遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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俳句に遊ぶ

2017-04-27 17:28:33 | 雑感


大学のときの友人が俳句のサロンの幹事役をやっている。学者肌の彼は専門が賃金論で、ゴルフもやるが昔はさほどうまいとは思わなかったが、リタイアーした今は晴れればゴルフ、降れば俳句が生活の中心とのことであると聞いた。

3年前彼に勧められ、私もサロンに参加することにした。会費もいらない、先生もいない気楽な会だといわれ、別の同級生の不幸のあった席でのことだった。私自身かなり落ち込んではいたが、葬儀のことで感覚が覚醒していたのか、初めて投稿した句がいきなりトップに選ばれてしまった。

これがプレッシャーになったわけではないが、回が重なるに連れて、次第に壁にぶち当たってきた。TVの俳句番組やNHKの講座などを時々見たりするが、回転の鈍くなった頭ではなかなか定着しない。初回以降は選ばれることも少ない。色々苦しんでいて他人の句をふと見ると思わず感心してしまう。少々がっかりしてしまうが、悪いことばかりではない。

そう言えば、ものを漠然とではなくしっかり見るようになってきたようにも思う。例えば、ただ寒いと感じるだけでなく、日差しが弱いのか、気温が低いのか、風が強いのか、自分の衣服が薄いのか等々気をつけて周りを見てみる。それに加えて、宮沢賢治の童話に寒い夜の事が描写されていたような気がする、とか「マッチ売りの少女」はこれよりもっと寒い夜に外に立っていたのだろう。などと想像を逞しくすることもでてきた。

またその状況の表現も鍛えられた。寒い、凍える、凍みる、しばれる、冷たい、冷えるなど、なるべく短い言葉で情景を表す表現を探す。語順にも配慮する。なにせたった十七文字しかない。これだけで世界を写し取らねばならないのだ。

友人は一日一日進歩しているようにみえる。他人の句に感心すること頻りのこの頃である。

信濃の花見

2017-04-25 03:18:11 | 雑感


道路の向こう側にも桜

芝桜

ハクモクレンも同じように咲く

花見の宴

信州の桜は少し遅めである。4月も最終週に入ってあちらこちらから満開の花便りが届いた。天下一の称号を受けた高遠の桜も先週末満開になった。せっかく信州に来ているので,2度目の花見をしに、茅野運動公園に行ってみた。

少し肌寒かったが、花見の人たちが三三五五花の下で宴を張っていた。歩いて愛でている人達も多い。花は八分咲か、未だ一輪も散りかかっていない。道端のたんぽぽも、芝桜も、木蓮も一斉に咲いている。桜はすくすくと育ち、小園内であちこちで豪華な花を付けている。

土地柄もあるのだろうか、あるいは時代なのか。花見の宴という雰囲気ではなく皆おとなしい。バーベキューは禁止されているが、カラオケもなく、手拍子の歌もない。酒は飲んでいるので、これから盛り上がってゆくのだろうか。乱痴気騒ぎが良いとはいえないが、花が豪華に咲いているので、なんとなく、物足りない。




鳥の訪問

2017-04-24 02:32:26 | 雑感


蓼科の小屋の前にテニスコート半面くらいの池がある。調整池で水中には20cmくらいの魚が泳いでいたし、ヤンマも飛んでいる。しかしこのところ魚の影を見ないなあと感じていた。一昨日散歩から帰ってきてみると、この池に鳥が一羽泳いでいた。よく見るともう一匹、茶色の鳥が離れた所にいる。

渡り鳥だろうが、一羽だけで離れて淋しげに餌を漁っている。シベリアやもっと北から渡ってきた鳥なのだろうか。雪と氷に覆われた故郷に比べれば、ここらはきっと暖かくて天国なのだろう。魚を見なくなったのはこの鳥たちが食べてしまったのだろう。今朝はアオサギかゴイサギか大きな鳥が一羽飛び立っていった。羽根を広げると1mはあった。「ぎゃあっ」という鳴き声が不気味であった。

昔は鹿が水を飲んでいたこともある。小さな池なのに来客が多い。

歴史の検証

2017-04-23 11:29:10 | 


原田伊織「大西郷という虚像」悟空出版 2016年刊

維新3部作の完結編。我々の中にある明治維新像の見直しを迫る最後の著作。日本人に最も人気のある人物、西郷隆盛について検証を加えている。著者によれば、この男は勝海舟や坂本龍馬が言うほどの大人物ではなく、精々薩摩の青年団=郷中のリーダーに過ぎない。同僚からの評価も度量が狭い、好き嫌いが激しい、好戦的で策謀好きなどという我々のイメージとはかけ離れたものであった。

