遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
更新は猫以下の頻度です。

お知らせ

Twitter で更新情報が観られます。やってる方はこちらからフォローどうぞ。
http://twitter.com/gaiki_jp

旧来の友人との邂合

2018-09-28 16:52:28 | 雑感

会場のDースクエア

懐かしいスタッフ

久しぶりに用事を片付けに刈谷に戻った折、昔のJCのスタッフが寄って、歓迎会或いは送別会を開いてくれた。青年時代侃々諤々の議論を交わした仲間である。顔を合わせただけでもう昔の雰囲気が蘇る。

つい気持ちが緩み、都会生活の寂しさや、人間関係の希薄な部分の愚痴や繰り言が出てしまった。行っても詮無いことは、飲み込んでおくに限るのだが、ついつい気を許して居るのか、ダラダラと続いてしまった。

話していることは他愛もない、街ゆく人が気忙しいとか、コンビニの店員が外国人の学生でアクセントがおかしいとか言うことだが、いちいちしっかり受け止めてくれる。決して「そんな些細なこと」とか「気にしすぎだよ」とかの相づちは返ってこず、「ふーん、そうか」「そんな気持ちになるのか」と受け止めてくれる。

話すだけで気が収まるというのはこのことで、徐々に気分が良くなって来るのがわかる。特に励ましてくれるようなことでないのが一層の友情を感じる。3時間近くの宴席であったが、すっかり肩の力が抜けた。持つべきものは友人である。

一陣の爽やかな風

2018-09-26 01:29:47 | 


望月衣塑子「新聞記者」角川新書 2017年刊

菅官房長官の官邸記者会見で、執拗に質問をすることで、脚光を浴びた東京新聞の女性記者の自叙伝である。

若い頃は母から影響を受け、業界紙の記者をしていた父には微かな憧憬を覚えた青春時代を過ごし、演劇に夢中の時を過ごした。そんな彼女が慶応に進学し、オーストラリアに留学したが、大手新聞社には学科で落ち続け、やっと東京新聞に入社した。

いくつかの職場を経験して、千葉支局現場に配属され、記者仲間や上司から記者魂を叩き込まれる。そこからも紆余曲折を経て、新聞記者としてのキャリアを積む。他社からの転職オファーも受けるが、「読売だけは嫌なんだ」という父の一言で東京新聞に残ることにする。現場で感じていた恵まれた環境と、それを動かす得体の知れない空気を父親は表現したのだろうが、それをフォローした東京新聞の上司の懐の広さを感じさせるエピソードである。  

そして官邸の記者会見の様子になってゆくのだが、記者クラブ自体が、官邸の意を実現するような体質に変化している状況がくっきりと描かれている。その中で奮闘する著者とわずかに現れた、同志とも言うべき記者仲間とともに、ジャーナリストとしての姿勢を貫こうとしている。

イデオロギーを背景に大上段に振りかぶった語り口ではなく、女性らしい繊細な事実に基づいた、語り口が爽やかで好感が持てる。そんな気持ちにさせる好書である。


お供の奴

2018-09-24 14:19:14 | 雑感



それぞれの店舗が覇を競う

連休(といってもこっちは毎日が日曜日というありさまだが)で、このところ連日引っ越しに伴う手続きから少し解放され、都会の雑踏に身を投じたくなり、家人のお買物に同行した。女性の買物のお供は元来苦手である。

目的がはっきりしない、予算がはっきりしない、使途がはっきりしない、といった漠然とした買物が苦手である。家人はその点は多少救われるが、それでもショッピングを楽しむというのは、そういう漠然とした目的を、現物を前にしてあれこれ具体的に絞り込んでゆく処にあるのかと思うのだが、いずれにしてもまだるっこい。

しかも要素が複雑だ。衣料品の場合、色柄、デザイン、サイズ、価格などの基本要素だけでなく、素材、風合い、今年の流行傾向、そして何より似合うか似合わないか、などに及ぶ。到底我々の口出しが出来るものではない。せいぜい出来ることは荷物を持つ奴の役割くらいだ。

街に出てみて人の多さにまず驚く。刈谷の田舎ではお祭りのとき以外これだけの人出はまずない。そして若者が比較的多い。刈谷も若者が多いほうだが東京には叶わない。そして店舗も高級品から庶民向けまで各層に分かれて何でも揃う。買うほうが自分のレベルを決めて店を選ぶことが肝要だ。

店の方も「〇〇%割引セール」などと大書したり、タイムセールなどと言って限定時間割引をしている。流石に大都会東京だ。周った店に比べ奴の出番は少なく、しかも軽い。平穏な一日であった。









