遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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祝いの席

2017-03-21 15:55:59 | 雑感

一応肉親が勢揃い


祝いの膳

兄弟姉妹が半減し、次第に肉親が少なくなっているこの頃、珍しく嬉しい便りがあった。亡くなったすぐ下の妹の子供が結婚するとのことで、名古屋に婚約者ともども挨拶にきたいとのことである。姪は外科医をしているが、少々世間に疎いところがある。相手はどんな男かと、親代わりの心境で少し警戒気味であった。

その警戒心はお会いしてすぐ消えた。当人はメーカーの開発部門に勤めている男で、今どき珍しく世間ずれしていない、実直そうな人物だった。そうなるとそれはそれで、「こんなことで世間を渉っていけるのだろうか」と心配になる。勝手なものである。だが二人の人生だ。もちろん色々な山谷はあるのだろうが、越えていけないことはあるまい。現在松本に住んでいるという。それも気に入った。

招かれた祝いの席は、名古屋駅のホテル内にある日本料理の店だった。流石にそつなく、周到に祝いの席が用意されていた。床の間の掛け軸、料理の器、献立、盛り付けに至るまで、隅々まで行き届いたもので、若い二人を中心に話が弾み、時間の経つのを忘れた。

私も偉そうに、つい結婚の心得なんぞを口走ったが、聡明な二人の事ゆえ、取捨選択はしっかりしてくれるのだろう。最近は不祝儀の席が圧倒的に多いのだが、やはりこういう未来に繋がる明るい行事が楽しい。

千年の都

2017-03-20 08:29:33 | 行ってきました

近代的な京都駅

賑わう街

古都の佇まい

連休前の終末、ふと思いついて京都に行ってきた。此処に来るのは何年ぶりだろう。春休みとあって沢山の観光客で一杯であった。街を歩いてみて今回感じたことは、京都という街は、プレゼンテーションの旨い街である。歴史を踏まえ、土地柄を活かし、センスを発揮して、いろいろな商売が競っている。街並み、ショーウインドウ、看板、壁の表示、いずれも、おもねることなく、いいセンスだ。

もう一つ、外国人が多い。そして、着物姿が目立つ。レンタル着物というやつか、裾捌きがいかにも外人と分かる人が喜々として歩いている。カップルは男性も着物姿だ。若い人はファッションの一部、或いはコスプレとして考えているのだろうか。しかし街並みにはよく似合う。

京都は新しいことにも挑戦する気風があると聞いて居るが、まさにそんな風情である。そんなことなどを感じながら、久しぶりに京都の街を歩いた。桜には少し間があるが、好天の中、気持ちのよい散歩であった。

三寒四温

2017-03-15 11:29:32 | 雑感

梅がほころびつくしが顔を出す

このところ、寒い日と温かい日が交互に訪れる。典型的な三寒四温の気候だ。こうして徐々に風が心地よい温度になり、コートが薄手のものに変わってくる。やっと春が近づいてきた。

強風の中、久しぶりに散歩に出た。風は強いが冷たさはあまり感ぜられない。公園の横を通ったら、しだれ梅が今を盛りと紅白の花を付けていた。田んぼの畦を歩けば足下につくしが顔を覗かせている。

昨夜から今日にかけて雪の便りが聞こえてくるが、もう春は足音が聞こえそうなくらい近づいている。

素晴らしい芸術家

2017-03-14 00:12:33 | 行ってきました

小牧ワイナリー壁の案内表示

壁にかけられている経歴など

展示されている絵の一枚

小牧ワイナリーは障がいのある人が葡萄をつくり、ワインを販売する「ななつぼし葡萄酒工房」と、就職に向けてのトレーニングを行う「ピア小牧」の複合施設だ。以前にこれらの趣旨に賛同して古くから障がい者にも絵画の指導を行っている、画家米山郁夫氏の絵画展を見に行ったことがある。

