遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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オーソドックスな創作

2015-03-26 11:12:22 | 


三吉眞一郎「翳りの城」竹書房 2013年刊

いかにも作家が作った物語といういうところが少なくない内容である。

元亀三年(1572年)武田信玄が駿河経由で上洛を開始した際、有力武将が名も知られてない異形の城を攻めるという物語。

武田方2000の軍勢、しかも城攻めでは未だ失敗をしたことのない勇猛な武将が、行き掛けの駄賃的な軽い気持ちで攻めかかったが、そうは行かず死斗となる。双方相打ちだが、2000の軍勢が壊滅したので、信玄は殿軍を失い、上洛不能となる。

この城の生い立ちやら、守備兵達の怨念、城の構造、合戦の様子、攻撃方、守備方の内情など一応道具立ては揃っている。しかし優等生の作文のように、なにか真実味を感ぜられないのは私だけであろうか。

ただ神に対するキリスト教徒、と仏教、神道(言ってみれば西洋と日本)の考え方の違いは、よくかけていると思う。

オーソドックスな小説の技法を駆使した作品だと感じた。

宝覚寺と文武廟

2015-03-25 13:59:47 | 行ってきました
 宝覚寺本堂 外部に保護のための堂が建てられている
 巨大な布袋像
 日本戦士の慰霊塔
 台湾戦士の慰霊塔
 撫でるための小型布袋像

駆け足台湾旅行の中日の目玉は台中の布袋寺:宝覚寺と日月潭湖畔の文武廟(道教)見学であった。

小雨の中降りたところは、金色の巨大布袋が佇むお寺。本堂の外側に覆いのような建物が被さる不思議な建物であるが、中の本堂は日本統治時代の建物で、文化財として保護されているのだそうだ。

ここは布袋様が屋外に鎮座しており、中国人は布袋が好きなのか大勢の参拝客で賑わっていた。布袋様の耳、頭、腹を撫でると健康、幸せ、財産に恵まれるという言い伝えで巨大像の足元にある白い小ぶりな像を皆撫でていた。

またこのお寺には第二次大戦で亡くなられた戦士の慰霊塔が建てられており、吉田茂は度々訪れていたそうだ。その近くにはやや新しい慰霊塔が建てられており、これは台湾から出征した兵士の慰霊塔で、李登輝総統が揮毫して建てたものだという。両方共きちんと手入れされており、韓国とはずいぶん国民感情が違うように感じた。

 文武廟入口の門
 前景
 拝殿正面
 拝殿上部軒先の彫刻
 正面の龍の彫刻

続いて訪れたのは日月潭湖畔の文武廟(道教)。孔子と関羽が祭ってある。横浜中華街にも関羽が祀ってあったような気がするが、三国志の中でも、劉備・張飛よりは断然この男に人気があるらしい。何か新興宗教のお寺のように、財力を誇るかのような建物、彫刻、金ピカの内装、であるが、拝観料やおみくじ線香、飾り物などは原則無料である。お供えは有料であるが、お下がりは自宅に宅配されるというから面白い。お寺の運営費、建設費などは篤志家の寄付でまかなっているそうだ。建物の至る所、柱や飾りに名前が彫り込んであるのはそのせいである。現世利得、財産形成に集中している中国社会からすればとても判りやすい。

 お寺の上部のシンボル
 きらびやかな本堂内部
 供物の布、線香
 絵馬
 蓮の花

あいにくの靄で湖は烟っていたが、多くの善男善女で賑わっていた。湖畔にはオレンジの木綿、黄色のゴールデンシャーベット、紫のジャカランタが咲き乱れていた。この国も平和を享受している。

 木綿
 ゴールデン・シャーベット




川岸の春

2015-03-23 13:34:13 | 雑感
 薄っすらと緑の新芽を纏う木

春らしい陽気が感ぜられ、ふらっと散歩に出た。よく整備された境川沿いの堤防の道である。
暫く振りに歩いてみると、花は咲き、新緑は芽吹きもうすっかり春の準備はできている。
たんぽぽ、菜の花、すみれ、名前も知らない白い花、などなど暖かい風に花を揺らしていた。

