間が相変わらず騒がしい。時間は遅れる、騒がしいで少々イラつく。

なんでこんなに遅れるのか。という思いを乗せたまま、セントレアに着く。帰り
の車の中で東京の息子からの電話。「やっと電話が通じた」「今東京は大変なこ
とになっている」という一報で大地震、大津波を知る。帰宅しTVをつけてみてビッ
クリ。もの凄い状況が映し出され、旅行気分は吹っ飛んだ。


まだこの時間は空港も空いていた

シーサーと蘭がお見送り

最後の沖縄料理


沖縄には随所に御嶽があり、平和の礎、ひめゆりの塔、海軍司令壕など、胸を打
たれる場所には、何処も「祈らずにはおられない」歴史や背景を感じた。南国の
輝く太陽との対比を色濃く感じ、東北の方々の忍耐強さとはまた違った哀しさが
迫ってきた。

祈りの島へ(3)

2011-05-24 08:29:30 | 行ってきました

沖縄3日目

今日はゆっくり朝食。ホテルのバッフェは相変わらず繁盛。中国人が多い。




知人にすすめらた北のほうの今帰仁村城址へ、ちょっとしたドライブ。陽気と日
差しがまるで5月だ。さすが南の島である。ブーゲンビリアンだろうか、赤い花
が咲いている。こちらの高速道路は社会実験中とかで無料である。自衛隊の特殊
車両が多く走っていた。今帰仁村(なきじん)城跡は近くの5つの城(ぐすく)
とともに世界遺産だ。そのなかでは最大。


今帰仁城俯瞰模型

城壁

城門

本丸跡といったところ


御嶽跡

ボランティアの案内人を頼む。北海道出身の元教師で歴史を良く知っている。
でも、この城の石垣は万里の長城を真似たそうだが、スケールが全く違うだろう。
沖縄の城は。城壁がめぐらされており、本土の城とはちょっと趣が違う。いかに
もこじんまりとした城である。
昨日行った知念城跡と違うのは、石灰岩が固い古代石灰岩で石垣が積まれている
。石の表面の凹凸がない。城壁は100年かかってできたそうだ。1600年代
沖縄は大きく三つの地域に分かれ争っていた。中山、北山、南山で今帰仁は北山
である。断崖に面した地勢を生かした城跡だ。ここにもうたき(御嶽)が設けら
れていた。

ついでながら、沖縄には「え、お」の母音はない。お→う、え→いになるという。
おたけ→うたき、である。これを聞いて外国語のような言葉が少しは理解できる
ようになった。祈るときにお札(うちかび)を供える風習がある。


城壁からの遠望

そ~れ定食は健康食(野菜中心)

3月10日なのに桜まつりは終わっていた。今帰仁の道の駅「そ~れ」で昼食。
いかにも健康食という感じの定食だった。


古宇利島近辺

近くの古宇利島へ。島々をめぐる橋が立派に整備されている。これも公共投資支
援なのだろう。遠浅の海がエメラルドグリーンに彩られていた。


辺野古の海岸

帰途、普天間基地移転先候補の辺野古海岸へ寄る。土のうが積まれ、きれいな海
に重機が動いている。反対派のテントがあり、住民が交代で詰めているようだ。
静かできれいな海に相応しくない動きだ。基地でなくても素晴らしい自然に手を
加えるのは惜しい気がする。


綺麗サッパリ。食った食った。

夕食は糸満市の「海あじ」へ。ホテルで貰ったクーポンの店へ行く予定で、タク
シーに乗ったら「あそこは観光客相手だよ。地元客に評判がいいのはここだ」と
遠慮がちに教えてくれたのがこの店。子供をおぶったおばさんが出迎えてくれた。

たしかにお客は地元の人ばかりらしい。勤め帰りの人、おばさん二人連れ、土建
関係の二人連れetc。刺し盛りに泡盛ボトル2本で愉しむ人、上寿司、アグー
串、巻寿司、海あじサラダ、あら煮と食べる方に専念する二人連れ。周りがあま
りに美味そうなので、我々も次々頼んだ。

島ダコ、グルクン、かつおの刺身、ジーミ豆腐、海ぶどう、アーサの天麩羅、あ
ら煮、サーモン・アボガドのサラダ、牛の串焼き、島らっきょう、とどれもうま
い。酒は生ビール、泡盛「豊吉」。やや甘口だが、肴によく合う。かなり空けた
ところでお勘定。「ボトルキープなさいますか?」と聞かれたので「もって帰り
ます」と答え、ホテルで残りを味わった。すっかり沖縄の酒、食を堪能した。

この店を教えてくれた運転手さんに感謝。

エンターテイメント小説

2011-05-23 12:53:52 | 

佐伯泰英、いつか新聞の書籍宣伝欄で、「ビジネスマンが一日の勤めを終えて、
息抜きに楽しめる小説を目指している」と制作姿勢を述べていた作家である。

言ってみれば週刊誌の連載小説というところであろう。図書館の書棚で並んでい
た2冊の本を読んだ。「ユダの季節」「テロルの季節」20年、15年前の作品
で、主人公が同じの、姉妹編だ。

