遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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真面目なラテンの国 キューバ7(最終回)

2013-05-31 17:39:39 | 雑感

昨日のレストランでの夕食

7日目(5/19日)本日は終日自由行動。
9時ホテル出発。女性陣が自転車タクシーに乗りたいというので、ホテル前からSF広場まで乗ることにする。
バイクタクシーに乗るお二人

2人ずつ2台に分乗し、出発。「スピーク、スパニッシュ?イングリッシュ?」と問われ「イングリッシュ。ア・リトゥル」と答える。二人は必死に漕ぎながら、なにやら色々説明してくれるが、半分もわからない。
若い兄ちゃんが、生業とはいえ凸凹道を、なるべく平らな所を選んで走らせる。サンフランシスコ広場に到着。「ここで待っているので、帰りも乗らないか」といってくれるが、どうなるかわからないのでお断りして、オビスポ通りの方へ向かう。
。日曜日とあって、人通りは多く(といっても外国人が6割くらいか)呼び込みや、パーカッションで人目を引こうとする店頭の人間もいる。

サンフランシスコ広場
オビスポ通りの赤飯屋
オビスポ通り

街角、レストランではストリート・ミュージシャン、楽団の演奏が溢れ、老人がそれに合わせて踊り、賑やかである。タクシーの案内、レストランの案内、お土産屋さんの呼び込みも「オラ・オラ」と激しい。街を行き交う人の鮮やかな原色の衣装がオールドタウンの石造りの街並みにマッチしている。お土産の買い物漁りで疲れ、バー・フロリダ横のレストランでコーヒータイム。そこから5分で、なんとホセ・マルティン像、ホテルの前に出た。ほっと安心してホテルレストランのテラスでモヒートを一杯楽しむ。隣のレストランでは、賑やかにバンドが演奏を続け、日曜日とあって、結婚式を終えた若い二人がオープンカーに乗って大通りを通り過ぎる。クラシックカーを連ねた仲間の若者がクラクションと歓声を上げて後を追う。

アルマス広場でのダンスの練習
出番を待つ楽団員
少女たちも練習に余念がない

夕食は散歩を兼ね、オビスポ通りをホセ・マルティン像から海岸端まで昼間と逆に歩いた。記念日とあってアルマス広場では子ども達が本番に向けてダンスの練習をしていた。揃いの白いスペイン風の衣装を着た楽団員も出番を待っている。
海岸通のレストランは一寸高級だが(一度席についた若者がメニューを見て席を立って行った)、ミクス・グリルもタコのガーリック焼きも、ロブスターも、アスパラガスの炒めものも、パエリアもそこそこ美味しかった。
ナプキンの細工
ミクスグリル
タコのガーリック焼き
ロブスター
アスパラガスの炒め
パエリア

対岸にライトアップされた要塞の「ドン」(大砲の発射)も9時に聞けたが、記念日(なにの記念日かは知らないが)なのに一発だけだった。2本のワインを空け、ほろ酔い気分でホテルまで歩く。アムスボンドスではロビーで楽団の演奏と、スパニッシュダンスをやっていた。迎えのホテルフロリダは静かに落ち着いていた。
スパニッシュダンス本番

ベッドカバーの芸術

8日目(5/20日)6時ホテル発。6時のホテルはまだ暗く、ロビー、フロントはまだ真っ暗。ソファーで寝ていたガードマンが、掛かりを起こしに行ってくれた。こんな処はいかにもお役人仕事らしい。街もまだ暗く、街灯も十分ではないが、すでに出勤の人は歩道を歩き、バスやトロリーのりばには大勢の人が待っている。バスの中は人で一杯だ。案外働き者が多い。

空港到着しチェックイン。ここでは出国税を25クック取られる。出国手続きは丁寧だが遅い。ガイドはここを通過するまで外から見送ってくれた。他所のガイドもそうしている所を見ると、出国手続きでトラブルが起きることがあるらしい。この空港の売店の応対はいかにも共産圏で、目の前に両替所があるのに、カナダドルでは支払いできず、通貨はクックに交換してこいという。(現地の民間人が外貨交換をするのは禁じられているのかもしれない)カウンターのカード読み取り機は故障しているのでキャッシュオンリーだと宣う。サービス精神に欠けている

