遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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のんびり・ゆったり八重垣諸島(その5)

2014-10-31 06:05:19 | 行ってきました
 離島への連絡船

大岳(うふだき)展望台

台風の影響はまだ残り、相変わらず風は強い。名古屋・蓼科あたりの台風しか知らない我々は、せいぜい12時間くらい経てば、風も雨も止むくらいに考えていたのだが、ここらでは、まる2日なんてのはザラで、しかも大きさが成長しているというのだから始末に負えない。というわけで、本日も波照間行きは欠航。そこで竹富の次に近い小浜島(こはまじま)にゆくことにした。
 マングローブの林
 新しい展望台

ここは竹富より少し大きく、少し高い。といっても100mもあるわけではないが、若干の起伏がある。そこで、自転車ではなくオートバイを借りることになったが、あいにく私が免許証をホテルに置いてきたので、長男が家内と二人乗りし、私は電動自転車を借りることにした。これが案外快適で、確かに電気がアシストしてくれる。坂道を心地よく登ったり降りたり出来た。まずは小高い丘の上に立つ大岳(うぶだき)展望台に登り、次にはリゾートホテル跡地へ。

コンドミニアム仕様の一軒家の集合体だったところが、一棟500万で売りに出されているそうだ。その安は魅力だが、目の前に海があるだけで、ほかは何もないところでどうやって暮らすのだろう。
 海はどこも綺麗だ
 浜は透明な波が打ち寄せる
西表島はすぐ先だ

NHKの朝ドラ「ちゅらさん」のロケが行われたという民家や記念の展望台(既に閉鎖されて別の展望台がオープンしていた)が残され、マングローブの林が海岸沿いに生い茂る浜を眺めたり、とにかくのんびりした。後から思ったことだが、この島はのんびり派かリゾート派かが、はっきりしない中途半端ではあった。この日は早めにホテルに戻り、長男は荷造りをして飛行場へ。
我々はまだ楽しむため、730交差点近くの食堂「南(ぱいぬ)ぬ島」で夜のお酒(=終始一貫「請福」だが)を飲む。隣り合わせになったのがモンゴルの馬頭琴を引く青年。その友達の神戸の青年。と楽しく酒を飲んだ。毎日宴会をし、旅人同士仲良くなるというのは南西の果てまで来ているからだろうか。とにかく乾杯!

 波止場から石垣に戻る

のんびり・ゆったり八重山諸島(その4)

2014-10-30 03:33:56 | 行ってきました
 おじいが曳く水牛車
 のんびり揺られて
 屋根の上のシーサー
 石垣で区切られた民家

足掛3日間暴風雨に見舞われ、離島への便が欠航した後、ようやく竹富、小浜島などの便が復活し始めた。何しろ台風19号は時速10km~15kmで襲来しており、しかも発達を続けているという情報だ。レンターカーを返そうと電話したら、「返しに来てもらっても、ホテルまで送っていけませんので、もう一日借りてください」と言われる始末。(もっともこれは電話を取ったのが、沖縄本島の営業所だったことが後から判明)のんびりとコンドミニアムで読書に耽り、家飲みで時間を潰すことしかできなかった。

まずは一番手近な竹富島へ。石垣から10分ほど西の島。人口350人足らず、周囲9.2kmの小さなところだ。赤瓦の家、牛車、珊瑚礁の海岸、花が咲き乱れる「ザ・オキナワ」といった風情だ。
高速艇で離島ターミナルから高波を蹴立てて10分ほどで竹富島に到着。足止めを食らっていたお客様が5~60人ほど島に渡る。
 コンドイ浜
 ガイジ浜

まずは水牛の引く車で、石垣を巡らしてある民家の通りをゆっくりと回る。オジイが巧みに水牛をゆっくりと誘導し狭い道を歩く。のんびりと牛を追い、説明をしたり、三線を取り出して歌ったり。折から顔をのぞかせた太陽に焼かれながら家々の間を通り抜ける。30分ほど揺られて水牛車は終了。次は自転車を借りて島内散歩。
 沖縄にはこうした立派なお墓が多い ここで宴会をするそうだ
 さすが亜熱帯。この季節なのに花が咲き乱れる