 川面に遊ぶ鳥の家族
 咲き乱れるたんぽぽ
 お馴染み土筆ん坊の群落
 菜の花も咲き誇る

運動公園の近くの桜林に早咲きの河津桜が咲いていないかとよってみたが、あいにくその種はなく蕾が膨らんでいる木々ばかりであった。ただ、昔我々が植えた根尾の薄墨桜は薄墨色の花をつけ、その下で花見をしているグループがあった、ポルトガル語のような響きなので、ブラジルから出稼ぎに来ている人達かもしれない。
 薄墨桜は花を付けていた
 その下で花見の宴を張るグループ
 河津桜か、満開であった

帰り際、小山のお寺の土手に、河津桜らしい桜が満開の花を付けていた。運動公園の桜の蕾から推測するに、あと一週間くらいでソメイヨシノは一斉に咲くのではないだろうか。
自然界は確実に春に向かっている。

様子見

2015-03-22 12:47:14 | 行ってきました
 南斜面はすっかり雪がない

ずいぶん春めいてきた。山ではどんなふうになっているのか、少し気になったので昨日見に行ってきた。昨年は雪で近づけなかったのだが、今年はどんなだ。ろう。

IC辺りはスカリ雪がとれていて、もう大丈夫だろうと上がってみたら流石に標高差だけのことはある、北、東斜面にはまだべっとりと雪が残っていた。小屋の前の貯水池にも氷が青白い色を見せていた。
 北斜面には雪がべっとり
 ストーブがほっこり

流石に日差しは暖かいが空気は冷たく刈谷とは一ヶ月近い季節の差を感じさせる。
もちろん夜はストーブがないと寒くてやりきれない。

せっかくなので一晩泊まってきたが、まだここへ来るにはちと早いようだ。しかし空気、静寂は捨てがたいものがある。
寒い中春の気配を感じて帰ってきた。

 前の貯水池は氷がびっしり
古田の溜池はもう春の気配

故宮と小籠包

2015-03-19 19:51:10 | 行ってきました
 さすがにここも中国人で一杯

故宮博物館外観

寒い寒いと震えてばかりいても詮ないので一寸台湾へ行ってきた。格安ツアーのキャンセル待ちに遭遇するという幸運に恵まれた。

ツアー、一行は20人足らず。ほとんどが我々と同じ年配の熟年老夫婦である。一組、孫連れの3人組、おばさん二人連れが一組いたがあとは我々と同じような気楽な?二人連れであった。
4日間の旅であったが、私は40年近く前に業界若手の会で行ったことはあるが、殆ど初めてとおなじ気持ちで参加した。慌ただしい4日間ではあったが、インデックス作りの旅だと覚悟を決めて行ったのでそれなりに楽しかった。

3日目の故宮博物館と夜の自由時間がハイライトというべきものであった。故宮博物館はご存知のように、蒋介石が戦いに敗れて台湾に逃げてきた際に、北京の故宮博物館からめぼしい財宝を70万点、ごっそり持ってきたものである。緊急の事ゆえ、大きい物・重いものは運べなかったというが、めぼしい細工物、焼き物、書画など中国5000年の歴史上の逸物がそろっている。博物館の展示は3000点ほどなので、大部分は蔵の中であるが、有名なトンポーローの石や、青白菜の彫り物は掲示してあった。
前者は河原から拾ったままで細工はしていないというが、ここまで現物に似ているとは驚異である。白菜は翡翠原石の白緑を活かしたもので技術とその意匠が素晴らしい。世界の逸品と言われる所以である。さすがにここはいつも行列ができるらしく、展示品の前で止まると、係員が急かせる。

その他、ガイドの可さんの説明を聞くとさすがに展示品がいきいきと迫ってくるが。彼と離れて自分たちだけで見て回ると、退屈をしてしまう。今度ゆったりと個人で来るときには、イアホンガイドを借りてのんびり見て回ろうと思った。