エア・カナダ1749便は定刻に離陸、ラテンの国にサヨナラをした。決して楽しいばかりではなかったが、何やら寂しいような、ホッとした気持ちになる。

トロント空港のレストランで一息

総じて言えば、この国は貧しい国ではあるが(物価は安い)管理体制は厳しくなく、軍隊や警察が前面に出てこない。街角の警官(兵士)の目は澄んでいた。
ホテルの対応もそれなりの水準である。ゲバラがずいぶん優しく感ぜられた。人気は作られたものでなく本物だ。ヘミングウエイは男っぽいがシンプルで素朴な人間だったように、所有船から感ぜられる。飲んだカクテル3種はいずれもラム、砂糖が入ったもので飲みやすく、まずまず美味しかった。
ゲバラの顔がいい
ゲバラの顔が彫ってある人民ペソ

自然男児 ヘミングウエイ キューバ6

2013-05-30 14:44:11 | 雑感
メリア・パラデロの吹き抜け


本日はキューバ第二の目的ヘミングウエイを辿る

6日目(5/18土)7:30分起床。前日夜更かしをしたのだが二日酔いはなし。ただやはり食欲はない。朝食はヨーグルトとフルーツ、目玉焼きと軽めに済ます。
朝食後、背後の海岸に出る。海の色が実に綺麗。浅いところは浅葱のガラスのように透き通り、沖に向けて群青の深みに色を変える。浜辺の白砂、海上の船の色とりどりの帆が、一杯の陽光を浴びて、実に綺麗。沢山の観光客が浜辺に群れ、ここが社会主義国であることを忘れる。

旧デュポンの別荘

ホテルのすぐ前は低い崖、東のほうは砂浜、その向こうには昔デュポンが所有していたという緑の屋根の別荘が見える。ホテルの野外レストランへの出入り口にはガードマン(警察官?)がガード。強面ではなく、問い合わせにも丁寧に答えている様子。ビーチにはデッキチェアが並び、沖では足こぎボートやシュノーケルをしている人。足を、打ち寄せる波に任せながら、本を読んでいる人など。ビニの水着の女性が殆ど。自由主義国と何ら変わりがない。

イグアナ

屋外レストランでは賑やかなラテンのリズムに乗せて、スペイン語で喋る男女の司会者。足元の小石にはイグアナの子供(小トカゲ)が沢山いた。結構可愛い。12時半ホテルメリア・パラデロ出発。
途中休憩所でピーニャ・コラーダを一杯。

ヘミングウエイの旧宅
トローリングシップ

3時過ぎヘミングウエイ博物館(旧邸宅)へ。ヘミングウエイのキューバでの住宅。5,6個の部屋の壁にカリブーやトナカイの首の剥製が二十個ほど架けてあり、執務机の上には小さな熊の首も置いてある。
作家の住宅らしくどの部屋にも蔵書が収納され、立ったまま打ったといわれるタイプライターも展示されていた。華美な調度品、絵画等はなくいかにも自然を愛した作家らしい住居である。丘の上には風が吹き渡り、遠くハバナの革命広場のモニュメントが遠望できた。ヘミングウエイ自身はこのモニュメントは見ていなかったのだろうが、革命の熱気は感じていただろう。スンズンと言う5cmくらいのハチドリが家の前のツル棚で遊んでいた。
邸内の下の方にプールと猫のお墓、つり船が保存されている。船はキャビン付きの10m以上のものだが、木製の艤装でシンプル、がっしりと力強い感じのするトローリングシップだ。

ヘミングウエイ愛用のレストラン
常用の窓に近い席


そこから10分くらいの漁村コヒマルへ。「老人と海」の舞台である。ヘミングウエイ愛用のレストランには、いつも座っていた席が保存され、モデルとなった漁師の写真とカストロなどと握手している写真が飾ってあった。飾り気の無い人柄がにじみ出ているようだ。アメリカはヘミングウエイがキューバのスパイ行為をしているのではないかと気にしていたそうである。けつの穴の小さい人間がいたものだ。港は海開きの直後でお祭り騒ぎの人出。屋台も出て、スピーカーから音楽も流れ人々は踊りださんばかりである。モニュメントの周りには大勢の若者が騒いでいた。アーネスト・ヘミングウエイなのだが、そういえばゲバラもエルネスト・チェ・ゲバラではなかったか。キューバでは正直者が大成している。