まだ風と波が吹き付けるコンドイビーチ、ガイジ浜(おにぎり、弁当を食べる)、竹富東港、なゴミの塔、西桟橋などを巡る。10数年ぶりの自転車もはじめはよろよろしたが、次第に慣れ、快適になってきた。この集落は我々が描いている沖縄のイメージ通りの,屋根、シーサー、石垣、お墓などが残っており、人ものんびりだ。帰りの船を待つ間に食べた氷屋さんに現地のおばさんも来て賑やかに店の人と会話していたが、全く我々と時間の単位が違うようだ。
 島内最高所 なごみの塔

身も心もゆったりとくつろぎ、まだ高波の残る海を渡って石垣に戻った。石垣港には海上保安庁の巡視艇が5,6隻停泊していた。そういえば昨日まだ海が大荒れの中、沖を走っていたのを見た。尖閣警備のための出動だろうか。任務とは言え大変な業務である。
 一休みしてかき氷
 海上保安庁の巡視艇



名残の楓

2014-10-29 11:35:55 | 行ってきました
 本堂前のもみじ

家の周りが紅葉真っ盛りなので、少し下がった茅野市の紅葉の名所長円寺に行ってみた。
11月5日まで公開しているとのことで、今が紅葉の頂点かと期待して行ってみた。昨年初めて来て、見事な紅葉(もみじ)と黄葉(いちょう)を想像していたのだが残念。楓はさかりを少し過ぎ、イチョウはまだ緑の葉であった。

盛りを過ぎたとは言え、逆光に透かされた紅の色は鮮やかで、雲一つない秋の高気圧に覆われた青空に映えていた。やはり屋外は天候に左右される。

それでも立ち寄る人は引きも切らず、名残の楓を愛でたり、池端の鬼灯を眺め、門前の地蔵群や水琴窟を回っていた。

花はこれから生命の溢れる春に向かう季節の力強さを感じる。紅葉は力いっぱい生きてきた季節の終わりに精一杯色を付け命を燃やす。ある種の凄惨さを感じる。

桜より期間が長いとは言え、山国の紅葉は見頃が短いのを実感した。しかし花より強烈、かつ華やかさと寂しさを感じる紅葉も日本の風物詩であろう。


審美眼に迫る

2014-10-27 15:50:36 | 


山本兼一著「利休にたずねよ」PHP社刊 2008年11月初版発行

第140回直木賞受賞作。千利休の半生を描いた作品。切腹当日から徐々に遡って記載し、関連の人々、秀吉、細川忠興、古田織部など周りの人々の目を借りて、利休の本質に迫る。

茶道など齧ったこともない私だが一連の茶事(道具=掛け軸、花入れ、茶碗、茶筅、など。食事、茶室のあつらえ)などの世界に引き込まれる。世俗の権力の頂点の秀吉と利休の確執の描き具合が素晴らしい。単純な聖と俗ではなく、お互いの意地の張り合い、大事なもののぶつけ合いなどが上手く書かれている。なぜ秀吉が利休に切腹を命じたか、得心がいく。

利休の目指したものは、単なる田舎びた侘び寂びの世界ではなく、そこに色艶、命の輝きを内蔵し虚飾を排したたものである。またそのセンスはモノ選びに留まらず、一連の茶の湯の所作に表現されている。動作一つ一つに意味があり、利休の動きには無駄がないのだろう。

茶の湯の意味や、この時代の存在意義がよく分かり、単にお茶を入れることがいかに相手の心に響くか、もてなしの気持ちを自然に表すことの大事さ、滝川クリステルが言った「お・も・て・な・し」の深い意味を垣間見た。