この施設の2周年記念行事で、「口と足で描く芸術協会」会員の南正文展が行われるとのことで、うららかな春の日に見に行った。南正文氏は小学校3年の時、家業の製材所で機械のベルトに巻き込まれて両腕を失った。14歳の時大石順教尼に師事、口での描写と生き方の修行を始めた人である。

この建物は1階がカフェと物販スペース、2階が絵画展などのイベントスペースになっており、米山画伯の厳しいタッチの絵画が階段の踊場で迎えてくれる。南氏の絵画は日本画でやわらかで優しいタッチの物が多く、なにかほっとするものだ。写真にある桜の大木の絵は、桜の花が一つ一つ丁寧にに描かれており、とても口と足で描かれているとは思えない。

南氏の絵を見る時どうしても、障がいがあることを前提としてみてしまうが、途中で気がついた。そうではなく一枚の絵、芸術として鑑賞せねば作者に失礼だ、ということを。同じフロアーに障がい児達の天真爛漫で元気一杯の絵も展示してあるが、これらもいずれも明るい色調で見ていて楽しくなるものがほとんどだ。

作者は不自由な我が身と周りの人にお世話になりっぱなしの境遇を嘆くのを止め、あるがままの自分を受け入れた時心が軽くなった述べておられるが、この絵には見る人をまさしく癒やすものがある。残念ながら、南氏は2012年12月生涯をを閉じてしまったという。展示されている数々の絵のお陰で、何か幸せな気持ちになり、下のカフェで紅茶を楽しみ、ワインを一本購入して、満足して帰路についた。

今月一杯は展示しているそうです。癒やしの必要な方にはとてもいい絵だと思います。

OB会

2017-03-13 00:59:50 | 雑感


3ヶ月に一度定期的に催される、R社のOB会に行ってきた。私も2度ほど勤めたことがあるが、持ち回りで自分の得意分野の話をしてその後懇談、それから有志だけはカラオケに繰り出すというのがお決まりのパターンになっている。

今回のスピーカーは、定年退職後、経営労働コンサルタントとして専門分野の職業斡旋をしている方の業務紹介であった。働き方改革とか言って、派遣労働が当たり前になってきているが、働く方も業務と自己スキルのミスマッチで弾き飛ばされる人が結構いるそうだ。若くて高学歴でもそんな例が、意外にあるらしい。

大学院卒、東大卒の人でもあるという。もともとはIT関連の入力業務の派遣を主としてやっていたのだが、今はJVを組んでトヨタや村田機械などの設計、開発分野への派遣を行っているそうだ。中には正社員もあるそうだが、大企業が開発部分まである種のアウトソーシングを行っていることに驚いた。

現役の頃、マニュアル作成の分野も、原稿書きからアウトソーシングになった時、少々驚いたが、今や製品開発自体を派遣に任せる時代なのかとびっくりする。彼の話によるとこの傾向は広がりつつあり、宇宙航空、自動車、産業プラント、制御機器などのメーカーへのアプローチが進んでいるという。

モノづくり日本も現場ではこんなふうにじわじわと変化しているのだということが理解できた。一体日本の強みの源泉は何処にあるのだろうか。

書籍3題 その3 村上春樹

2017-03-12 00:25:53 | 


村上春樹「TVピープル」文春文庫 1993年刊

不思議な本である。6編の短編からなるこの本は、何か特別な事件とか経験がるわけでなく、日常の生活の中にふと異質なものが紛れ込んでくる。表題の小編は共稼ぎの連れ合いとの生活に、ちょっと縮率の異質な小人が現れるという、誠に奇妙な設定であるが、何となくそれを読ませてしまうこの作家の力量は大したものだと思う。

近頃彼の書き下ろしの新刊が出て巷で大騒ぎになっているが、むべなるかなといったところである。

2つ目の短編「飛行機」は独り言について、「我らの時代のフォークロア」は男女の高校生時代からの優等生同士の関わりあいについて、日常の情景を描くように淡々と描写される。テーマこそ違え、後の3篇も、不思議な設定がされている。これらの物語は深く感動したり、興奮したりはしないけど、何か引っ張られる。

