遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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もういくつ寝ると~。

2015-12-29 16:21:52 | 雑感



いよいよ押し迫ってきた。後3日で新年である。毎日が日曜日の我が身からすれば緊張感はまるでないのだが、それでも年の瀬は何かと気ぜわしい。

家族の集まり、年賀状の準備/投函、体調の管理など流石に年に一度の年の瀬である。
やっと輪飾りと、お鏡餅を調達してきて、玄関などに飾りつけた。今は輪飾りにしても、門松飾りにしても既成品が揃っているので、ただ包装を解いて飾り付けるだけである。松を切って来たり裏白を調達してくる手間はない。

といって飾り付けていたら家人は「29日は『苦だて』といって避ける日ではないか」と宣う。まあ、門松や生花ではないので神様に大目に見てもらうことにしよう。大掃除ならぬ中掃除もしたし、これでお正月を迎える準備はほぼ整った。後3日寝るとお正月である。

一年間何かとお世話になりました。皆様、良いお年をお迎えください。

穏やかな寒さ

2015-12-28 00:52:08 | 雑感


暮れも押し詰まってきた。このところ毎日零度以下の朝を迎える。家の前の池の氷に朝日が反射し眩しい。
しかし、見た目ほどは寒くない。

24節季は冬至。一年で一番昼の短い頃。日の入りが4時半位で早い。これから徐々に遅くなって日が長くなる。気温はまだ下がってゆくが日は延びてゆく。

七十二候は「鹿角解る」(しかつのおつる)大鹿の角が落ちて生え変わる頃。この頃近くで鹿を見ることが少なくなった。柵を張り巡らしたからであろう。冬至はかぼちゃを食べる習慣がある。「冬至かぼちゃを食べると風邪を引かない」という言い伝えを子供の頃聞いたことがある。

12/30日のことを小晦日(こつごもり)というそうである。大晦日という樋口一葉だったかの小説を読んだ記憶がある。内容はすっかり忘れてしまったが題名だけが頭に残っている。歳を取ってきた証拠である。

年賀状準備終了

2015-12-27 03:06:59 | 雑感


暮れも押し詰まった26日やっと来年の年賀状の準備が整った。現役時代の800枚に及んだ枚数を、絞りに絞って200枚までに削減し、家人と掲載写真を選定し、それから文章を考える。

あれこれ考えるといろんな思いが噴出し、なかなかまとまらない。かといってダラダラ書き連ねては読んで貰えない。近況も報告したいし、新年の抱負も述べたい。みなさんの幸せも祈願したい。とにかく欲張りである。
そこで今年は暇があるので、各人に一筆ずつ書き込むことにした。そう決めたら気持ちがすっと楽になり、文章もサラッと出てきた。

1~2行書き加えるといっても200枚の量はかなりである。現役時代使用していた万年筆を持ち出してきて作業をする。あれこれ考えて文章を入れ、書き終えたのは、実にまる3日かけた日の午前中であった。やり終えると流石に達成感がある。

さあ、投函しにゆこう。

市民休暇施設

2015-12-26 12:24:21 | 行ってきました
朝の展望

蓼科へ戻る途中、長野県下條村にある刈谷市の市民休暇施設「さんもりーゆ」へ一泊した。山腹にあるこの施設は、温泉宿泊施設というだけで他に何の取り柄もないが、第三セクター運営のいい面がみられ、結構気分良く過ごせる。

役所らしい堅苦しさや、ぶっきらぼうということもなく、適度なホスピタリティと素朴な愛想の良さで、田舎の暖かさを感じる。
部屋の清潔さ、温泉の湯かげん、料金のリーズナブルなところなど、公営のいい面が残されている。こう言う施設としては利用率が良いのは、リピーターが大勢いるからだそうだが、この対応と料金ならばむべなるかなと思える。

クリスマスということで玄関には大きなツリーが飾られ、イルミネーションが輝いていたが、あいにく子供客はゼロだった。
岩魚の骨酒を頼んだが、程よく焼けた岩魚からいい味が出ていて、香ばしかった。今まで2回ほど頼んだ事があったがいずれも今ひとつで、骨酒は上高地の嘉門次小屋が最高だと常々感じていたのだが、今回はここも美味しかった。

よる屋上から星を見に行ったが、あいにくうろこ雲がかかり、満月に近い月も出ておりだめだった。朝、起き抜けの谷間には小さな雲海がかかり、澄んだ空気でクリスマスの朝を迎えた。

流石に・・・。

2015-12-25 00:48:27 | 


東野圭吾「禁断の魔術」文春文庫 2015年刊

年末、気分だけは慌ただしいが、何故か本はよく読める。この秋我が家に蔵書をたっぷり持ち込んでいただいた畏友に感謝する毎日である。

さて、本屋にコーナーができるほどのこの人気作家の本を読むのは初めてである。若者に人気があり、新聞の広告欄にもよく宣伝文が載る。今まで手にも取らなかったのは、ちょっとした天邪鬼だったのだろう。今回はじめて読んでみて、そのテンポの良さと、ストーリー展開の自然さ、描写力の自在さに唸った。