中国哲学者の繰り言

2018-09-21 12:13:27 | 


加地伸行「マスコミ偽善者列伝」飛鳥新社 2018年刊

新聞広告に大きく載っていて、ちょっと気にしていた本だったが、先日刈谷から来た畏友に居酒屋で「これ読んでしまったからよかったらどうぞ」と手渡された。

中身は推測どおり、左翼的な言動をしている諸氏(中には鈴木邦男氏のような右翼もいるが)について具体的に、反論や指摘をしている。具体的であるがゆえにやや枝葉末節に流れるところもあるが、とにあれ具体的であるので検証がしやすい。

これに比べ攻撃対象としている諸氏の言説は抽象的、観念的なものが多いので、根拠に乏しいものが多い事がよく分かる。まあしかし概ね世の中を憂うる批判的な左翼論者に対して、逆に「しょうもないこと言いおって」とつぶやくご隠居さんの言質といったところか。

ところが最後に「宗教と儀礼と」あるいは終章「老生の立場について」は俄然説得力が増してくる。私自身、一神教と多神教、アニミズム、シャーマニズムの関係の整理、はついてなかったし理解もできてなかった。この講演録では、そこのところを解りやすく説明されている。ここだけでも価値のある本である。

界隈神社のお祭

2018-09-19 02:56:34 | 雑感

祭りの先頭をゆく小太鼓・笛の屋台

大太鼓はビニールで雨除けをしている

後には神輿が続く

太鼓や笛、掛け声がどこからともなく聞こえてくる。それがだんだん近くなり、「えいやっ!」「そりゃさ!と近づいてくる。窓から覗くと小さな屋台を先頭に大太鼓、神輿が通り過ぎてゆく。あいにく雨模様の曇り空で、屋台や太鼓にはビニールが掛けてあるが掛け声だけは勇ましい。

そういえば、この3連休は町内の神社で祭礼を行うというビラが、戸口に貼ってあるお店をあちこちで見かけた。掲示板には神輿の担ぎ手の募集ビラもあった。都会の祭りでは若者の参加は中学生くらいまでで、白髪交じりのお年寄りと、学童が中心である。

それでもこの区域の町内はこぞって太鼓や神輿を繰り出し、連休前半は太鼓や笛、掛け声が街のあちこちで交差した。辻辻の通りは、駐車禁止となり祭りの行列が優先的に通り抜ける。下町情緒全開である。この日ばかりは日頃の薄いお付き合いも吹っ飛び、祭り事務所界隈の道路に座り込んで酒を飲む姿もチラホラ見受けられた。

さすが下町である。


この町内の祭りポスター

街のあちこちで祭礼告示ぽすたーがけいじしてある

準備に余念のない町内広場

町会会館

お神輿置き場

東京生活

2018-09-17 12:33:24 | 雑感


東京に来て数日たった。このあたりの地域社会との繋がりはまだない。どうやってきっかけを掴むのか、皆目わからない。

東京に転居してよかったのは、息子や嫁さんが気軽に顔を出してくれることである。特別な用事はないのだが、顔を合わせるだけで何故かホッとする。ここらあたり(両国)は下町なので、余分な気苦労はないのだがそれでも慣れていないのでいろいろ気になる。

東京は都会とはいえ意外に緑が多い。鉢植え、ベランダ、あげくは屋上のちょっとしたスペースに緑を植える方が多い。名古屋に比べると格段に緑に囲まれている。

都会に来たなあ、と感じることを2つだけ挙げるとすれば以下の通りである

その一。コンビニの店員がどこも外国人(学生アルバイト)である。どこの店でも殆どアジア系の人が妙なアクセントで応対に出ている。愛想が悪いというわけではないがちょっとした違和感を感じるのは私だけだろうか。

その二 道行く人が忙しなく歩く。通行人が皆目的に向かってひたすら歩いているように見える。もう少しのんびりゆったり歩いてくれないものか。田舎育ちの自分にとってなんとなく気忙しい。

友来たる

2018-09-15 09:30:03 | 友人・知人

待ち合わせ場所は新橋駅

会場は魚金総本店

無聊をかこつ東京生活に元気を注入しようと、刈谷から友人が駆けつけてくれた。ロータリークラブ時代に支えてくれたスタッフ2家族である。私の会長時代、幹事役を務めてくれたJCの後輩がすこぶる面倒見が良くて、定期的にこの会合を開いてくれる。今回は彼が先日任期を終えたロータリーの会長職の夫婦慰労会を兼ねての上京だという。

通勤車で賑わう新橋駅で待ち合わせ、会場の魚金本店に向かう。流石に繁盛店、分刻みでお客をさばいている。予約を入れていたのだが時間より12分前だったのでまだ前客が居るとのこと。界隈をぶらっと一巡して時間調整をした。

