遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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野辺の花

2012-01-30 12:57:43 | 雑感


寒い。このところの寒さは尋常ではない。寒の内だから当たり前といえばその通りだが、外を歩くと指の先、鼻と耳が痛くなるように感じる。そういえば子供の頃学校に行く時こんな感覚だったっけ。以前は当たり前だったんだ。

朝の散歩の道すがら、ふと路傍に水仙の群落を見つけた。この寒さのを物ともせず、
凛として咲いている。スゴイなあ、ちょっぴり感動。思わずシャッターを切った。

他所様の庭だが、黄色い梅?も咲いていた。一年で一番寒い頃咲く花は、凍てつく空気を切り裂いて存在を示しているようで清々しい。

写真が綺麗でなくてすみません。

下山の思想

2012-01-28 16:16:29 | 

幻冬舎新書「下山の思想」五木寛之著 2011・12刊

文明観察記というジャンルがあるかどうかしらないが、これは文明の潮流を書いた、大きく言えば思想書である。

明治以来我々は昨日より今日、今日より明日が豊かになる、と信じて働いてきた
し、実際そうなってきた。空襲徹底的に破壊された国土を前にしても、私達の父母は明日を信じて、坂の上の雲を目指し、額に汗をし、ひたすら頑張ってきた。こういう時代には自由競争、資本主義はぴったりのシステムだったように思う。

ところが、この傾向は永遠に続くものではない。地球の資源、環境に限界が見えてきた。加えて、日本は人口減少が始まり、格差社会が出現してきた。新興国BRIKSなどの台頭と、先進国の停滞、或いは覇権の交代と言う循環論より、すべてを右肩上がりを前提としてきた人類の営みに限界を示していると理解したほうが納得できるのではなかろうか?

例えて言うのなら、私たちは、山を登り、頂上を極めた後、今や下山期に入ってきたのだ、と著者はいう。下山には下山の楽しみ方がある、だから今までと価値観を変えようというのだ。

敗戦の廃墟から立ち直った時と、震災・原発事故からの復興は違うのではないか。
ギリシャ、イタリア、ポルトガル、スペイン、の国情が、単に怠け者国家だから、というだけでなく、徒に右肩上がりを夢み、量的な豊かさを追い求めてきたせいではないか、このままで行くとやがてアメリカ、日本も同じ轍を踏むのではないか。

「もったいない」、「足るを知る」というような価値観、あるいは、「一番でなければなぜいけないのか」ということを、掘り下げて考える(それはそれなりに意義のあることだが、とにかく無批判に一番を目指すのがいいのか?)のも、必要なのか、と考えさせられた。

私たちは無意識のうちに追い立てられるような焦燥感を持って、量的な拡大に向かってひたすら励んでいた。毎日、すべての人々が坂の上の雲を目指していた。
果たしてそれが全てだろうか?一歩下がってみてみると、ブータンのように、GDPではなく,GNHを追求する生き方もある。鍵山秀三郎さんのような生き方もある。

いろいろなことを考えさせられる著書であった。と言って肩肘張った思想書ではない。エッセイ集だ、この時代、この時期に考えさせられる本である。一読をお勧めしたい。

熱田の森

2012-01-25 17:31:21 | 雑感

熱田の森と、神殿

遅ればせながら、熱田神宮に初詣をした。かっての勉強会「さんすいふぉーらむの1月例会である。ウイークデイの昼なのに結構人が多い。今年は豊川稲荷も参詣人は多かったという。天変地異の後でお祈りの人が多かったのだろうか。

さすが熱田神宮だなあと思うのは、玉砂利を踏み、森閑とした森の中に本殿がある。伊勢神宮とまでは行かないが、この環境で心がかなり静まる。
手を洗い、口を漱いで本殿に向かう。このアプローチがやはり身を引き締める。
家族全員、会社関係者の健康を祈願した。

参拝が終わって、おみくじを引く。半吉。「各々の勤めを守り、今は新規のことにとりかかるのは控えよ。人の意見に耳を傾け、時節を待つべし。石橋を叩いて渡れ」とあった。震災後の地道な復興を言っているのだろうか。

お昼になり、これも恒例のうなぎ屋へ。今年は「かが味」へ。鰻通のKさんが毎回違うところへ案内してくれる。ここは五目ひつまぶしが名物だという。例のひつまぶしに、五目御飯の具が載っている。これも結構美味しい。