ベストセラーを連発するはずである。直木賞はじめ江戸川乱歩賞、日本推理作家協会賞、本格ミステリー大賞、ミステリーベスト10第一位、柴田錬三郎賞、吉川英治文学賞など各賞を文字通り総なめにしている。

これは、ここでくだくだと紹介したり論評をしたりするより、まずは読んでみたほうがいいと思う。この作者の本はまだこの一作しか読んではいないけど、この力量は大したものではないか。


牧歌的ヒマラヤ紀行

2015-12-24 05:01:41 | 


深田久彌「雲の上の道 我がヒマラヤ紀行」新潮社刊 1959年

おそらく買ったままで、本棚の隅において忘れていたのだろう。山岳部の友人がなくなったこともあり、偶然手にとってみて読み始めた本である。

まだ外貨規制が厳しい時代の頃のヒマラヤ遠征記である。エベレスト初登頂や、マナスル登頂で湧いた時代の直後に、このようなある意味純粋なヒマラヤ山行を行ったとは驚きである。今となっては◯◯峰初登頂とか、冬季○○壁初登攀とか、無酸素登山とか、遠征にはなにか初めての企てがあることが当たり前になっているが、本隊は違う。

中年男4人の、登攀ではなく、遠征そのものを目的とする登山隊である。隊長の深田は既に50歳代半ば、後は少し若い(40代)画家と写真家、それに30台の医者の4人で構成するパーティが編成された。目的地はジュガール・ヒマール、ランタン・ヒマールである。理由はカトマンズから比較的近い、或いはまだあんまり他の人が行っていないこと、などである。

本書はヒマラヤ行きの準備、渡航、現地までの行程、遠征(キャラバン)などが記述の中身で、登攀は行わなかったので、その記述はない。しかしこの時代ヒマラヤ遠征は珍しく、多くのスポンサーが付いた。それでこの個人出資のパーティは経済的には大いに助かったらしい。

受け入れのネパール側も不慣れなことが多くまだ手続きなども確立していない時代である。きっとシェルパやポーターなども素朴だったのだろう。ネパールの人々が素朴で人懐こいことは我々が訪問した際のガイド・ラム君や、運転手のプレムさんを思い出してみると懐かしい。

それにしての古き良き時代を髣髴とさせる紀行文である。

人気作家の所以

2015-12-23 14:36:06 | 


池井戸潤「ルーズベルトゲーム」新潮社文庫 2014年刊

半沢直樹シリーズ、下町ロケットなどTVドラマで人気を博している作家の作品。畏友が秋口に入れ替えてくれた借本に今回は池井戸潤の作品が何冊か入っていた。

世間の定評というか、編集者の眼力というかは確かなものがある。乃南アサの作品の時も感じたのだが、確かにこの作品もグイグイと読ませるチカラがある。企業野球チームのことがテーマだが、もう一つは作者得意の企業ガバナンスが絡んでくる。

現実の時代背景同様、作品の中でも企業チームの置かれている立場、苦悩が際立つ。そこに本体の企業自身の苦悩が絡む。大企業の横暴さと競合企業同士のせめぎあい、が誇張なく描かれている。

まじめに努力する小企業が大企業、競合企業相手に技術を武器に生き延びるというストーリーは、「下町ロケット」と同じ構図だが、さもありなんという設定がにくい。この辺りが勧善懲悪、判官贔屓の日本人の間隔にフィットするのだろう。

表題は買って野球を愛したルーズベルト大統領が「一番面白いゲームスコアは8対7だ」と言った故事による。

敦賀の休日

2015-12-21 13:32:19 | 行ってきました

    こんな説明板とスコップが交差点の四方にある
     需要文化財の山車

敦賀で宿泊した次の日も晴れ渡る日曜日であった。港まで散歩しようと駅前通からメモリアルロードを歩く。歩道脇に銀河鉄道999のキャラクター彫像が2~30mおきに飾ってある。境港の鬼太郎道路より早く、ここは1999年に設置されたらしい。松本零士のサインが残さている。鉄道と星にちなんだこの街の街興しの一環だ。

交差点に緑のスコップが立てかけてある。見ると「緑のスコップひとかき運動」という看板が出ている。積雪期の除雪を市民運動としてみんなでやろうという呼び掛けだ。何となく心温まる呼びかけだ。街を歩いてゆくと「清明の朝市」という横断幕が掲げてあり、小さな朝市が行われていた。山車会館を覗いてみると、気比神社の大祭用の山車が3台も飾ってあり、本物の甲冑と能面を使った武者人形の飾り付けが施してある。台の4方に巡らせてある緞帳だけでも5000万、総製作費は2億3~5千万かかると言われる豪華なものだ。