定刻に入店。我が家を含めて3家族はいずれの方も酒がいける(お一人はビールが得意)口である。ビールで乾杯の後は、日本酒へ突入。肴を注文すると、品物によってはお店の人が「一人前で十分ですよ」とアドバイスしてくれる。確かに刺し身の盛り合わせはボリューム十分だった。

特に話題を用意することがなくても、席は盛り上がり、実に楽しいひと時だった。しかしなんだか何時もと微かに違うなと感じたのは、私自身がいわゆる「下り坂の時代(或いは年代)=五木寛之}に入ってきたからなのかと、ふと思った次第。何時もと変わらず元気一杯な仲間たちを見るつけ、「もう少し元気を出さねば」と刺激をうけた。私はとてもいい仲間に囲まれた幸せ者である。


再会を祝いカンパーイ

肴の一部

秋が来た

2018-09-12 00:37:19 | 雑感

桐の実も大きくなってきた

このところ、雨のことが多い。秋雨前線というやつか。猛暑が嘘のように去り、涼しい空気が押し寄せてくる。時候の本を広げてみると、24節気は白露、72候は初候「草露白し」である。気温が急激に上下してないので、露は見かけないが、今朝は霧がでた。

東京は当然自然が少なく、蓼科の方に逃げてきがちであるが、明日は用事で又戻らねばならぬ。この頃の雨は「御山洗い」と言って、登山者で賑わったあと、富士山を洗い清める雨だと山麓の人々の間で言い伝えられたという。そう聞いてみるとこのところの雨もなんとなく愛おしい。

散歩道に一本生えている桐の葉もまだ落ちはしないが、青々として元気が良い。枝を空に透かして見ると、沢山の実がついているのが目立つ。豊臣家の紋を思い出す。これも徐々に色づいて秋、冬を知らせるのだろう。もう秋はそこまできている。

ちょっと嬉しい

2018-09-10 00:47:59 | 雑感

山の散歩道

大学の同級生に誘われて、俳句に触れている。彼が主宰している俳句会は、2ヶ月に一度自作の俳句を五句投稿し、会員が互選で七句選び、発表するというものだ。若干のコメントが付くが、多くの選が付く句はやはり素晴らしいものが多いと感心している。

こうして選ばられるというだけで励みになるのが不思議でもある。参加第一回で、友人の葬儀を読んだ句「春寂寥終わりて棺動き出し」が、幸運にも天賞を頂いたのでつい続ける気になった。たまにはNHKやプレバトの俳句番組も見るようになり、その奥深さに触れるようになってきた。

以来パソコンの調子が悪いときの一回は休んだが、それ以外は投句を続けてきた。それがなんと8月の選句では、投句した五句全部に選がついた。さすがにちょっと嬉しい。

今回ちょっと自信があったのは、ふるさと刈谷の万灯祭りを詠んだ「笛・太鼓跳ね跳ぶ脚や旱星(ひでりぼし)」というもので、笛と太鼓のお囃子に合わせて、担いで振り回す万灯祭(雨乞祭が起源と聞いている)をえがいたもの。旱星という季語に魅せられた。ところが友人からの評の中には「脚は昆虫などのものを指す」とあり、そこまで細かい配慮がなかったことを反省。

俳句でこうした隅々まで配慮をすることも、教えられた。大雑把でいい加減な我が身に対する恰好な警告であるが、どこまで矯正できるやら。

職人の生き方

2018-09-08 09:02:38 | 


朝井まかて「ちゃんちゃら」講談社文庫 2010年刊

このところ気に入っているまかての時代小説である。前書「すかたん」は大阪商家に入った武家の嫁が、そこの御寮さんに厳しく躾けられる物語であるが、今度は元浮浪児が庭師に弟子入りしての話である。著者の本分は活劇の描写ではなく、日常の生活でのやり取りであるのでその辺はあまり触れないでおいて、職人の親方の描写が素晴らしい。

いかにもありそうな生活ぶりと考え方である。この親方自身が修行した京都の庭師の家で覇を競った若い弟子が、別派をなしてライバルとして現れる。その強引なやり口と争いに巻き込まれてゆく主人公の意地と葛藤がこの小説の大きなテーマである。

主人公の友人との淡い恋の鞘当て、尼僧の毅然たる生き方など、読みどころはいろいろあるが、いつもながらその現場にいるような筆力に楽しませていただいた。庭師の世界もかなり深く取材しないと薄っぺらくなってしまう。作家も随分勉強されたのだろうとそんなところにも感心した。