だんだんリタイアした人が増えてきて、真面目に新年の抱負を述べる会から、くだけたものになってきたが、やはりそこはそれ、メンバーの皆さん真面目なので、いつの間にか、組織活性化の話やら、うつ病対策の話などに、話の重点が移ってしまう。

日本のビジネスはこういう人達に支えられて発展してきたのだ、とつくづく思う。
こんな人達が日本全国にいる。震災の復興はいろいろあっても着実に行われるのではなかろうか。

鰻屋かが味と五目ひつまぶし

エーゲ海クルーズ

2012-01-21 15:13:43 | 行ってきました


地中海クルーズの船が、イタリア西海岸で座礁したというニュースが、駆け巡ってている。出港後3時間で、事故を起こした。どうも船長の不可解なパフォーマンスが遠因らしいが、事故処理もお粗末のようだ。映画「タイタニック」で沈みゆく船の上で、楽団員とともに船と運命を共にする、男らしい船長の最後とは似ても似つかぬ、言い訳に走るこの船の船長は、情けない。

昨年の夏、30年ぶりくらいになろうか、私もクルーズをした。ギリシャのエーゲ海クルーズ(4泊5日)だ。大きな船(ルイスマジェスタ号)で3000人は乗ろうかという豪華客船だ。バーもカジノも、劇場も、プールもショッピングエリアも、エステも付いている。


救命胴着着脱訓練

こんな巨大船なのに、クラス分けが厳格でなく、3つあるレストランはどれも一般客利用可で一、二等の区別がない。この船では出港後すぐ救命胴着の着脱訓練を甲板で行った。船室でグズグズしていたら、はやく参加しろと再三の要請があった。これだけはかなりきっちりやっていた。

アテネのピレウス港で乗船したが、ホテルからのタクシーの運転手に船名を告げたら船の前に横付けしてくれた。港にはたくさんの船が泊まっており、もし自分で探せとなったらかなりウロウロするだろうと思う。

昼間からビール

失敗談。乗船手続きをする行列に並んでいたら、フリードリンクサービスの申し込みの勧誘がきた。すべてのレストラン、バーでの飲み物が24時間、飲み放題だという。5日間で一万円くらいだったので、一日2000円、これは良い。これくらいは軽く越すだろうと、早速申し込んだ。これで乗船中は財布を気にせず、飲み放題だ、楽勝と張り切って申し込んだ。

ところが乗船2日目中間明細を見て驚いた。二日間でやっと2000円位で、半分にも行っていない。こまめに飲んだとは思うが、ビールやワインではとても元は取れない。鯨飲するくらいの人でないととても無理である。明細の単価を見てすぐ戦意喪失した。


ジャグジーとプール

寄港地に接岸

荷物運びと足の不自由な人などを乗せる車

しかし船旅は快適である。快いエンジンの振動音、青い海、潮風、照りつける太陽、冷たいビール、楽団の音楽、デッキでの読書、昼寝、ここにはすべてリラックスの条件が揃っていた。


ミコノス島の小さな教会:ギリシャ正教はこういう小さな教会が多い

クサダシ(エフェソス)の港

寄港地はミコノス島、クサダシ、パトモス島、ロドス島、クレタ島、サントリーニ島、とそれぞれ特徴はあったが、知人から予め借りて読んでいた塩野七生の「ロドス島攻防記」のイメージが重なり、ロドス島が興味深かった。アントニオになった気分で、司令官宅跡を歩くと、当時のままの城壁が迎えてくれるようで、気分がいい。病院跡でも,往時の戦士の治療を思い、入り込んだ回廊をめぐった。

病院跡 廊下部分

町にあるさかな市場

この島の料理がうまいと聞いていたので、街角のレストランのイスに腰をかけ、頼んでみた。量が多い。足下に猫が来る。二匹も。この分も入っているのだろうか。でも美味しかったので、満腹になったけど、とうとう猫まで魚は回らなかった。

旅は非日常を味わうのが目的だと言われるが、日頃と違う景色、日頃と違う人間関係、日頃と違う風土、料理、など、船旅は慌ただしくなく、これらが味わえる。
ツアーで参加している団体客の一組の夫婦、一人旅をしている広島の未亡人等と話しを交わせた。
(この人たちとは、年末名古屋で同窓会を催した。)