有名な江戸城無血開城も談判は一対一ではないし、場所もどの薩摩屋敷家が確定していない。もともと幕府は戦うつもりはなかった。むしろ幕府を挑発して戦うように仕向けたのは、赤報隊に江戸市中で狼藉を働くよう支持した西郷であると断じている。

奥羽戦争で、恭順の意思を示す会津藩を始めとする各藩を苛烈に攻めるのは彼の粘着性のある恨みの感情から来ていると推論している。確かに我々のイメージにある明治維新は、明治後期に実権を完全に掌握した、薩摩,長州の編纂によるもので、かなり彼らに都合よく語られていることは推測できる。欧米歴訪に向かった岩倉使節団についても、散々な浪費と失敗だったことが当時の政権内にいた人達の口からも語られている。

現在の安倍政権も長州の流れを汲むが確かにこの政権は長期展望を持たないし、森友問題を揚げるまでもなく国費を浪費している。長州にはこんな風潮があるのだろうか。三部作のこの作品を読んでみて、前二作とちょっと違うのは、それでも西郷は人気があったのはなぜか、という疑問だ。没落武士階級の不満があったのは事実としてそれが何故西郷のもとに結集したのかという疑問である。

この三部作を読み終えて、確かに薩長新政府の目線で作られた明治維新像は改めて検証され泣けばならないと思った。桶狭間の戦いを研究している地方史家の話を聞いたり、明智光秀の子孫の書いた本能寺の変の見直しをした本を読んだ時と同じように感じた。先入観を捨てるには面白い本である。

葦始めて生ず

2017-04-20 13:14:49 | 雑感


やっと春らしくなってきた。24節気は穀雨。昨日の雨のように穀物をうるおす春の雨が降るころののこと。72候は「葦始めて生ず」水辺の葦が芽を吹き始めるころ。以前の日本にはいたるところににこんな景色が広がっていたのだろう。そう言われて私が思い浮かぶのは、琵琶湖の岸辺にある「水郷めぐり」くらいのものだが、葦原が珍しいのかそこら辺りは、今ではドラマの撮影に使われるほどだと聞いた。

そういえば、春の行事は案外雨に見舞われる事がある。花見がいい例で「花散らしの雨」はよくある。山国は春が一斉に来たように、桜の季節には桃や杏、遅咲きの梅、などが同時に咲き、誠に賑やかである。最近はチューリップをよく見かける。長島の「なばなの里」や蒲郡のラ・グーナなどでは、チューリップを目玉にして客寄せに使っている。そういえば昨年東京のお台場に遊んだ時、ガンダムの巨大像の足元に咲いていたチューリップが色鮮やかだったことを思い出した。

顔を上げて遠くの山を見ると、雪解けが進み、黒い岩肌がくっきりとし、陰影が深くなってきた。自然に親しむ季節の到来だ。

春はこれから

2017-04-18 09:07:48 | 雑感

裏側に残る雪

水仙の芽も顔を出している

樹々はまだ芽吹いていない

里では既に桜も盛りを過ぎ、すっかり葉桜になってきた。寒いうちはご無沙汰していた山に来てみた。高速道路脇の桜はまだまだ満開の木もあったが、流石に山はまだ春の気配は薄かった。ここら辺りは標高1350mくらいなので、まだ樹々も芽吹きに至っていない。

気温は十分春の気配だが、家の裏手には屋根から落ちて来た雪が未だ溶けていない。小屋をぐるっと一回りしてみると、水仙の芽がツンと空を指していた。緑が瑞々しい。勢いも感じる。少し先ではあるが、いよいよ春がくるぞと言っているようだ。

季節はまさに三寒四温と言ったところで、雪も間もなく消えるだろうし、水仙も咲くだろう。佇まいは未だ冬だが、このところの日差しは春である。名古屋地区の方には一気に初夏ないし盛夏が来ているが、こちらはこれから春である。

気骨ある官僚像

2017-04-15 04:16:14 | 


原田伊織「姦賊と幕臣たち」~列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート~(株)毎日ワンズ刊2016年

前掲の「明治維新という過ち」3部作の第2巻である。我々が刷り込まれている、ないしは誤解している幕末の歴史が、薩長土肥の都合の良いように描かれていることを論破している。徳川幕府の鎖国制度の実態、戦場での人狩り、切支丹による人買い人売り、列強の日本交易競争、幕府の体外協調路線、幕末の通貨戦争、薩摩長州の同盟成立の背景など、我々の目に触れなかったことも多々出てくる。