私の感性が老化してきて、著者の意図するものがアンテナに引っかからないのかもしれない。著者はなにか深いものを訴えようとしているのかもしれない。それともおもわせぶりなだけか。しかし何度もノーベル文学賞にノミネートされる作家なのだから、私の感性に欠陥があるのに間違いはないだろう。

奇妙な短編集だが、村上春樹らしいとはいえるものだ。

書籍3題 その2宗教書

2017-03-11 03:21:57 | 


大川隆法「正しい供養、間違った供養」幸福の科学出版 2017年刊

私の友人に熱心な幸福の科学の信徒がいる。以前にも彼から何冊か献本を受けたのだが、少し読むとなんだか自己宣伝の色合いが強くて最後まで読み進めなかった。南米旅行から戻ってすぐ彼から表題の本の献本を受けた。ラテンの空気の中に身をおいてみて、少なからず自分の人生観を揺さぶられていたせいか、今回は最後まで読みとおせた。

かの教祖の主張は、輪廻転生は厳然としてある。あの世では天国と地獄があり、どちらへもいけずにさまよっている霊もある。正しい供養をして落ち着かせてあげてください。というところであろう。輪廻転生と死後しばらくは霊として彷徨うというのは以前読んだ「生きがいの創造」の飯田史彦教授とほぼ同じ主張である。幸福の科学は基本、仏教に土台を置く。

今回の所は思ったより穏やかな主張で、他宗教の批判もそれほど強くない。ただ地獄の存在や、あの世との橋渡しをする宗主の存在、正しく供養する幸福の科学主催の祭祀への参加、などはやはり宗教団体保持のためには必要なのだろう。

飯田教授は科学性を維持するためには宗教とは別の道を歩む、と言って、採用論文は、権威ある大学の教職者、或いは博士号の保持者、のみとした。そして宗教化しないために金集め、組織作りには断固手を染めないと言っていたことを思い出す。私にはこちらの方に信頼感を持つ。

宗教を信じることは個人の自由であるからとやかくは言わない。一国の大統領が霊言に惑わされた例もあるが、どうも私は、組織は自ずから腐敗するというような、警戒心があるので、この団体に限らず、帰依はしない心境である。

書籍3題 その1追悼集

2017-03-10 12:43:26 | 


2年前急逝した大学時代の同級生を偲んで、山岳部の友人達が中心になって編纂した追悼集が完成した。といっても私が南米旅行で遊び歩いている時に、編集委員が最後の追い込みで作ったものである。山岳部の中心メンバーとして活躍した彼は、卒業後も学士山岳会(OB連合山岳会)の発展に寄与し、一時は存続の危機に瀕した現役クラブを見事蘇らせた。

追悼集の編纂は、先輩のクラブOB会会長が音頭を取ったが、実務は後輩がおこなった。前にも山岳部の組織について触れたが、ここは体育会系の上意下達の指揮系統と、自発的、自主的行動形態がうまくマッチしている組織で、皆自由に討議しながら完成までの内容的、財政的な運営が見事に行われた。

もちろんこの追悼集を手にとって見れば彼の素晴らしい生き方を随所に汲み取ることができる。彼の遺徳がこの追悼集を完成させたのだろう。幼年時代、青春時代の地域との結びつき、我々と過ごした大学時代、社会へでてからのビジネス時代、そして最も時間を割いた山登りとの関わり、どの時代をとっても周りから一目置かれ、愛されていたことがよく感ぜられる。

彼は「自然を愛しする心を忘れずに」と言うのが、キャッチフレーズであったが、実は周りの人間をとても大切にした。我々の中でも、権力を振るう、とか、権威を傘にことは一切なく、何時も暖かく、公平な目でことを推進した。身を置いた各所でリーダーに推挙され、役割を見事に果たしたのも、周りの支持があったからに他ならない。