作家が実際生活をしたスペインを舞台に、闘牛とクラッシクカーを題材とした冒
険小説である。闘牛場でのテロの瞬間と闘牛の進行のクライマックスは迫力があ
る。当時日本でも活躍していた、日本赤軍と、スペインのバスク独立運動の過激
派ETAとの連携も絡んで面白い。

最近この著者は時代小説、「密命」「吉原裏同心」などで人気を博していると聞くが、一度読んでみたいものである。

祈りの島へ(2)

2011-05-22 11:00:43 | 行ってきました



沖縄の朝は爽やかに明けた。
ホテルの前はプライベートビーチで海水浴場になっている。
シーズンオフなので人影がない。修学旅行生の集団が時折賑やかに訪れるだけだ。



本日はまず斎場御嶽(せーふぁ うたぎ)へ。ここは世界遺産の一部である。
最近はパワースポットとして注目されている場所だ。
五百年続いた琉球王朝の祈りの場所、聖地。島内1000~2000箇所ほどあ
る御嶽(うたぎ)の最高の場所だという。


御門口(ウジョウグチ)付近

ユインチ(寄満)

サングーイ(三庫理)

ウフグーイ(大庫裡)

三庫理の奥から見る久高島

男子禁制の御門口(うじょうぐち)から、ガジュマル林の石段を登る。オースト
ラリア/エアーズロックにある原住民の祈りの場に似た、大庫理(ウフグーイ)寄
満(ユインチ)を巡り、三庫理(サングーイ)へ。ジャングルの木漏れ日の中に
静かに存在する素朴な祈りの場所だ。森閑とした環境で祈りの場所にふさわしい。
残念ながら丁度女子高の修学旅行の一団と遭遇し、彼女らが姦しいこと甚だしい。
自己と静かに向き合う場所なのにすごく残念だ。


知念城址

ここは早々に切り上げ、近くの知念城址に向かう。人々の訪れることの少ない地
方の砦の跡だ。石はもろい石灰岩でできている。表面は凸凹で、補修中。シーグ
スク(新城)クーグスク(古城)と石垣が全く違う。100m四方の小さな城、
御嶽(うたぎ)跡はちゃんと残っていた。友莉御嶽。メキシコのピラミッド、ア
ンコールワットなどは広がる時代の波をうけているが、ここは内なる守りの時代
に生きているようだ。

帰りにホテル近くの道の駅、うまんちゅ市場に立ち寄る。豚の塊やいろいろな部
位が大きな単位で売られていた。耳とか豚足とか顔など、場所もわからないとこ
ろが塊で売られている。野菜が山積みで安い。キャベツ一個50円だ。惣菜も山
積み。併設の糸満物産センターではウコン、ラー油、ちんすこう、など同じジャ
ンルの品がこれでもかと並べられている。単純なのかおおらかなのか。

ビールと惣菜を買い込み、ホテルへ戻る。
プライベートビーチを散策。砂浜サッカーに興じる若者の声が響く。
このビーチは手入れが行き届いている。樹木のフェンス、人工磯、休憩所、展望台、遊具など、これらも公共投資の一部なのだろうか。


プライベートビーチ

同じ地の果てといえども、沖縄は北海道より外国の感じがする。食べ物、飲み物、
地名、呼び名、宗教心の濃さなどがアイヌ語の違いはあれど、後はほとんど本土
と同じの北海道とは違うと感じる。中国や島津藩に支配された歴史の違いか。


折角沖縄に来たので話題の普天間基地を見に出かける。
街に着くとすぐ基地だ。街に基地があるというより、基地に街があるという方が適している。どこもフェンスに囲まれ、検問所が設けてある。星条旗が翻り街の表示も英語が多い。キャンプ地は一周20分位、飛行機は見えぬ。飛行場は別らしい。それらしきところのフェンス越しに歩いたが、内部の銃を持った警備兵がこちらに近づいてきたので、中止。まるで占領下にあるみたいだ。

街を流して進みながら、唐突に「特攻の母/北浜トメさん」を思い出す。占領軍のアメリカ兵からも「ママさん」と呼ばれた彼女のように、この町の人も遠く故郷を離れてきた米兵を迎え入れているように見える。

こんなゲートが5,6箇所もある


丘に翻る星条旗


祈りの島へ(1)

2011-05-21 13:26:56 | 行ってきました



震災より70日以上経った。そろそろ解禁していいだろう。

実は、知人に薦められ、3月に沖縄に遊んだのだが、帰ってきたのが3月11日。
あの大震災当日である。

とても漫遊記どころではなかった。やっとこの頃落ち着いてきたので、ブログに
上げることにした。よかったら暇つぶしにでもお読みください。

まだ肌寒い3/8、セントレアを発って、那覇に。
セントレアでは、JAL整備員3名が、デッキ下で「ご搭乗ありがとうございま
す」という横断幕を掲げて送ってくれた。現場の必死さが伝わってくる。管理す
る上層部はどうなんだろうか?第一線は優秀、上層部が凡庸のパターンでなければ良いが。飛行機は、ほぼ満席。若者が多い。卒業旅行なのだろうか。不景気は何処へ?