 店の前は大勢の人でごった返す
 お目当ての小籠包

夜は永康街(繁華街)へでかけ、小籠包の世界的著名店:鼎泰豐(ティンタイフォン=名古屋にも出店があるそうだ)へ出かけた。地下鉄に初めて乗り一寸まごついたが、無事永康街まで辿り着き、見れば黒山の人だかり、それでも30分ほどの待ち時間で入場できた。紹興酒を頼み、待ち時間を利用し、外で決めてきたメニュー、小籠包2種、蒸し餃子一種、ワンタンスープ、青菜の炒めもの、前菜つまみ、を頼んだ。勿論店内は満員であったが、料理は比較的早くでてきた。回転率を良くしているのだろう。紹興酒をふたりで600ccを一本空けいい気分で出てきた。まあ世界で10本の指に入る名店だと聞くがそれほどでもなく、バンクーバーのお爺さんがやっている店のほうがコクがあったような気がする。勿論ここがまずいわけではない。

 ワンタン
 店のおつまみ、小籠包、空芯菜青菜炒め

3回忌

2015-03-14 15:58:38 | 雑感
 法要の席

今日は実兄が亡くなって3回忌だ。大勢の親族が集まる。菩提寺の先代はしょうもない説法をされていたのだが、当代はまだましである。「親には感謝、子に慈愛、妻宝極楽、一家繁栄」という話をされた。最近孫ができたそうでつくづく奥様の力を認識したということらしいが、皆様同等そんなことは先刻承知である。しかし実感したと言われるのが納得の源である。

先日、広妙寺の尼さんが「やっとこの頃遺影の前で話ができるようになった」としみじみ言われたのを思い出す。

その席で配られた追悼集への寄稿文を紹介して私の思いとします。



悼む

 早いものでもう三回忌を迎える。つい先月まで元気だったように感じるが、時の流れは冷厳である。
この3年で兄弟・姉妹が3人亡くなり、あっという間に6人が3人に半減してしまった。
兄とは男二人きりで年齢も離れていたので、子供の頃は余り兄、弟を意識しないで育ったような気もする。ただ兄には何か陽だまりのような暖かさを感じていた。

 伊勢湾台風で浸水被害があった時、父も兄も3日ほど名古屋から帰って来られなかった。
その折、泥水の家には高校生の私が一人男で残っていて、「しっかりせねば」という思いと、
父や兄の存在を強く感じた記憶がある。
 兄は技術系の大学進学を希望していたのだが、会社の後継者として心ならずも断念せざる
を得なかった。そのことは後年に至るまで心残りであったらしい。人柄も相まって頼まれる
公職や役職はほとんどを喜んで引き受けていたような気がする。また父親譲りの外面の良さは
自他公認のところであった。そのしわ寄せは家族ともども甘んじて受けてきた。

 父から受け継いだ「家業」を「企業」に脱皮させようと言うのが、私がこの会社に入った頃の兄との共通目標であった。そのために奮闘努力し、公では言えぬようなことを度々一緒にくぐり抜けてきた。

このあたりのことは語りだせばきりがない。
 そんな体験を共にしたからか、二人の時は大いに論争したが、最後にはたいていは任せてくれる度量の大きさも感じた。後年,ぽつんと「なれるなら、医者か教師か絵かきにでもなりたかったな」と聞いたことを覚えている。

十分ではないが、現役の頃は私自身力一杯働くことができ、概ね兄が自分の描いたような人生を送る支えができたのではないか、という自負を持つのはおこがましいだろうか。

一方「従者にとって勇者なし」とつくづく思うこの頃でもある。

ハリウッド映画 小説版

2015-03-13 04:56:18 | 


高野和明「ジェノサイド」角川書店刊

このミステリーがすごい! 2012年、週刊文春ミステリーベスト10国内部門、第2回山田風太郎賞、その他ベストテン入り多数

映画の原作、または映画そのものを見ているような舞台装置、場面構成でテンポよく展開する。ハリウッドが好きそうな近未来ものである。現代の最大権力アメリカ大統領とその側近周辺と、エイリアンもどきの突然生まれた超知能との戦いがはじまる。