続いてすぐ横の博物館を覗いてみると、戦国武将大谷吉継にまつわる書簡などが展示してあった。昔の武将らしく義に篤い人で有名だったと聞く。ハンセン病を患っていた彼が茶会の席で茶碗に膿を落とした。それに続く武将は気味悪がって誰も口をつけなかったが、石田三成は何事もなかったようにそれを飲み干したという。
そのことを覚えていた大谷は劣勢とわかっていた関ヶ原の戦いに西軍にあえてついたという。来年の大河ドラマ真田丸では幸村の奥方の父として片岡愛之助が演じるそうだ。

    琉球の舞踊団

博物館は昔の銀行の建物で、いかにも商都の銀行らしい佇まいと内装である。外へ出ると太鼓の音がしていた。琉球舞踊が演ぜられていた。そこからぶらぶら歩いて敦賀港駅舎後で杉原千畝の奥様と話をしたという女性の説明を聞き、人道の港記念館を覗き、気比神社経由で帰った。
港では風もない好天で海釣りを楽しんでいる人が6~7人いたが、竿はしならなかった。

敦賀駅はすっかり改装され(北陸新幹線開通の影響か)近代的な駅舎になっていた。好天の敦賀は穏やかで気持ちの良い都市であった。

    気比神社
    敦賀駅

美味し国へ

2015-12-21 11:11:43 | グルメ
    米原駅では車両を増設のための連結を行った

刈谷に来てOB会以外はこれといって外出の機会がなかったので、スカッと晴れた日には外へ遊びにゆきたくなる。朝起きて家人と「日本海へでも魚を食べにゆこうか」と誘うと、すぐ応諾の返事。急遽支度を整え汽車に飛び乗った。

米原で乗り換え敦賀へ。5,6年前に行ったことのある敦賀駅近くの魚料理店。その時いい店はないかと探しまくってやっとたどり着いたのがこの店。昼飯を食べたがその時ここは絶対夜に来るところだと確信した記憶がある。

敦賀からは京に向けて鯖街道がスタートしているし、歴史的にもその他の京への食材提供地となっている。この店はいつも地元客で賑わっているので、今回は4時少し過ぎに行ったら丁度席が空いていた。

    まずは刺身の盛り合わせ
    鯖の浜焼
    イカの沖漬け
    名産 鯖のへしこ
    地元の地酒
    コースターもメニューの機能が

カニはさばくのが面倒なので、ウマそうなものを注文したが、やっぱりこれには日本酒だ。刺し身には6種類の魚が乗り、うまそうである。へしこは思ったより塩がきつくなく、沖漬けは発酵が進み酒の肴には持って来いだ。そのうち、焼き鯖がでんとお出ましになる。ビールが無くなった頃の絶好のタイミング。他の肴もグビグビと日本酒をやりながら賞味し、すっかり出来上がってからそれでもシメの越前おろしそばに箸を伸ばして宴会終了。

わざわざここまで足を伸ばした甲斐があった。

昔の仲間

2015-12-17 11:32:58 | 友人・知人


社会人として初めて世に出た時、勤務した会社のOB会に出席してきた。3ヶ月に一回のペースで名古屋で開かれるこの会はいつも15人から20人位の人員で、役員、部長、営業所長を勤めたくらいの人々が集まる。

何時も他愛のない昔話に集約されるのだが、最近は自分の半生、趣味、などを交代で発表している。今回は日本の伝統的な華道茶道についてである。発表者の奥様が茶道の高弟らしく、発祥から源左の力関係まで詳しく説明を受けた。

以下はその骨子である。
華道は京都六角堂・頂法寺のの専慶(池坊)が室町時代に確立したと言われる。一方茶道は鎌倉時代の村田珠光がわび茶の創始者と言われ、安土・桃山に至って千利休が完成したと伝えられる。茶道の心得は「四規七則」と説き、和敬静寂=お互いに仲良く、お互いに敬う、見た目だけでなく心清らかに、どんなときにも動じない心の四項目を挙げる。一期一会の気持ちで人に接する。
華道も茶道もいずれも家元制度をとり、世襲制で直系親族であり、弟子が家元を引き継ぐことはない。

また茶禅一味すなわちお茶を習うことは「禅の教え」を学ぶこと。一杯のお茶、つまり日々の何気ないものの中にこそ「仏」が存在する、ということである。茶道も華道も求道である。

ざっとこんな話を聞き、それを肴にと言っては失礼だが、話題にして一杯やる。しだい次第に昔話に話題が移っていったところでお開き。私はちょっと体調が優れなかったので二次会は失礼して帰途についた。