美の追究者でありながら、骨太な哲学を持ち、青年の頃出会った高麗の美少女に対する思いを生涯内面に持ち、現世の妻の直感に悟られつつも、貫き通すという少年のような感性を持つ。ここらあたりは作者の創作であろうが、命の輝きを持つ侘び寂びを表現するには格好の題材である。

これは内容的にも、形式的にも傑作といえる小説だろう。久々に充実した小説に出会えた。

のんびり・ゆったり八重山諸島(その3)

2014-10-25 00:49:25 | 行ってきました
 投宿したホテル

石垣島3日目4日目は文字通り、のんびりゆったりであった。
というのは、朝起きてみたら、風は一層唸りを生じ海は白波が高い。ホテルはマンションを改造して使っているせいか、2LDKつまり、2ベッドルーム、リビング、キッチン、バス・トイレと至って居心地は良い。8階の部屋から見下ろすと、海側と反対のフロントは大きな公園になっていて、遊具か東屋の設置工事をしているのだが、風で資材が吹き飛ばないように係員が養生をしているのが見て取れる。
 離島ターミナルにある具志堅像

部屋に缶詰になっていてもしょうがないと、強風の中離島ターミナルに行っては見たが、もちろん全島連絡便は欠航。具志堅の像が寂しく両手を挙げていた。彼はこの石垣出身の英雄だ。することはないので、部屋に戻って、読書。百田尚樹の「ボックス」を読む。夕方はまた街に出て居酒屋へ。長男は1,2度行ったことのあるという、こじんまりした店へ案内してくれた。石垣はこんな台風はなれているのか、他にもお客は入ってくる。魚持ち込みの若い男や、家族ずれ(昨日も一昨日も見かけたが、ここでは居酒屋に家族ずれで来るのは珍しくないようだ)
 突き出し
 シャコ貝に盛られた刺身
 グルクン
 海ぶどう

突き出しはおつけもの。後のお刺身も料理も皆美味しい。またまた請福(すっかりお馴染みになった石垣の泡盛)が進む。本日はここで満足して腰を落ち着け、またまた酔っ払ってしまう。帰りに締めの八重山そばを食べ(どのお店に行ったのか酔っ払っていたので定かではない)またタクシーで帰還。一日中風が強く、タクシー代を運転席横に置いたら、千円札が車の外へ吸い出され、どこかへ飛んでいってしまうアクシデントがあった。出したのが一枚で助かった。

今日は丸一日ホテルにいたが、台風の風が一向に弱くならない。この離島では台風までのんびりゆったりするのだろうか。

冷えてきました

2014-10-24 00:21:47 | 雑感
 玄関までのアプローチ

ここ2,3日急に冷えてきました。山小屋の前のアプローチには、見る見る落ち葉が積もった。色とりどりで風情があある。掃くのも大変なので、秋の絨毯と洒落こもう。

24節気は秋の最終節気、霜降(そうこう)。文字通りここらは朝夕ぐっと冷え込みもう少し上では霜も降りそうだ。72候は初候「霜初めて降る」。空がだんだん澄み渡る。晴れていれば十三夜の月は煌々として明るいだろう。美味しいのはホッケととんぶり。私は干物と、山芋に添えて食べる食感が好きだ。最も秋は何もかも美味しいので、ことさら何がうまいと言わなくても良いようだ。

この時期、スッキリとした気候で体調も良くなり、体も動かしやすいのもあいまって、味覚も鋭敏になるのだろうか。皆様この際、この時期の体調管理に一度気を配られたらいかがでしょうか。

色とりどりの落ち葉の絨毯

のんびり、ゆったり八重山諸島(その2)

2014-10-23 10:10:24 | 行ってきました
 玉取崎展望台から
 沖の白波の頭が強風で飛ばされ始めた

昨日、すっかりいい気分になって、歯も磨かずに寝てしまったのに、翌日は意外に二日酔いもなく目覚めた。
簡素な朝食バッフェをとり(この旅では3箇所のホテルでほとんど同じメニューだった。チャンプルと「もずく」がもれなく付いているのが有難い)、レンタカーを借り、空港に長男をピックアップしに向かう。連休を利用して我々に合流するという。
レンタカーのナビで空港に向かったが、そこは旧空港で新空港は別の場所というおまけが付いたが無事到着し、長男は既に離島モードで現れ、まず石垣島を一回り案内すると言って北に向かう。
 石垣島最北端 南の島の北の果て
 風が相当強くなってきた海