例えば「鎖国」ということについても、この言葉自体明治になってから普及した。また鎖国令といった法律が存在したわけでもない。この政策は家康、秀忠、家光の3代に渉って順次強化されていったものであり、その方向は外国との交流を断つというより、幕府が管理するという貿易独占政策である。現に薩摩、松前、対馬、平戸の4箇所を窓口として交易を認めていた。

切支丹禁止令も彼らが人身売買を頻繁に行っていたことを秀吉は知り、これを止めたのであり、宗教の危険性を予知したものなどではなかったという。従って徳川幕府が黒船の来訪に驚き慌てて右往左往し、大砲の圧力で開国を余儀なくされ、無知世間知らずのまま、列強と不平等条約を結び、維新後の新政府が正常化に向けて奮闘した。というストーリーは史実に反するもので、徳川幕府は外国に関しかなりの情報を得ており、幕府の交渉担当官は、モラルも高くかなりの交渉胆力をもっていた。岩瀬忠震、水野忠徳、小栗忠順、川路聖謨などの幕府の俊英は高い国家観を持ち、胆力をもって交渉に当たった。

相手方をも一目置くというこれらの官僚は、城山三郎「官僚たちの夏」に登場する、倫理観、使命感をもった官僚を彷彿とさせる。それに比べ先の国会答弁に登場する佐川某という局長の狭量は目を覆うばかりである。確かに此処に至って長州(山口〙閥の悪弊がでてきたとのことか。

とにあれ、歴史は後世の権力者によって作られる。というのは厳然たる事実で、その伝で言えば坂本龍馬、高杉晋作などは作家が作り上げた徒花であろう。第3巻は西郷隆盛についてである。近代史に今までとは違った歴史観をもたらす、この本は知的好奇心を刺激する。




タイヤの履き替え

2017-04-14 03:53:40 | 雑感


ずいぶん暖かくなってきた。今年の春は油断大敵で、彼岸過ぎてもまだ急に気温が下がる時がある。そんな訳でスタッドレスタイヤの交換を一日伸ばしにしてきたが、さすがにもう良いだろうということで、交換に行ってきた。タイヤの交換ぐらい自分でやれば良いのだが、交換タイヤを持ってみてその重さを実感するにつけ、もう限界だなと感じて、部品屋さんや、タイヤ屋さんへ持ち込む。

蓼科の方も時折雪は降るようだが、もう積もって残るということはないようなので夏用タイヤでも安心である。部品屋さんの付属の整備工場で手際よく45分ほどで交換してくれる。そういえば前回のジムニーのタイヤ交換は長男が遊びに来た時、蓼科でやってくれたんだっけ。

夕暮れの富士

2017-04-13 03:25:53 | 雑感


東京の帰途、新幹線は空いていた。昼間酒でホワッとしてついウトウトとまどろんだ。目を覚まして見ると新富士辺り。あたりはもう夕暮である。窓の外は相変わらず製紙工場の煙突が白い煙を吐きだし、薄紅色の空は天気の回復を示していた。

目に入ってきたのは、その景色の向こうに聳える富士山だ。東京を発つときには雲が多く、まず見えないだろうと諦めていた富士山が、夕暮れの中、優美な裾野をなびかせ、ゆったりと聳え立っている。やっぱり山は富士だ。日本各地で◯◯富士というのや、世界でも同じような名前で呼ばれている山を見てきたが、形や雪のつき具合、背景など、とても本物に敵う気高さを持った山にはまだ出会えてない。

久しぶりに富士山と対面し、眠さも吹っ飛び、ちょっとした充実感を味わい、名古屋へと向かった。

入学祝い膳

2017-04-12 06:46:43 | グルメ

子供膳

鰻とのセット

私の注文セット

デザート

孫の入学式の日、東京にいたので祝い膳を囲んだ。東京谷中の料亭風の鰻屋である。なかなか予約が取りにくいほど繁盛しているこのみせは、客あしらいもしっかりしているし、何より料理が色々工夫してある。

若い頃うなぎの養魚場をやっていた大家さんが、土用鰻の頃、商品価値のない「ぼく」と言われる太くて脂がしっかり乗ったうなぎをもってきてくれた。ほとんど毎年のことである。母がそれをさばいて、七輪で焼くのが私の役目だったが、油が火の上に落ち、もうもうと煙が上がった。その焦げた脂ギトギトのうなぎを食べても、くどいばかりであんまり美味しいとは思わなかった。

要はきちんとした鰻ではなく、商品価値の落ちたのを食べて、あんまり好きでなくなったのだ。大人になってからも鰻をあんまりご馳走と思わなかったのはそんな経緯によるのだが、このお店の料理はそれ以外でも皆美味しい。さすが東京の鰻屋である。出された品はきれいに平らげた。

その上、次男夫婦にご馳走になってしまい、お祝いとは言え随分散財させてしまった。