そこに難病開発と、ミステリアスな研究者の死が絡み、CIA、公安警察の圧力が掛かり一層複雑化する。権力者の陥りそうな判断ミス、CIAや軍部が誤りそうな行動形式、その掌の中で動く傭兵。大きな権力が保身に走り、慎重に邪魔者を消そうとする。それを市民がかいくぐり、小さな正義を実現しようとする。

色々な対比が示され興味をいやが上にも引く。内容を詳しく述べると著者に失礼なのでやめるが、最終的には超人類が勝利する。日本人がこれだけのスケールの小説を書けたかと思うとグローバル時代でも日本は大丈夫だと変なところで安心した。とにかく面白い。ジェームスボンドのいない007を見たような感じだ。一読をお勧めする。

明快な主張

2015-03-12 14:09:02 | 


トマ・ピケティ「新・資本論」村井章子訳 日経BP社2015年刊

話題の経済学者、さきごろ来日したことでも有名になった。資本収益率(r)>経済成長率(g)を統計学的に証明し、富の集積が現代で進み、格差が増大している、と主張。これがマルクスの資本論に類似していることから、新資本論と言われていると思われる。

本書は仏全国紙リベラシオンに毎月連載した時評をまとめたものである。テーマはリーマン・ショックの時のグローバル金融危機、仏大統領の交代に伴う政策変更、税制改革、年金改革、大学改革など多岐にわたる。

経済成長のスピードにもまして資本集中と集積が進んでいるので格差は加速度的に広がり、機会格差も生じている。それに対してEUは有効な手を打っていない。所得累進課税、租税回避地の廃止、資産課税の強化などで対抗すべきであると提言している。

サルコジ政権の施策、オランド政権の政策についてズバズバと批判し、対案を出している。単なる批判ではなく対案を提示しているところが単なる学者ではないようだ。きっと「21世紀の資本」では統計数字を駆使し、わかりやすく説明しているのだろう。

マルクス資本論を読んだ時より、かなり頭が硬くなっているので、このコラム集というべき軽い文章もなかなか頭に入らなくなっているのが口惜しい。しかしそれにしても時の政権に対しこれだけはっきり批判できるのはフランスという国の健全なところだろう。最近の日本のマスコミがこのように真正面から政権批判をしていないことを考えると暗然たる思いである。

2冊の本

2015-03-11 10:05:42 | 


最近読んだ本で面白かった2冊を紹介します。

原田マハ「旅屋 おかえり」集英社刊2012年

文句なく面白い。傑作といってもいい。TVの旅番組を打ち切られた主人公が、他人の代わりに旅をするという仕事を開拓し引き受けるという奇想天外なドラマだが、主人公と旅先での出会いを情感豊かに描き上げる著者の筆力と構成力はなかなかである。以前もマハの作品を読んだ記憶があるが(作品名も忘れてしまったが)、これに似た感激をしたことだけが印象に残ってる。この人は愛される作家だろう。

沼田まほかる「ユリゴコロ」双葉文庫2011年刊

2012年本屋大賞ノミネート作品、大藪春彦賞受賞。一捻りもふたひねりもしてある作品だが、著者の筆力、特に心理描写の繊細さが読者を引きつける。実家から見つかった4冊のノートに記された、数人の人を殺めた告白文から始まり、小説ならではの複雑な人間関係が絡んで展開するストーリー。少しボケ始めた私には複雑すぎるような気もするが、結末の大逆転は若干そんな予感がしていた。確かに大藪賞らしく、ドライなタッチも感ぜられるが、エンタテイメントとしては秀逸である。