玉取崎の展望台に着く頃には風が強くなり、沖の珊瑚礁の縁に砕ける波頭が風に吹き飛ばされるほどだ。しかし海の色は綺麗なブルーだ。風も暖かい。風がもう少し緩やかならば、ぼんやり海を眺めているだけでも楽しいだろう。展望台には人が来ていた。連休とは言え最果てのこの地まで、観光客は尽きることもない。(最も我々もその口だが)ここでは車の半分くらいが「わ」Noだ。つまりレンタカー。途中きれいな砂浜に立ち寄り、最北端の平久保崎灯台へ。沖には白馬が走り風もますます強くなってくる。
立っていると飛ばされなくらいだ。

長男は我々のためにシュノーケリングの道具一式を人数分用意してくれて来たのだが、とても使えそうな状況ではない。海の色は手前は緑、沖は紺碧と美しいのに残念だ。道端にアイスクリーム売りの屋台の車(ブルーシールというブランドだそうだが)が止まっており、帰りに立ち寄ろうと楽しみにしていたのだが、風が強くなったせいだろう撤収しており残念。

 川平湾は風裏で波も静か
 砂浜には大勢の人が
 絵葉書になりそうな景色


川平湾という綺麗な浜に到着。近くの売店で(よく田舎にある何でも屋さん、個人コンビニみたいな)天ぷら=白身魚(我々がよく食べる唐揚げの代わりか)を買って、昼飯代りに浜で食べた。この湾は綺麗な場所だ。あいにく遊覧船、グラスボートは強風のため運休していたが、ここは大勢の観光客が訪れていた。此処で念願のブルーシールを味わう。まあ普通のアイスクリームだった。

風は強かったが綺麗な海と木々に囲まれ、温暖な気候でゆったりと生活している人々が暮らす土地をのんびりと過ごした。慌ただしく通り過ぎるのではなく、ゆったりと訪ね歩く旅になった。

 風にあおられる街路樹
 ホテルのリビング(コンドミニアム)

夜は強風の中、また730交差点(石垣市随一の繁華街の目印交差点)近くに繰り出し、うさぎや姉妹店の一魚一会店へ入ったが、強風で量が休みの為か、あんまりいい魚が入っておらず物足りなかった。ついもう一軒ということで入ったがここも大同小異。しかし泡盛だけはしっかり頂いて帰還した。

 1軒目の一魚一会
 二軒目の「しま膳」

のんびり、ゆったり八重山諸島(其の1)

2014-10-22 11:35:04 | 行ってきました
 セントレアから南西航空で
 ジンベイザメ モードの機体(那覇)
 石垣空港到着(夜)

毎日が日曜日の我が身としては、面白そうだと思ったらすぐ行動である。残り僅かな行動期間にどれだけ思い通りに動けるか、あんまり先のことは考えたくはないけど、現実には徐々に体の自由が利かなくなってきているので遊び歩けるのもあと何年か。

ダイビングをやる長男が推奨する八重山諸島に飛んだ。台風18号が東に転じ、東北に抜けた頃を見計らって名古屋から出発。台風の余波を考慮して8日間の日程を取ったが、多分次の19号は我々が現地に着く頃には九州か四国辺りに来ているだろうと見切りをつけて飛行機に乗った。
八重山諸島とは沖縄本島からさらに南西へ1000km近く、遥か宮古島を越えたところにある石垣、西表、与那国などを指す。台湾まで100km足らずの亜熱帯の島々である。