このことは私だけでなく、追悼文を寄せていただいたほぼすべての人が共通して触れることである。彼の生きた期間はあまりにも短かったが、その足跡はすこぶる大きい。追悼集を手にして、かけがえのない友人を失った悲しみが再び私を包んだ。

地球の裏側探訪記(21)番外 旅の終わりに

2017-03-09 05:02:00 | 行ってきました

遼馬君とホテルで最後の一杯を飲む。お世話になりました。

朝、ホテルを早立ちなので準備をしていたら、義弟から連絡があり、連れ合いが体調を乱して動けないとのこと。長旅で疲れがたまり、水が当たったのかもしれない。彼等を置いてゆくわけにもいかないので、早速ガイドの遼馬君に連絡を取りチチカカ湖観光はキャンセルしてもらう。大事を取って義弟達はその後の観光日程もキャンセル。それと彼らのこのホテルの連泊の手配もしてもらう。こういう時彼は実に的確に無駄話もせず、必要な事を確認しながら事を進めてゆく。

あっけない旅の終わりではあったが、我々も少し盛り込みすぎていたかもしれない。
9時頃いろいろな手配の確認が一段落して、部屋に戻り、ベッドの上で全豪オープン決勝のビデオを見る。ナダル対フェデラー。昨日の女子の決勝がウイリアム姉妹の対決だったのと同じように、男子もまだ旧世代の対決だ。フルセットの末フェデラーが勝つ。

TV鑑賞しながら、我々も旅の終りに近づき、荷物の整理、睡眠不足の補充などをしてのんびり過ごす。途中、近くのスーパーへ行き、ビールとワイン、若干のつまみ、義妹へのヨーグルトなどを購入。レジで係の店員が大瓶のビールを指差し、何やら叫んでいるがスペイン語がさっぱりわからない。曖昧な表情を浮かべていると、ビール瓶をさっともって売り場の方へ行き、別の瓶を持ってくる。多分「今セールをしているビールがあるのでそれにしたら?」と言っていたのだろう。なんとも親切である。

ホテルの入口で遼馬君に出会ったので我々の部屋に招き、ビールとワインで旅の反省会をする。彼は「この2週間の旅で、我々の関心や体力、嗜好がよくわかったのでぜひもう一度来てください。責任をもっていい旅をアレンジします。」という。

以前のマチュピチュのときのガイドと云い彼と云い、仲々の人間性である。彼の謙虚さ、行動力、勉強熱心なところも気に入った。今回の旅の居心地が良かったのは彼のガイドによるところが大きい。またこの大陸の適度なラテンのおおらかさがなんとなく好きになった。もう一度くらいは此処に来てみたいと、お世辞ではなく、感じた次第である。

翌日、朝早くラパスを発ち、ブエノスアイレスの空港近くで一泊し、フランクフルト経由で帰国、23日間に亘る南米旅行を終えた。充実した楽しい旅であった。この旅行の企画とスケジュール調整をしてくれた家内と義妹、旅行中何くれとなく心配りをしてくれた義弟に感謝したい。


ラパスの空港はまだ明けきっていない



ブエノスアイレス空港近くのファミリー的なホテル

ただいまー 富士山が見えるとやはり日本に帰ってきたという気になる

地球の裏側探訪記(20)ボリビア首都ラパスへ

2017-03-08 12:38:09 | 行ってきました

ウユニ湖からはこの泥道を行く


ウユニの飛行場

空から眺める塩湖

ラパス到着

本日は南米最後の目的地チチカカ湖の玄関口ラパスへの移動日。
前日、流石に朝早くから夜までウユニ湖を堪能したので最終日はホテルを8:00頃出発。ホテル前の泥の道を舗装された観光道路までゆっくりと進む。小一時間で小さなウユニ飛行場へ到着。小さな可愛いところ。だ平らな土地はいたるところにあるので飛行場建設は苦労が少ないのだろう。

