寒い夜を乗り越えた朝、薄く雪が被っていた、 | |
朝食 | |
日曜だったが、藤枝さんはぼかし堆肥を かき混ぜに朝9時に来園した。 ぼかし堆肥はこの時期にしかできず、 毎日かき混ぜないと発酵せずダメになってしまう。 「これは夏野菜に効くんだ。出来上がったら、 一袋あげっからよう。」と言ってもらえる。 もらえたら大事に使おう。 by純三 |
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今日はバレンタイン | |
朝、植え替えられたヒバ | |
工具類の棚卸し | |
切り干し大根を作る | |
清水さんとの境の溝掘りについて検討する | |
薪割り | |
閉会式&取り纏め | |
バリアフリー化のため枕木を敷く作業 | |
レーズドベットの移設作業 | |
ヒバの移植 | |
寒さの中で夕食、耐寒の極み、 | |
寒いのでプレハブ小屋の中で茨城の農業改良普及員の前で土の科学を教授する百姓先生 | |
茨城部隊 帰途へ みんなで送り そして、10数人がプレハブの中で 身を寄せ合って眠った | |
カマドの金網の修理のための溶接作業 | |
カマドの金網の修理を終え暖を取る | |
一輪車の荷台がガタガタしているものを溶接する | |
薪備え | |
ボカシ肥の調整作業 | |
昼食の準備 | |
農業分野に置ける障害者雇用に関する調査のため外資系証券会社の 常務執行役員の人事部長がスタッフと共に福祉農園にやってきた。 | |
来園者と昼食を取りながら農業分野における障害者の雇用について意見交換を行う。 外資系証券会社の来園には戸惑いがあったが、障害者雇用は企業の社会的責務。 そのことに正面から取り組もうという姿勢には注目すべきものを感じた。 | |
「立松和平さんが亡くなったと社内でアナウンスが流れている」との連絡だった。
早速インターネットで確認。地方紙を中心に既に情報をアップしている。
立松さんとは20年くらい前、米や農業に関連した仕事でご一緒したことが何度かあり、
文筆業の人とは思えない頑強な体をしているという印象があった。
立松さんに最後にあったのは、2年前立松さん「道元禅師」の出版披露パーティーだった。
その時、立松さんに「見沼学」を渡すと
「相変わらずがんばっているね、必ず読ませて貰う」と言ってくれた。
其れが立松さんとの別れになった。
見沼田んぼから立松和平さんの御冥福を祈ります。合掌
見沼田んぼ福祉農園通信
はじめまして。
わたしは現在、大学を1年間休学して中米の国コスタリカに来ています。
コスタリカは、1948年以来「軍隊を捨てた国」で、
軍事費に使ってきたお金を教育や福祉に使うという方針を持った国です。
そのことを6年前に『通販生活』という雑誌を読んで知り、
それからずっとこの国の存在が私の頭の中にありました。
2年前には、スタディーツアーに参加する機会があり、
はじめてこの国を訪れ、政府関係者の方々のお話を聞いたり、
村にホームステイしたりという2週間を過ごしました。
もちろん問題は抱えているけれど「コスタリカは一人ひとりが『生きる』こと、
『生きている』ことの素晴らしさを知っている国だな」と強く感じました。
帰国後、コスタリカでできた友人とのメールのやりとりや日本で勉強を続けていく中で、
コスタリカについてもっと知りたい、2年前の時には見られなかった、
もしくは見ようともしなかった、
問題も矛盾も含めた部分をきちんと見つめたいと思うようになりました。
それで1年間の留学を決断したわけです。
そんないち大学生のわたしの視点から見つめたコスタリカを、
少しでもみなさんに伝えていければ幸いです。
まだまだ勉強不足の身なので、うまく伝えられなかったり、
不適当な表現だったりすることもあるかもしれません。
そのへんも含めて楽しんで読んでいただけたらと思います。
どうぞよろしくお願いします!
色鮮やかな花々が咲いている。
というわけで、数日前にコスタリカに到着しました。やはりこちらの太陽はとても強い!