流石に台風の影響は残っており、沖縄・那覇から乗り継いで石垣空港へ着く時には機体が大きく右左に揺れちょっとした緊張に包まれた着陸だった。夕刻到着。すっかり暮れて、空港名表示が証明に浮かび上がっていた。着いた日の夕食は長男お薦めのうさぎ食堂本店へ。6時からのライブは満席なので、9時からの予約をして風の中を石垣島随一の繁華街へと向かう。
 お客の外国人もノリが良い
 兄弟店の店長も応援に
 ツマミの一部 刺身、ジーマミー豆腐、もずく、島らっきょう

居酒屋「うさぎや」は既に満席。島らっきょう、ジーマミー豆腐、ざるもずく、ラフティ、お刺身、ゴーヤチャンプル、海ぶどうなど、手当たり次第に美味しそうなものを頼んでライブを待つ。酒はもちろん泡盛をロックで頼む。案の定つまみはみんな美味しい。島娘のウエイトレスや、ライブをやる女性などが何かとサービスしてくれる。嬉しくなって(鼻の下を伸ばしたわけではないが)つい酒が進み、ボトルで追加。テーブルの上に乗り切らないほどつまみが並ぶが、それを次々と平らげる。

ライブに合わせて、スムーズに踊って盛り上げていた陽に焼けた店員さんに「どこの島のお生まれですか?」と聞いたら、「東京です。今月で3ヶ月です。」と言われビックリ。毎日こんな宴会をやっていれば、すぐ島に溶け込むのか。
 お客さんの飛び入り熱唱
 近くの兄弟店の船長が応援に来て盛り上げ
みんなで乾杯!

外国のお客さん(西欧人)も1~2割入っているが、こんなに食べているのは我々くらいのようである。サービスが良いのはそのせいだったか。
ライブが始まる。ギターと三線(蛇皮線)に合わせ、歌声が陽気だけど切なく響く。大阪からのお客さんが飛び入りで「涙そうそう」を歌う。近くのお店の店主、店長なども一緒になって歌い、踊り、「オリオンビールで乾杯」を合唱。みんなで乾杯。店内は大盛り上がり。
ここが日本であることを一瞬忘れる。楽器こそ違え、ここはラテンの国ではないか。夜は更けるがお客は一向帰る気配を見せない。我々も泡盛のボトルを空けてしまい、いい気持ちになって帰途についた。

もう石垣には5回くらい来ている長男は、人を連れてきたときはまずこの店で離島モードを染みこませてから次の予定をこなすと言っていたが、さもありなんすっかり我々も糸屋でこの島に溶け込んだような気分になった。

タクシーを呼んでもらおうとしたら、店の人が「10秒できます。外へ出ても10秒で拾えます。」と教えてくれる。店を出たらそのとおり、すぐに流しのタクシーが拾えた。初乗り430円でだいぶ本土より安い。人口5万人程度のこの街では相当仕事があぶれているらしい。
フラフラになってホテルへ戻った。八重山第一日は大宴会で幕を閉じた。

ちょいと富士見に

2014-10-21 12:32:42 | 行ってきました
 バスで仲良く
 三保の松原への木道
 ここは神の道だそうだ

クイックスOBで構成される社友会で世界遺産に指定された静岡三保の松原へ行ってきた。

結構時間はかかり、好天に恵まれ9:30刈谷発で12時過ぎに現地到着。
海岸への松並木は木道が整備され、休日とあって人もたくさん出ていた。私も富士山は好きであの端正な姿を楽しみに来た。波打ち際に人が沢山群がっておりそこまで行くと眺められるかと思い、言ってみたが、雲ともやが出ており残念ながら富士山は見えなかった。

 残念 富士山は雲の彼方

 三保の松原

 松林には、初代2代3代と「羽衣の松」が指定され威容を誇っていたが、肝心の富士山が見えないので伝説も当日の天気と同じでかすみがちであった。

 初代の羽衣の松跡
 2代目
 3代目

気軽に行っては見たのだが、残念ながら富士は見えなかった。だがどうちゅうばすのなかで、いろいろ話ができたし懐かしい顔(OB・現在の役員連中)に出会えた。肩書きを外して交わってみると、その人となりが見えてきて楽しい。