街中の雑踏、屋台

ざくろジュースで一休み

しかし「ロドス島攻防記」で感じたのだが、旅のもう一つの欲求は、新しいものに出会うというだけでなく、頭に描いたイメージをなぞってみたい、というのもあるのではないか。昔、映画館から出てくる時に、主人公になりきって肩で風を切っていたが、頭の中は、映画のシーンが踊っていた。絵葉書やガイドブックで見た景色を目の前で確認する、紹介された料理を味わってみる、というのも旅の楽しみ方なのだろう。

役者を3日やったらやめられない、と言われるが、イメージの世界に生きるある種の快感、素晴らしい小説に没頭するのと同じような感覚ではなかろうか。


サントリーニ島

ロバタクシー 坂道を必死に登る

とにあれ私のエーゲ海クルーズは、事故もなく無事終了し、ピレウス港に帰着し、イタリアのような、悲惨な非日常経験はしなかった。
5日目は早朝から下船準備に追われ、ほとんど船旅の気分は味わえなかった。

最後に自分の荷物を受け取り、下船終了

コンビニ開店

2012-01-19 10:35:00 | 雑感


すぐ近所にコンビニエンスストアが開店した。

我が家から150mほどのところである。すでに3~400mのところに2軒もあるので、競争激化である。K、7に加えて今度はK系列のSである。ちょっと過密な感じが否めない。系列とは一体なんなのだろう。お互いに競争させるのだろうか。

小さな交差点の角の立地である。豊田系の会社への通勤路ではあるが、どれほどのお客が見込めるのだろう?確かに近所にあるスーパーよりは入りやすそうだ。工事をしている時から、どんな開店をするのだろうと興味があったので、朝ちょっと覗いてみた。

開店らしく、OPENの幟がはためき、風船で出来たゲートが気分を盛り上げている。入り口ドア横では、みたらし団子を焼く準備が始まっている。早くからまずまずの人が入っている。店員も普段より多めで、元気よく掛け声をお客にかけている。まずは順調な滑り出しのように見える。

店内はぎっしりの商品で埋まっている。他のお店より密度が高いようだ。これがS社の戦略だろうか。個人的には、このお店が亡くならないことを祈るばかりである。







せつない・・・。(読後感)

2012-01-18 11:45:47 | 


「霧笛荘夜話」浅田次郎著 平成16年角川書店刊
現代作家で、これも私が読書中毒症状になっている作家の旧作です。

七編からなるオムニバス形式の短篇集。舞台は港の傍に立つ古い中華風のレンガ作りのアパート。持ち主の旦那が死んで、残された老婆に受け継がれた、手入れも充分にされていない建物だ。

6室ほどある部屋のそれぞれの住人の生活、生き方について、一番関係の深い他の部屋の住民達との関係を語りながら、触れてゆく物語。以前にも述べたと思うが、私は著者がこういう短編にこそ筆の冴えを見せていると感じている。

浅田次郎は、人間の潔さ、気っぷ、切なさを描かせたら天下一品だと思う。組織のしがらみや、いろいろな欲に縛られて動いている人間と、どんな境遇にあっても自分の価値観を保持し、貫いてゆこうとする生き方を鮮やかに、ドラマチックに表現する。

ただこのオムニバスの第6話だけは、私の頭に、或いは気持ちにすんなりと入らなかった。本土決戦の海上迎撃特攻隊員の話だが、二大テーマの潔さ、切なさが十分描ききれていないように思う。

しかしこの一編を除けば、あとは読ませる、泣かせる。泣くのを承知で見にゆく、メロドラマを見るようなものだ。著者のツボを心得たサービス精神に感謝する。
このところ中毒的に読んでいる、時代小説もいいが、時にはこんなのも良い。

ちょっと寄り道(読書)

2012-01-16 13:48:32 | 


藤沢周平 「蝉しぐれ」 昭和63年文藝春秋社刊

映画化もされた時代小説、と言うより恋愛小説に近かった。
いま、中毒気味になっている、佐伯泰英「居眠り磐音シリーズ」にちょっと風を
入れるべく、手に取った。
と言ってもやはり時代剣豪小説だろう、くらいの軽い気持ちであったが、独特の藤沢作品の世界が広がっていた。