満開 河津桜

2015-03-10 13:47:22 | 行ってきました
 駅頭のポスターが気分を盛り上げる
 圧巻の堰堤

早咲きで有名な河津桜が見頃と聞いて1週間、さすがにもう散ったかと思っていたら息子のFBに再び満開の映像が掲示された。熱海に別荘を持つ義兄に連絡をとったら歓迎するという嬉しい返事。先週半ばに早速出かけた。

熱海駅頭までお出迎えの大歓迎をうけ、まずは家康も愛した日航亭大湯で汗を流し、来宮神社の大楠を見学。大湯は渥美半島から早便で湯を運んだという言い伝えがある。大楠は淡墨桜や縄文杉等と同様、2000年の歴史を背後にオーラを放っていた。正に神木である。徳富蘇峰が近くに居を構えたというが確かに神々しい。そこから熱海の梅園に回り、夕宴の小料理屋で宴会。こざっぱりとしていて地魚、そばがきの美味しい店であった。

 駅から堤へと続く道もすでに満開
 川岸に咲く桜
 対岸も美しく彩られる
 濃い桜色の枝の下を歩く

翌日熱海から伊豆急行で小一時間の河津へ。ポスターを見ると桜まつりは2/10日から3/10までの一ヶ月。そんなに長く咲いているのかと思ったが、この桜は開花時期が不安定で何時咲き出すかが定かではないとのこと。ウイークデイにもかかわらず大勢の人が電車から吐き出され、川岸へと向かう。桜の下には菜の花が植えられピンクと黄色の対比が美しい。川岸に出ると海に向かって堰堤にピンクの帯が続く。もう緑の新芽も混じっているが、花びらはしっかり木に付いている。それでも500mくらいで一番下流の橋に到着。あっけないくらいだ。堰堤横には屋台が並び、食べ物やお土産品などの呼び込みが賑やかで正にお祭りだ。一年一度のかきいれどきだが、ソメイヨシノと違い花の寿命が長いので、多少は救われるのだろう。お昼ごはんを食べて少し上流に向かうと、どうやらこちらが本番だ。1,2kmも続く並木が濃いピンクに彩られ見事なものである。桜のトンネルになっている並木をそぞろ歩く。樹齢も5,60年くらいで今が盛りだろう。見事な枝振りで、濃いピンクの花をつけている。ところどころ真っ赤な花のものもある。この人出の中にも中国語が飛び交い、どこにでも進出してくるのだなあと実感。

 八重桜と見まごうばかりのたわわな花房
 河原に降りて鑑賞

堤から少し離れ役場の方へ、原木を見に行った。(別項参照)「散る桜 残る桜も散る桜」と詠われたのは明らかにソメイヨシノだ。河津さくらはしっかり枝に着いてなかなか散らない。このしぶとさのほうが戦いにはふさわしいのではないか。
帰りの電車も満席であったが幸い、外側を展望できる席に座ることができ、快適に帰途についた。、翌日大歓待を受けた義兄の家を辞し刈谷へと戻った。

 飯田勝美邸前の原木

河津桜とは?

河津桜原木(通称:小峰の桜)
 河津桜の原木は、河津町田中の飯田勝美氏(故人)が1955年(昭和30年)頃の2月のある日河津川沿いの冬枯れ雑草の中で芽咲いているさくらの苗を見つけて、現在地に植えたものです。1966年(昭和41年)から開花がみられ、1月下旬頃から淡紅色の花が約1ヶ月にわたって咲き続けて近隣の注目を集めました。伊東市に住む勝又光也氏は1968年(昭和43年)頃からこのサクラを増殖し、このサクラの普及に大きく貢献しています。一方、県有用植物園(現農業試験場南伊豆分場)は、賀茂農業改良普及所、下田林業事務所(現伊豆農林事務所)や河津町等と、この特徴ある早咲き桜について調査をし、この桜は河津町に原木があることから、1974年(昭和49年)にカワヅザクラ(河津桜)と命名され、1975年(昭和50年)には河津町の木に指定されました。カワヅザクラはオオシマザクラ系とカンヒザクラ系の自然交配種と推定されています