遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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尊敬と慈愛

2016-07-29 03:28:56 | 


原田マハ「ジヴェルニーの食卓」集英社文庫 2013年刊

中堅作家原田マハの数人の画家をモチーフとした短編集である。著者らしい愛情と尊敬に満ちた切り口で、直接にではなく画家に身近な人を介在させてその関わりを通して画家を描く。

取り上げた画家は、マチィス、ドガ、セザンヌ、モネ、であり、ピカソやゴッホ、ベルナールなども登場する。芸術家には偏狭或いは狂気みたいなところが感ぜられるかも知れないが、ここでは比較的穏やかで、律儀な生き方として描かれる。

巨匠に対する愛情と尊敬を持っている著者の筆つかいは、細やかで行き届いている。芸術家に対して尊崇の念が溢れている用で気持ちがいい。

原田マハがまた好きになった。

散歩道で見かける

2016-07-28 13:08:48 | 雑感
    ネジバナ
    クサフジ

この2,3日時々降る雨で足を止められるが、努めて散歩に出ようとしている。このところの涼しさにもかかわらず、道端にはいろいろな花が咲いている。今は広く初夏、盛夏、晩夏の花が咲き乱れているようだ。

花の名前を調べてみるがなかなか「これだ!」と見分けるのが難しい。それでも名前を知っているのと知らないのでは興味の持ち方が違ってくるので面白い。ホタルブクロ、サワギキョウ、シモツケソウなどよく見る花の他にも気をつけてみるといろいろな花が咲いていた。

秋に咲くマツムシソウや月見草ももう咲いていた。気をつけてみるといろいろ咲いているものである。

    キンミズヒキ?
    マツムシソウ
    タケニグサ
    萩

ひっそりと・・・。

2016-07-22 04:35:42 | 行ってきました
   入口の案内看板
   陽が傾いてきた大阿原湿原

入笠湿原から沢入登山口に戻った帰り際、規制をしていたおじさんが「ここは3時以降は規制解除だから、大阿原湿原に行くなら帰りに車で行ったらどうか。」と教えてくれた。

そこから、車で10分位登り車の止まっていない駐車場に車を置いて湿原に降りた。4時近くなっていたが未だ陽は高く、湿原はひっそりと静まり返っていた。草が逆光に輝き、草原に灌木が生え茂るさまは別世界であった。

マイカーの入山規制がされているのに、木道は手入れが行き届き、湿原を一周するルートはきちんと整備されていた。同じ湿原でも入笠とは違い花は少なく、緑と水に恵まれた大阿原湿原は静かに佇んでいた。

   入口から真っ直ぐにのびる木道
   木道の下には水が流れる
   帰りの道は林の中
   よく整備された木道
   一周してゴールへ

入笠湿原の花々

2016-07-21 03:55:51 | 行ってきました
  沢入登山口 熊の目撃情報が報じられていた

連休に山歩き目的に来た長男が、天気に恵まれないまま三日間を過ごして帰ったあと、皮肉にも梅雨が明け、好天になった。未だ雲が多く山頂付近は雲がかかっているので、入笠湿原の花を鑑賞しにでかけた。

そこは最近の暑さでいろいろな花が咲いていた。以下出会った花を名前が判明した分だけ掲載する。

   クルマユリ
   ミヤマバイケイソウ
   ニガナ ヤマホタルブクロ
   ヨツバヒヨドリ
   クガイソウ
   オダマキ
   ウツボグサ
   ノハナショウブ(あやめ?)
   サワギキョウ
   キリンソウ


新しいテーブル

2016-07-20 13:26:35 | 雑感


長男が連休に遊びに来るとのことで、通販で組み立て式のデッキテーブルを取り寄せた。今までのは丸木を半分に切って並べたすこぶるワイルドな造りであった。

それはガッシリはしているのだが、30kg位ある重いもので、しかも未だ木が生きているのか様々に膨らんだり波打ったりして、天板が凸凹になってきた。一度は電気カンナで削ったのだがすぐ膨らんできてしまった。

新しいテーブルは思ったより簡単に組み立てられた。こちらはさすがに軽快だが、少しやわな感じがする。早速デッキに出してパラソルを挿してみたら結構様さまになった。梅雨明けの強い日差しにくっきりとした陰を描き出し、夏本番を意識づけられた。

これからは精々活用しよう。

明日は我が身

2016-07-19 07:28:46 | 


NHKスペシャル取材班「老後破産 長寿という悪夢」新潮社2015年刊

NHKが番組編成のために行った現場のレポートを単行本にまとめたものである。これを読む限り家族社会、中流社会、老人福祉というのはもはや夢物語だと感ぜられる。

ルポをしている老人は一ヶ月3万円の生活費、月末には一束100円の冷や麦もなくなり、一日一食になることも多いという。それでも生活保護を進んで受けようとせず、必死に自力で生きてゆこうとしている。

力いっぱい働いてきて、穏やかな老後を過ごしたいと願うのは無理なことなのか。核家族化、少子化などがもたらす老人の孤独、生活の貧窮化は制度的に救わねばやがて不満が蓄積していくだろう。

誰からの援助も受けず、また受けようともせず、僅かな年金と蓄えでギリギリの極貧生活を営む老人が、病気になったら、その途端破綻が始まる。それが解っているので、病院にも行かない。こんな人達が急増しているという。