舞台は藤沢作品に登場するいつもの海坂藩、下級武士の清廉な生き方と、淡く、それでいて確かな恋心が、描かれる。佐伯作品と同じく、武道に優れた貧しい後継ぎが活躍する。同じような主題であるが、居眠り磐音シリーズより、少し格調を感じるのは何故だろうか。

いたるところに出てくる自然描写が丁寧に、また読む人の気持ちに沿うように、
展開している。描かれた情景の空気に浸っていると、気持ちが主人公に同化して
ゆくようである。僅かな違いだが、この辺りがエンターテイメントに徹している
佐伯作品との違いだろうか。

例えて言えば、きちんと糊の効いたワイシャツと、スポーツシャツくらいの違いだ。こういう読書の寄り道も楽しい。


正月風景

2012-01-12 16:17:09 | 雑感


穏やかな正月であった。東京行きの新幹線から見た富士山は、12月に見た時よ
りも雪が若干減っていたが、雲がかなり高く、峰が悠然と聳えていた。

日本の山は富士、正月は富士だなあ。



帰りに立ち寄らせて頂いた、熱海の親戚の家では、初島の右肩から登る日の出に
起こされた。金色に輝く太陽は新しい年にふさわしく豪華に輝いていた。

帰れば鏡開きの日。そろそろ松飾りも取り入れなければ。



いずれも、正月気分を満喫させる、景色であった。

映画「山本五十六」

2012-01-08 09:00:08 | 
映画「山本五十六」

フェイスブックの仲間内で好評だった、表題の映画を遅ればせながら私も見まし
た。

悲劇?の英雄みたいに描かれているなあ。同じような題材で「硫黄島からの手紙」
で描かれている栗原中将像と重なった。

リベラルであるが、軍人としての使命を、命をかけて果たす。主流派の戦略なき
突撃指揮に対し、確かな戦略眼を持っている指揮官だったようだ。

しかし綺麗に書かれすぎているという感は否めない。実際には軍部内部の軋轢、
主導権争い、陰謀が渦巻いていたのだろう。

なぜ彼が対米戦争に反対したかをもっと克明に描けたら説得力はあったろう。
彼が甘党であったこと、議論が白熱するとちょっと視点をずらして冷静になると
ころなどはうまく描かれている。

さすが主演の役所広司は五十六司令官のオーラをうまく出している。香川照之も
持ち前のアクの強さを生かし好演である。

海軍経理学校を2番で卒業(恩賜の短刀を賜った)された、F先生から、話を伺ったことがある。先生は生前、一度だけだが五十六長官から、直接声をかけられたことがあるそうだ。そのことを生涯のを誇りにされており、長岡の記念館に行かれた時も遺品をじっと見入っていたそうだ。それくらい実際にもオーラを出し続けた人だったのだろう。


誕生日

2012-01-06 17:22:24 | 雑感

本日は私めの69回目の誕生日です。数えで70歳、古希又は従心と論語では言うらしい。「心の欲する処に従えどもその矩を踰えず」という、出来た大人の領域に達している筈です。

しかし、現実はそうではなさそうです。70歳(数え年)の人は稀でもなくゴロゴロいます。むしろこの年迄に亡くなった人を探すほうが珍しいくらいです。「矩を踰えず」どころか、始終矩を踏み外している自分がいます。

しかも、心の欲するままに行なって、人の矩を越えないというほどの身に備わった倫理観を染みこませて居るのはこれまた、難しい。私自身は年をとっても、正に馬齢を重ねている状況なので、この領域に近づいているとも思えない。

やはり日頃の鍛錬、習慣、心構えなのでしょうね。

今は私をこの世に送り出してくれ、育ててくれた両親も他界している。昔は6日は正月休みのまっただ中、新年のお祝いの余韻が残っている期間だったので、家族からのお祝いは殆ど無かったような気がする。年末年始から離れた日の誕生日の人を真剣に羨ましく思った。

目を移すと、窓の外は数日前の雪が融けずに積もっています。全てのものがぱあっと白く彩られ、細々した、汚いものが雪で覆われて、見違えるように美しく変身しています。

厳しい寒気の中、外へ出るのもちょっとした覚悟が要ります。矩を越えるどころか、勇気を持たねば、踏み出せません。