コヒマルの港
モニュメント
海開きの賑わい
若者で一杯

喧騒の中から早々に引き上げしてハバナへ。10分程で海底トンネルを潜って、カテドラル近くのホテル・テレグラフォへ。隣のレストランで夕食後、又パルクェ・セントラルのラウンジに愛嬌のあるウエイトレスに会いに行ったがあいにくこの日は勤務していなかった。モヒート1杯で退散。10時30分就寝。

戦士 チェ・ゲバラ キューバ5

2013-05-28 22:50:09 | 雑感
列車襲撃記念碑

5日目(5月17日)ここに来た目的の一つはゲバラとヘミングウエイを訪ねることにあった。この日はゲバラの足跡を訪ねた。
朝ホテルを8時に出発。昨日の展望台方面に。この地方(或いは田舎といっていいのか)は馬車が多い。放牧の家畜にも馬が多かったが、乗合馬車、荷物運搬荷馬車が多く使われている。軽快にギャロップ(駆け足)で蹄の音を響かせ走り回っている。


列車の展示室

車はいつしか急勾配の坂を登り始め、インヘニオス渓谷の背後の山を越えて、サンタクララへ。まず革命の勝利の発端となった、装甲列車襲撃記念碑へ。線路脇の小公園のそこには、襲撃した列車が脱線した配置のまま保存展示されていた。貨車が写真や当時の内部装備などの展示場になっている。装甲といっても、列車の壁の間に、防熱のための砂をいれ、武装兵士が乗り込んでいたと言う程度らしい。ブルドーザと小銃と火炎瓶で襲撃したのだから奇襲の部類だったのだろう。貨車の横にパイプ椅子を並べ小学生が野外授業をしていた。

市内を走るオートバイ乗合

そこから市内を見た上で、サンタクララの革命広場にあるゲバラ霊廟へ。ボリビアのゲリラ戦で亡くなったゲバラの骨がここに帰ってきているそうだ。霊廟へは手荷物を預け、帽子をとって入り、私語は禁止である。地下のようなところに、火がたかれ、20枚近くの革命戦士の肖像のレリーフが壁に飾られている。その真中に同じ大きさでゲバラのレリーフはあった。思ったより質素である。




革命広場を見下ろすゲバラ像

アルゼンチンの裕福な家に生まれたゲバラは、医学生として学び、南米各地を巡っている折、メキシコでカストロと出会い、革命家の道を進んだ。チェとは「あの~」とか「えーっと」という意味らしい。写真がすきでカメラも愛用。治療道具とともに展示してあった。革命成功後、工業大臣を務め、日本にも2回ほど来たという。革命広場に立つ像はゲリラ戦の時の銃を片手に一歩足を踏み出している姿のブロンズ。下の展示室の写真も格好が良い。強い意志と包容力をを表す柔和な眼、額がいかにも革命家らしい。フィデロ・カストロと写っている写真は話し声が聞こえてくるようだ。勇ましいばかりでなく、分別の有りそうな、優しさがにじみ出ている。北朝鮮や中国、ロシアの偶像とは一線を画す。革命広場のブロンズの右下にはカストロに当てた最後の手紙が刻まれ、国民に語りかけている。やたらに英雄視したり煽るようなところがなく、好感が持てた。

パラデロのリゾートホテル

終わって、一路パルデロヘ。到着は5時。ここもリゾートホテルでトリニダーより高級だ。バッフェの質も良い。ゲバラの軽い興奮もあり、レストランでワイン3杯、ピアノバーでカクテル(モヒートなど)3杯。本日はちょっと飲み過ぎ気味。午前1時就寝。

多面性を持つ国 キューバ4

2013-05-28 01:54:57 | 行ってきました
海も空も青く陽が燦々

4日目(5/17)本日は11時ホテル発ののんびりした一日。トリニダーの休養日。
朝食後、ホテル奥の砂浜に出てのんびり。いかにも南国のリゾートと言う雰囲気だ。
展望台への案内板この谷が世界遺産?