医療費、教育費は無料化を目指さないとこの破綻者は再生産される。この人たちは明日の希望がないまま毎日、毎月貧困と戦っている。戦慄すべき事態である。

制度として救わねばもうどうしようもない。アベノミクスはこういうところには全く届かない。こういうところにこそ政治はライトを当て救わねばならない。官僚、政治家の利権漁り、公私混同など、探せば財源はあるはずだ。声を上げない、我慢強い人たちにも限界はある。富の再分配をするのが政治の一つの機能だと思うのだが、現在の政治は格差をますます広げているように見えるのは、その機能を果たしていないといえる。

日本の現状を直視する鋭い問題提起の書である。

作家の本音

2016-07-18 00:27:55 | 


百田尚樹「夢を売る男」幻冬舎文庫 2015年刊

何かと世間を騒がせている百田作品であるが、これはフィクションというより、百田尚樹の小説家、出版、出版社、小説そのものに対する本音が伺えるという点で興味深い作品である。

売れなければダメ、そのことが絶対だ、という主張はわかるが、そのために何もかも踏み越えることに首を傾げる。事実を曲げてまで売らんかなとした「たかじん」の奥さんのことや、「潰さなあかん」と権力に阿た沖縄の新聞のことなど、彼の底の浅さが見えてくる。

「永遠の0」で感動した、あの語り口が、テクニックだけだったのか。なんだか舛添さんを見るようである。才能が間違った哲学のもとに使われるととんでもないことになる。オウムの例を見てもよく分かる。

百田尚樹という作家を理解する上では格好の書である。

キスゲ満開

2016-07-17 07:39:07 | 行ってきました
三連休で遊びに来た長男と、ニッコウキスゲが見頃となった霧ヶ峰、車山にでかけた。
生憎の曇り空であったが、車山の肩の駐車場は満車。遊歩道にも前回とは雲泥の差の人混みで賑わっていた。

鹿害で食い荒らされ、大幅に減ったニッコウキスゲも、近年の保護政策のお陰で大分復活してきた。加えて10日ほど前に来た時よりは満開に近づき一層黄色の群れが濃くなっていた。

幸い雨には見舞われなかったので、車山の肩ー沢渡ー車山湿原ー車山の肩 を2時間ほどかけて周遊した。以下写真で綴る。

 電気柵で保護され、斜面一面に咲き誇るニッコウキスゲ
    大勢の人が押しかけていた
    ほぼ満開であった
    蝶々山を上る霧
    名前を忘れたがこの白い花があちこちで咲いていた
    少し青空も覗いてきた
    沢渡りへ降り、ジャベルヒュッテ脇から登り返す
    背の高い熊笹の中を登る
    森を抜ける視界がひらける
    見上げる斜面は広々
    柵とロープで整備された通路、ところどころ木道となる
    ハクサンフウロが沢山咲いていた
    車山の肩の標識 遥かに頂上のレーダーが見える
    スタート地点へ戻ってきた
ニッコウキスゲだけでなくいろいろな花を満喫したハイキングであった。

同窓

2016-07-13 07:41:53 | 友人・知人
    懐かしい面々
    海の幸

現役の頃、経営に関しての勉強会で、旧海軍経理学校を出身の先生を中心としたものがあった。その人は入学の頃はビリに近い序列だったのだが、入学後猛勉強の努力を重ね、2番で卒業したというのを心の支えとしているひとである。

何時の頃か年に一回、鈴蘭高原にある先生の別荘で、ゴルフの会をやるようになっていた。こう言う会合でいつも言われていたのは「お前は会った頃斜に構え、オレを馬鹿にしていた」と、いわれない誤解を元に非難されるのが定番であった。周りの人もそんなことはないとわかっていながら酒の席の話題として繰り返し取り上げられた。

「また年寄りの繰り言か」と暖かく見守ってくれたのが、一緒に学んだ友人達だったのである。先生が亡くなってもう何年になるのだろうか。5年以上だとは思うのだが、今だに時々集まって思い出話や近況報告を交換しあっている。

今回は名古屋駅前の「佐渡に渡れ」という奇妙な店名の席で行われた。皆元気だった。というか殆ど変わっていなかった。この年齢になるとこう言う集まりが妙に懐かしく、居心地が良い。歳を寄ってきたのだと自覚する。一緒に勉強し、飲んだ仲間の暖かさがなんとも気持ちが良い。いい仲間が集まっている。もう一つの同窓会だ。

この日も気持よく料理を頂き、酔っ払って会を後にした。

我が故郷

2016-07-12 04:08:29 | 雑感


一年一度の社友会が名古屋であった。恒例により駅前のホテルでの開催だったが、毎年参集者が高齢になってくるのをひしひしと感じる。定年退職をした人間が対象なので当たり前なのだが、皆白髪頭になったり、私のように禿げてきたりしている。

口だけは元気なのだが、いかんせん身体が言うことを利かなくなってきており、健康法と医者通いの話に落ち着くのはやむを得ない。現役組の役員の紹介があり、若返りを果たしているのだが、変革や殻を破る爆発力を感じさせる、反骨の士が見受けられないのが寂しい限りである。

一方社友の方々は和気あいあい、行儀もよく穏やかな面構えを見せていた。銀行や豊田系出身の方は流石にきちんとしており、いかにも愛知県の方らしさが身についていた。

こう言う会合に出るとなにか暖かい空気に包まれ、なんとなく故郷に帰ってきたような気がするのは私だけだろうか。