定刻に離陸、空の上からウユニ湖を眺める。広々とした平らな白い平原にところどころ水が溜まっている。この塩の層は厚さ120mあり、下部ではまだ合成されているので、ほぼ無尽蔵といっていいくらいの埋蔵量だそうだ。この塩はインカの王様も取りに来たらしく、それがサラリー(給与)の語源になったらしい。そういえば塩(ソルト)とサラリーはなんとなく似てなくはない。

ラパス空港へはほぼ定刻に到着。地元レストランへ直行。ここではなぜかウエイトレスが片言の日本語を話す。ご主人が日本びいきで、日本人の規律正しいところが好きだという。そんな風に周りをしたいということで、行ったこともない日本の言葉を自力で勉強し従業員に教えているとのこと。愛想よく我々にキーホルダーをくれた。味もまあまあであった。


地元レストランとオムレツ

食後ティワナク遺跡を見学。ティワナクとは5~12Cインカの前史を飾るプレ・インカ文明で、その祭祀を行った遺跡が発掘されている。入り口に石の拡声器がありガイドが口を当て実演してくれる。なだらかな丘にあるこの意席は世界遺産に認定されているが、素朴な中規模の遺産でなかなか面白い。

この遺跡はクスコで説明を受けた原住民の世界観に基づいて3つの世界に分けられている。天上界、地上界、地下界だ。天上界はアイナク文明と呼ばれピラミッドの上に再現されている。地上界はモノリート(巨人像)が彫られ、太陽の門が設置してある。先住民族出身の現大統領はここの広場で就任式をやったそうだ。地下界も半地下で石垣が組まれ、いろいろな麺が面として石垣に組み込まれている。これらの説明を受けている最中に雨がぱらついてきて、ここは約4000mの高地で歩き回ると息が切れてくるので、残念ながら早々に切り上げた。


ピラミッド

モノリート(巨人像)と遺跡

太陽の門

半地下の広場

ラパスの町は高度約4000m、ボリビアの首都で人口300万の大都市である。しかし大統領の任期をめぐる国民投票間近とあって、街の中は続投OKの投票をしようという落書きで埋め尽くされていた。反対の落書きもあるにはあるが、1/10もない。圧倒的な現大統領支持だ。この町を縦断するロープウエイに乗ってみた。途中で乗り換えをして端から端まで乗ったが25分間街を上から見下ろす快適な乗り心地だった。これは観光用ではなく渋滞回避の市民の足として建設されたという。

これに乗れば、大統領の生家、軍隊の訓練所も眼下に見下ろせ、セキュリティの面ではちょっとどうかと思うが、気分は良い。時速20kmとして全長10kmはあるという長いロープウエーだ。ゴンドラの数も沢山でこれなら市民の足として十分機能するだろう。


町は選挙のための落書きで埋められている

ロープウエイからのラパスの町

ロープウエイ終点

かなり起伏のある市街地をどうやって走ってきたのだろう。我々が乗り場で降りた車は、終点ではもう待っていた。そこから月の谷公園へ。ここはアームストロング船長が実際に訪れた際、命名したという石灰岩が侵食された谷。我々が訪れた時、その頂きでオカリナを吹く芸人がいた。我々を意識し拭きながら岩峰を飛び移る。演奏が終わって我々の所に走り寄りチップを請求する。幾ばくか入れたが、少ないと恨めしそうにこちらを見るが、あんなものだろう。

ホテルに入り、夜景をちょっと見て(地形的には高低差がある町並みの街灯はきれい。だがオレンジとLEDの白色だけというのが寂しい)、フォークローダンス(民族舞踊)ショウのレストランで夕食。少々冷え込んだが明日に備え早く寝る。



月の谷

オカリナ芸人