11時ころホテルを出て、インヘニオス渓谷へ。渓谷といっても緑の牧草地が広がるゆるやかな谷。これが世界遺産だといわれても、何が?というような景色だ。革命軍が山にこもって戦ったと言う歴史を踏まえても、腑には落ちない。仕方ないので展望台に上がり、カン・チャンチャラを一杯飲む。

シンボルの塔

塔からの景色

次は国立公園だという、塔のある建物へ。5層の30mくらいのどうということもない建物。飲み過ぎなのか、木製の階段を上がるには少し息が切れた。降りてきたらもう昼飯。朝が遅かったので、4人で一人前ですます。名物の豚肉は、噛みごたえがああった。
団体客が後から入って来て、それにバンドが付き、又賑やかになる。この塔と付属の建物は昨日行ったカンテーロ氏の持ち物だったそうだ。後陶房を見学するが特に特徴と言ってナシ。スペインからきたCHICHIという人が技法を伝えたというが、よくわからなかった。
昨日のトリニダーの街に戻り、女性軍は露店をひやかして歩く。テーブルクロス、木製の自動車のクラシックカーのモデル、アクセサリー等を見て回り賑やかだ。

露店は続く
トリニダーの街並み
このおじさんの手招きで入った

帰り際、道端の「ART」と書いてある展示場に足を踏み入れ、無口な親父が手振りで「見てゆけ」と案内してくれた部屋で、珍しく控えめな男女が飾ってある絵の説明をしてくれた。同行の義妹が「これが面白い」と言って葉巻を吸う女性のイラストを買う。なんと説明をしてくれた中年の女性が描いたものらしい。なかなか面白い絵柄である。本日の観光はこれでおしまい。キューバには観光資源が少ないのではないか。或いは自由時間を楽しめというラテンの配慮か。

ホテルはこんな湿地帯の中にある
バーの前にある椅子

宿に帰りホテルのバーでカクテルを2杯。この日は展望台で一杯、昼食時にビール、ここで2杯、夕食時に2杯、食後もまたここで2杯とよく酒を飲んだ。厚くて風がさわやかなので、お酒も進む。夜舞台では昨日のバンドと歌手が歌い、合間に長身のモデルがファッションショーを披露していた。この国は総じて貧しい国ではあるが、卑屈になることもなく、精一杯やっているのではなかろうか。

部屋に帰るとタオルでこんな飾りが

バッフェのパン置き場

多面性を持つ国 キューバ3

2013-05-26 08:38:04 | 行ってきました
ピーニャ・コラーダを売る売店
これがそのコラーダ。ラムはお好みで。

三日目(5/16) 本日はリゾート地 トリニダーへ。
要塞の近くの海底トンネルを潜り、ひたすら荒地、ジャングルの続く片側2車線の道を東へ走る。9:30頃休憩。ピーニャ・コラーダ(ラム,砂糖、ココナッツミルク、パイナップルジュース)のカクテルを試飲する。
シェンフェゴスの街並み
人気歌手ベニーのイラスト入り箱
仏様式の建物

世界遺産の街シェン・フェゴスへ。フランス風の町並みというが、手入れが行き届いておらず、少し薄汚れている感じである。市庁舎、学校、公園は手が入っておりきれいだ。

市役所
波止場に続く道
市役所前の教会?

波止場まで出てみた。ウイークデイなのに若者が数人談笑している。途中の街角にも所在なさげに座っている老人を見かけた。カリブ海は濃いブルーだ。小学校は下校時で迎えに来ている親?が数人いた。治安は悪く無いと聞いているが、何故だろう?

昼食のレストラン
ヨットハーバー


更に走り、昼食はヨットハーバーにある、レストランへ。テニスコートやプールも付いているクラブで、スペイン、フランス、メキシコなどのヨットが係留されている。社会主義国?昨日の五番街のようなものだろうか綺麗で大きい邸宅がならぶ。
ボデギータでもそうだったが、ここでもビールはソフトドリンクと同じで、昼食に付いているのが嬉しい。ここでも欧米の団体客と同じになった。日本人、中国人、韓国人には会わない。食事終了後トリニダーへ。ここも町並みが世界遺産だというが、カラフルなペンキ塗りの家屋が続いているが、古びていて、それほど感慨がわかない。