球団旗が迎えてくれる

那覇空港は花に包まれていた。「おきなわや」の看板が何故か異国情緒を盛り上
げる。空港前にはプロ野球の球団旗がズラリと並ぶ。ほとんどの球団が沖縄でキャ
ンプを張る。今年はジャイアンツも来たようだ。レンタカーを借りてホテルに向
かう。
サザンビーチホテルへ。埋立の岬にあり、オーシャンビューかベイビューの見晴
らしの良い新しいホテルだ。やはり中国人も多い。通されたのはゆったりとした部屋で、
バスが日本風の湯船である。勿論オーシャンビュー。


ホテルの部屋からの眺望

サザンビーチホテル

今日はホテルで夕食とした。レストランは賑わっていた。バッフェだ。泡盛飲み
放題を頼む。ライブで沖縄民謡が奏でられ、三絃を持った小太りのおっさんが渋い喉を聞かせる。しみじみと行く末越し方を語っているかのようだ。東北地方の唄のように、鼻から喉、頭のてっぺんに抜けてゆくという具合でなく、なにか諦観を感じさせる。むしろネパールで聞いたヒマラヤ地方の調べに近い。神に祈っているようだ。



アルコールですっかりほろ酔い気分になり、千鳥足で部屋に戻る。明日からの沖縄が楽しみだ。


満開の藤

2011-05-20 10:10:46 | 行ってきました


高島公園の藤が満開である。

桜と違い、藤が満開かどうかはどうやって判断するのだろう?これが八分咲きか、
五分咲きかはよく分からない。
ひっそり咲いて、ひっそり終わるというのが、桜とはまた違った味わいだ。

新聞記事によると、ここの藤は明治9年(1876年)高島公園開園時に植えられ、昭和53年(1978年)市の天然記念物に指定されたとある。

お城の下に、藤棚があり、その周りに青と白の縞模様のテントが張り巡らされて
いた。週末催しがあるらしい。老齢化で樹勢が衰えてきたと言われるが、なんのなんの、「老いてますます盛ん」である。年取ってもちょいと色気のある爺さんも悪くなさそうだ、と勝手に我田引水の理屈をつける。尤も我が身は色気には程遠いか。
いつか見た、津島の天王寺公園の圧倒的な藤棚には及ぶべくもないが、天守閣に
映えてなかなかいい風情だ。



藤は派手な華やかさはないが、落ち着きと気品のある美しさである。
そういえば、藤圭子、富司純子、藤あや子、などもこの花のイメージに重なる。
もっとも藤圭子などは、晩年イメージを壊すスキャンダルがあったが・・・・。

それにしても、きれいであった。暫し人影の少ない棚下で静謐な空気に浸った。


土いじり どや!

2011-05-19 10:13:04 | 雑感

手入れの済んだ花壇

家の前に、僅か3.5坪くらいの花壇がある。

ほったらかしてあるので、雑草で埋め尽くされていた。あまりにひどかったので
試しに雑草を抜いてみたが、根が頑強に生えているので、3時間ほど挑戦し
たが、すぐ断念した。

散歩に出たとき、近所の知人が庭の手入れをしていた。その家は本格的なガーデニングで、手入れも十分されている。柵もめぐらし、四季の花々が咲くような庭だ。雑
談をしていたら、あなたのところも花壇に空があるようだから、種をあげる、と
昨年栽培した花の種を頂いた。

そうなると、あっさり断念した雑草抜きをやらずばなるまい。早速帰って、とりかかった。土を起し、篩いにかける。雑草の根についた土を落とし、石を除く。畑に根も走って
いる。ミニ開墾といった様相だ。半日ほどかかってあらかたの作業を終えた。

作業道具 篩、鋤、軍手、種、など

こんな文字通り「猫の額」みたいなスペースだが、なかなかの作業量だ。やり終
えると、達成感がある。畑仕事などやったことはないのだが、一応畝らしきもの
を作り、頂いた種、買ってきた種を蒔き、水をやる。土がくろぐろとして、いい
感じである。良くやった。おもわず「どうだ!」と言いたくなった。他愛も無いことである。

ブラジルやポリビアの移民、屯田兵などの苦労に比べれば屁でもない作業だろう
が(較べるのもおこがましいが)、軟弱な私にとっては、結構腰に来て、汗だく
であった。まいた種は日々草、花菱草、西洋オダマキ、東北八重ひまわり、それ
に頂いた黄花コスモス、皆忘れな草である。無事に発芽するだろうかちょっと気
になる。

いつの間にか日が落ちてきた。どこかで鹿の鳴く声がピーと長く響いた。


どや!といいたくなる作業後の花壇