レオン(北スペイン) 巡礼の休憩地

2014-10-09 00:37:18 | 行ってきました
 山岳地帯の岩肌
 路傍の崖に生えるエニシダ
 大聖堂
 入口の彫刻
 見事なステンドグラス
久しぶりに北スペインの旅行記を書きます。
北スペインの旅も後半に入り、鄙びた村サンティジャーナ・デル・マルから旧都レオンへと向かった。

オビエドの丘に立つ小規模な世界遺産サンタ・マリア・デル・ナランコ教会を見学し、オビエドの町で昼食。この地はスペイン発祥の国アストリア王国の都だったところ。そこから岩肌が露出した山岳地帯を抜けレオンに向かう。914年>オビエドからレオンへ都を移し、イスラムからの最終防御線とした。峠を越えると山肌には一面のエニシダが黄色の花をつけていた。
 大聖堂正面
 これもいわくのある風見鶏だそうだが忘れてしまった
 教会入口の旧約聖書物語



レオンに着くとホテルに荷物を置いて大聖堂へ。ここはステンドグラスが綺麗なことで有名だそうだが、サン・シードロという7世紀に百科事典を編纂し、文字による布教をした聖人が眠っていることでも有名である。1062年イスラム王はこの聖人の遺体(骨?)を返還したそうだが、この辺はかなりイスラムも寛容な気もする。この大聖堂の入口には細かい彫刻がしてあり、旧約聖書の物語が彫られている。アブラハムが「信仰心が深いならば息子を殺してみろ」と言われ試された様子が見て取れた。ついでながら神からの言葉を預かった4人の聖人は、ノア、モーゼ、キリスト、モハメットで、預言者(予言ではない)と呼ばれるそうだ。聖堂の中はさすがに眩いばかりのステインドグラスの窓が輝いていた。ゴチック建築の技術で、これまでとは違い壁面に大きな窓を開けることが出来るようになったということである。
 巡礼路の案内標識
 街角に立つ巡礼宿の案内
 巡礼宿玄関の床に有る貝の標識

この古い大聖堂をあとにし、巡礼宿を見学に行った。街にはBARが立ち並び(貝の印の案内板もある)その間をぬってゆくと、多くの人が休憩している巡礼宿がああった。受付の机が宿の入口に置いてあり、一泊4~7ユーロだそうだ。自転車の団体もいたが、もう部屋(2段ベッド)や食堂でくつろいでいる人たちもいて思い思いに過ごしていた。巡礼の旅は原則午前中に歩き終え、あとは次の日に備えるというのが毎日のルーティンだそうだ。

帰途、ガウディ設計の銀行ビルへ立ち寄った。それほど奇異な感じはしないが、建物の前のベンチにガウデイが書を広げて座っている像が置いてあり、そこで我々も隣に腰掛けて写真を撮ってきた。
 ガウデイ設計の銀行ビル
 立ち並ぶBAR

この日の夜はフリーだったので、家内とフラフラと街に出てBAR巡りをした。近くのよくお客の入っているBARへ飛び込んでビールを頼み、メニューを見たが,さっぱり分からない。言葉も通じないので、すぐ出た。大きな豚のもも肉(生ハム)がずらりとぶら下げてある店でそれらを指さし「ハモン・プリーズ」と叫んだら、3,4種類くらい切って皿にのせ、「こっちも美味しいから、いろいろ食べたら」(と言っているらしい)と勧めてくれる。その他にガラスケースの中にある出来合いの突き出しを皿に盛って出してくれた。美味しいのでおかわりを頼み、赤ワイン2とサングリア1飲み勘定してもらったら、二人で20ユーロ強だった。安くて旨い。これなら巡礼の旅も続くはずだ。

ひょっとしたらこの旅のきっかけになった、大学の後輩もこの街から巡礼の旅をスタートしたのではないかと思いを馳せながら、ワインを傾けた。