カンテーロの屋敷
塔の上からの景色
塔から降りる階段
カンテーロ邸のリビング

カンテーロ(医者であり、サトウキビ農園主で財を成した有力者)の屋敷跡で家具、食器などを見、小さな塔へ登ってみる。部屋に控えている説明のおばさん(これも公務員か?)によれば、18世紀イタリア、フランス、インドからの者を使用していたのだそうだ。キューバはカリブ海に浮かぶ西インド諸島の中でも、かなりスペインなどの欧米、ラテンアメリカ諸国から有力視されていたのだろう。

古い教会
カン・チャンチャラを飲んだタベルナ
トリニダーの街並みと道路
トリニダーの露店

休憩にタベルナ(レストラン)で「カン・チャンチャラ」というラム・カクテルを味わう。ラム、レモン、ハチミツの簡単なカクテルで、革命軍兵士が考案したものだそうだ。この街は、凸凹ではあるがポンペイの遺跡のように石畳が敷かれ
、中央線が大きい石で書かれている。この石は貿易船が積んできたものだそうだ。街を作る直前ミサを行った広場、古い教会やロマンティック博物館(工事中)等を外から眺め、露店の脇を通って車へ帰ろうとした。ここで女性軍が露店のテーブルクロスやテーブルセンターに目を留め、足が止まった。あれこれ3箇所以上の店で交渉し、購入し、買い物を楽しんだ。意外だったのは、露店の横では男も混じってクロスの刺繍をしており、商品に興味を示すと見るや、ご主人らしき男が手を止め売り込みに出てくるという働き者だ。発展途上国の常で、街角では若いものがぶらぶらしているが、暗さや、不気味さはない。小さい子供を釣れたお母さんも街を多く歩いている。

デルマルのロビー
歓迎のラテンダンス
ホテル内のプール

町を後にして、半島部にあるホテルへ。ホテル・トリニダー・デルマル。バー、レストランが数箇所、プレイルーム、プール、演奏舞台がある本格的リゾートホテル。到着したら、カーニバルの衣装をつけた踊り子が出てきて歓迎のダンスをしてくれた。
夕食前に、早速バーでモヒートを味わいのんびりした。部屋は冷房がガンガン効かせてあるので寒いくらいだ。サービスというより電気の無駄使いではないかと心配する。

3階の部屋からの眺め
ホテルの我々の部屋

明日が遅い出発なので、夕食後もゆっくりし、プールサイドでうたた寝を楽しむ。バンドの演奏音も気にならない

多面性を持つ国 キューバ2

2013-05-25 03:23:44 | 行ってきました
本日はキューバ初日ということで少々長くなりますが、少しお付合いの程を。

ハバナの街角 バイク・タクシー

5/14(火) 朝食は例のバッフェ。量が豊富。チーズ・パン・卵・サラミ・ソーセージ・野菜・果物・ヨーグルトと、ところ狭しと並べられ、ウエイター、ウエイトレスがこまめにテーブルを周る。ここではキューバが貧しい国だとはとても思えない。窓の外には、自転車三輪のタクシー、アメ車クラシックカーが通り過ぎ、ハバナに来たぞと楽しくなる。
カテドラル
国立劇場
ホセ・マルティンの像

黄色いタクシー 野球場の投手交代に使われているのみたいだ

9:30ホテル発。近くのカテドラル(国会議事堂)国立劇場、映画館、建国の父ホセ・マルテン像を案内される。タクシーはオールドアメリカンの大型車。馬車,BC三輪車。公園には一日中野球談義をしている人達(ガイド談)がいる。

革命広場の記念塔
左にチェ・ゲバラ
右にカミロ・シェンフェゴス
ここにもホセ・マルティンの像

革命広場。塔が建ち周りを囲む各省の建物の壁面にゲバラとカミロ・シェンフェゴスのイラスト壁画。広場を囲み防衛省、内務省、郵政省、共産党の建物が並ぶ。丘の上に広がるだだっ広いところだ。メーデーなどには沢山の人が集まり、カストロなどが演説を行う。

モロ要塞

ハバナ大学。斜面に作られた大学。制服をきた高校生の一団が取り過ぎる。ここは無償。但し卒業後2年間国営企業で働く。5番街=かっての高級住宅街。今は大使館などが使っている。今日は風が強いのか、海岸沿いの道路には波しぶきが堤防を越えて散る。海底トンネルを通り砦へ。モロ要塞。スペイン統治時代、海賊への備えとして作られた。スペイン時代の大砲が飾ってある。これを毎日21時にぶっ放すそうだ。革命当時には刑務所として使用。
人気者の葉巻を巻くおじさん

カバーニャ要塞

サトウキビジュースを飲んでみた

構内には、世界一長い80mの葉巻(ギネスに登録)を作ったおじさんがいる売店があり、カストロ、ゲバラ、チャーチルなどが愛用した葉巻を売っている。おじさんと気さくに記念撮影。
帰り道、海に突き出たもう一つのカバーニャ要塞へ寄る。

大量のモヒートを作るマスター
店内でラテン音楽を演奏する楽団

昼食はボデギータ・デル・メディオ(真ん中の店という意味)の2階で。壁にブラジル大統領などが来店した時の写真が沢山飾ってあり、壁一面に落書きがびっしり壁紙模様のように書いてある。別室には橋本龍太郎、川島なお美などの写真も掲げてあった。ここも、五人のバンドがやってきて演奏.CDを売りに来る。1階のカウンター(ここはモヒート発祥の店)でモヒートを一杯やる。我々が座った直後、30名近くの団体が入店。人で後が一杯になる。カウンターの上はその団体客用のモヒートを作るためのグラスが3重にずらりと並び、砂糖、ミントの葉、レモンをダバダバと注ぎ、すりこ木のような棒でグラスの中のミントを突っつく。氷とラムを無造作に注ぎ、ソーダを入れて出来上がり。テーブルの上はこぼれた材料でびしょびしょ。なんとも大雑把な作り方である。できたら手を出す人に無造作に渡しお客の確認なんかはしない。2つほど余って残るが頓着しない。いかにもキューバだ。ここで記念にグラスとミントの葉を潰す棒のセットを買う。日本に帰ったらモヒートパーティをしよう。


記念撮影用の衣装をまとう女性

そこから近くのヘミングウエイの定宿ホテル・アムスボンドスを覗き、スペイン時代の総督府を外から案内され、対岸に建つバチスタの奥方が買ったいたり大理石で作られた巨大なマリア像の説明を受けた後、ラム酒博物館へ。「ハバナクラブ」と言うメーカーで、1年、3年、7年、・・とだんだん高級になり値段も飛躍的に上がってゆく。泡盛かウイスキーのようだ。製作工程や道具が展示され、サトウキビが原料のせいなのか、昔は奴隷労働に支えられていたという。7年ものを2本買う。

ラム酒博物館

体育館のような広い建物の中で絵や土産物のフリーマーケット(露店)をやっており、ひやかして歩く。物売りや写真撮影用の原色の衣装を着た人たちは、モロッコと同じによく声をかけてくるが、ラテンの国らしく、街角、レストラン、公園などでは楽団が賑やか。ボーッと座っている人も多い。フリーマーケットも隣同士おしゃべりしていて、商売熱心とは言い難い。尤もあんまりうるさくなくてこちらは助かる。店の前を通ると「ニーハオ」と声をかけてくるので、「ジャパニーズ」と返すと途端に「こんにちは」と言ってくるところなど屈託がない。

フリーマーケット前に停まるSL

夜は近くのレストラン。ホテルの昨日のベルボーイに「いいところはないか」と聞いたら、「任せとけ」と言わんばかりに先をずんずん歩いて店先まで案内してくれた。バカに親切である。数日後やはりレストランの前で入ろうかどうか迷っていたら、通りすがりの人が、何やら「ここのは美味しい」といっているようだ。お客を連れてゆくとキックバックがもらえるのかもしれない。しかしここの店の料理は美味しかった。ウエイターのサービスも良い。ここでもバイオリンとギターの二人連れのバンドが来た。隣の部屋では舞台があり7~8人編成の楽団が演奏していた。いずれもまずまず聴かせる。



帰りにホテルのメインラウンジに立ち寄り、モヒートを飲みながら昨日のウエイトレスとやり取りを楽しむ。彼女は「ユー・アー・マイ・フレンド」と言ってにっこり笑い、グラスを覗きこんで『ワン・モアー?」と勧める。その間の良さが絶妙である。サービスだといってピーナッツの皿を持ってきたり、「甘すぎるので取り替えてくれ」と交換したモヒートを、「これは勘定に入っていない」と説明。一旦勘定してから注文したお酒については、「さっきチップはもらったから、この分はチップを付けないで」と感じが良い。再会を約して気分よく部屋に戻った。この日のバンドはアルト・サックス、女性ボーカル、エレキテカルピアノで気持ち良いBGMだった。これらのサービスは自由主義国でも十分通用するレベルだ。

こうして見ると、社会主義国ということは全く感じられずラテンの明るい国だ。ただフロントの応対などはやはりサービス精神には欠ける。社会主義特有の画一した統制をあまり感じない。

多面性を持つ国 キューバ

2013-05-24 05:27:58 | 行ってきました

バンクーバーからトロント経由で出発

ハバナ空港は暗かった
ホテルのロビー

5/13日(月) 二年越しでやっと来れたキューバ。午後9時ジャストに到着したハバナ空港は暗い。ポツンポツンと街路灯があるくらいで、北朝鮮を連想させる。
しかも蒸し暑い。緯度のせいか、雨季のせいか。小柄なガイドエライナさんの出迎えを受け、ワンボックスに乗り込む。たどたどしい日本語を聞いていると「異国へ来たのだ」と実感する。
途中、革命広場の脇を通るが、ビルの壁に大きなゲバラの肖像のイラストが光る。周りが暗いだけによく目立つ。ネオンなどはほとんどなく、街路灯だけの街にあるホテル・パルケセントラル着。
この前も暗いが、暗い中、人が集まっている。



ホテルの部屋は綺麗だ。

案内された部屋は綺麗でヨーロッパ風にモダンだ。シャワーブースまで付いている。ロビーでジャズの演奏。ベルボーイの愛想が良い。チップ5クックを渡したら、一層良くなった。ラウンジで早速名物のラムカクテル・モヒートで乾杯。少し甘いが、ミントの葉の爽やかな香り。同行の女性軍は賑やかにお喋り。1時近くまで談笑。ウエイトレスとのやり取りも楽しい。キューバサンドイッチのつまみも美味しい。コロニアル様式の良いホテルだ。
キューバの代表的ラムカクテル・モヒート
夜半までバンド(日替わり)が演奏
朝のメインラウンジ

行って来ました

2013-05-23 03:13:42 | 行ってきました

ゲバラは少し優しく感じました

一昨日キューバからバンクーバーに着きました。
暑い国から、肌寒いところに来て、ちょっと面食らっています。

ところでキューバについてどんな国だと想像していますか?
私は、数年前といっても10年近くになりますか、経営コンサルタントの船井幸雄氏がキューバのことを絶賛しているのを聞き、ちょっと興味を持ったことがあります。
古くは東京キューバンボーイズのマンボ、髭のカストロ、ケネディ大統領の時のキューバ危機などが記憶に残っていますが、最近はフィデル・カストロの引退以来
特には印象に残ることはありませんでした。

社会主義国が軒並み体制変革を強いられる中(中国は変形資本主義?)、北朝鮮とキューバだけが旧態を保っているように見えます。
チェ・ゲバラとヘミングウエイの国は今はどんな風になっているのか、ラテン、カリブ海の真直中の国へ、興味津々でいってみました。
(続く)

雨のバンクーバー

2013-05-13 10:20:06 | 雑感


こちらも今年は異常気象。一八〇〇年代以来の高温だそうだ。
にちようびの事ゆえ静かな住宅街を散歩。日本製の車が圧倒的で、五割を超えているのではないかというくらい。



小学校も日曜日で雨とあって、閑散としている。国旗がはためいているだけだ。


店内には順番待ちのお客さんが一杯いた。

本日は母の日。市内の中華料理の店に義妹家族と食事に行った。繁盛店だけあって、テーブルはお客で一杯。行列もできていた。エビ、イカ、ホタテ、など海鮮がふんだんに使われている飲茶はどれも美味しい。素材が良いだけでなく、味付けも巧みである。舌鼓を打って感心していて写真をとるのを忘れるほどであった。

この街の中華料理のレベルはかなり高い。20世紀末の香港の中国返還の際、中国のお金持ちが料理人を連れてカナダに移住してきて以来、ここの料理レベルは一挙に上がったという。

明日からのキューバ行きの英気は十分養えた。