わたしが滞在している首都・サンホセは山間部なので日陰や朝、夜は涼しいです。
今は乾期でちょうど花の季節なので、
オレンジ、紫、赤などの色鮮やかな花が咲いていて、とてもきれいです。
3月が一番暑い月で、5月くらいから半年間雨期になるそうです。
着いて早々の2月7日(日)に、大統領選挙がありました。
これまでの大統領であるオスカル・アリアス氏は
ノーベル平和賞を受賞した人で2回目の大統領の任期でした。
オスカル氏の党(PLN)から、今回はラウラ・チンチージャ氏という女性が立候補し、
約46%の票を獲得し、当選しました。
彼女は治安の改善や貿易の促進を政策に掲げているようで、
コスタリカにとっては初めての女性大統領の誕生です。
投票は国立の小学校で行われ、たくさんの人で賑わっていました。
まだ選挙権のない子どもたちが投票の手伝いをしている姿もありました。
街はたくさんの車が走り、自分の支持する政党の旗を振り、
クラクションを鳴らして叫んでいる人たちであふれていました。
選挙が終わった時間になってもそれは続き、というかますます勢いを増していきました。
コスタリカ人にとって選挙はお祭りだという話を実感できた1日でした。
中にはひとつの車から二種類の政党の旗が出ていて、
家族の中でも支持する政党が分かれているのが分かりました。
国立の小学校で、自分の名前が貼られている教室の前で投票を待つ人々。
服装でもどこの政党を支持しているかが分かる。
赤と黄を来ている女性は、オットン支持。緑はラウラ支持。
わたしは去年8月に行なわれた衆議院選挙で、
初めて選挙に参加しましたが、投票した政党にそこまでの思い入れはないし、
投票の後もその政党の行いをじっくりと見つめ、
必要があればおかしいと声をあげるようなこともしてきませんでした。
自分の支持する政党の旗を振り、お祭り騒ぎをしている国民たちは、
選挙が終わっても自分が支持する政党や違う政党の行いを見つめていくだろうし、
支持される側の党員たちもいつも見られているという感覚をもって政治を行っていくのではないかと思います。
また今回の選挙は大統領を選ぶだけでなく、国会議員も選ぶものでした。
翌日のニュースを見て、日本人のわたしは単純に女性の数が多いなと思いました。
5年ほど前の女性国会議員比率の比較について書かれた新聞記事で、
上位10位以内にコスタリカが入っているのに対し、
日本は98位だと書かれていたのを思い出しました。
オットン・ソリス氏のPACを支持する人々。赤と黄色がPACのカラー。
4年前の大統領選挙では、
アメリカのブッシュ前政権が促進したFTA(自由貿易協定)が焦点となり、
FTA支持のオスカル氏に対して、
FTAは貧富の差を拡大するとしたオットン・ソリス氏(PAC)が肉薄したという結果でした。
しかし、2007年に行われた国民投票では僅差でFTAが可決されました。
そして、今回もオットン氏は出馬しましたが、ラウラ氏が圧倒的に勝利し、
今後ますますアメリカと協力した経済のかたちがつくられていくのではないかと思われます。
コスタリカに着いた早々、大きな「フィエスタ」を体験してしまった私ですが、
普段の生活についてもレポートしていきたいと思います。
では、また!Hasta luego!
[作業内容]堆肥切り返し・薪作り | |
今日も堆肥の切り返し作業から作業開始 | |
薪備え | |
電動ノコ操作のトレーニング | |
薪割りと堆肥の切り返しをて 休憩する二人。 最近、風の学校は 職業体験を活かし農園活動に復帰、 参加する逞しい女性が増えた。 | |
染を試みる | |
チェーンソー操作のトレーニング | |
けやきを試し切る | |
チェーンソーのメンテのトレーニング | |
チェーンソーの整備をしながら 作業取り纏めをする。 | |
2日間とも風が強く、とても寒い中での作業でした。 7日については、午前のみの作業したが、丸ノコとチェーンソーを使用し、 短時間で率的な作業ができたといます。 | |
Tさんは6日 池の今後の構想を 練るために来園したそうで、 7日に そのスケッチブックを見せてもらいました。 スケッチブック片手に 農園に来るのもいいなぁと思いました。 | |
今回搬入した竹の葉っぱですが、 まだ袋詰めされた状態で 芝生広場の端においてあります。 今後、 重さを測定した上で堆肥にする予定。 計量は2月11日を予定しています。 byマツ |
晴天、風強く 土舞う見沼 | ||
土壌団塊がしっかり出来た福祉農園の土 | ||
11年の土作り成果、強風でも風に吹き飛ばされない。 | ||
加田屋川の川岸に、また不法投棄 | ||
加田屋川を写す。いろいろなものが投げ込まれている。 | ||
・堆肥切り返し ・薪作り ・トラストから竹の葉搬入 ・水汲み
寒起し 隣の今泉さんの畑 畑の土作りが本格化 | |
堆肥の切り返し | |
雲早く風寒し | |
名残の雪 | |
トラスト1号地で 水くみ、竹の落の搬出 |
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竹の落葉は堆肥の原料になる、資源循環を感じる時 | |
薪備え | |
昨年初夏に収穫したジャガイモの仕分け作業。堆肥にするものが少なかった。 | |
生活・介助・労働 すべてを創り出す時代を生きた静佳さん | |
上と左の2枚の写真は、 生活ホームオエヴィスができた1990年の「ニューコアラグループ」のようすです。 この当時は介助や援助の制度がごく少なく、夜間や土曜や休日には関わる人がいますが、 平日の昼間は介助者が限られていました。 そこで、このように静佳さんも弘昭さんの車いすの介助者として活躍していたのです。 ただ、静佳さんは他人のいいなりに動かされるだけではなく、 時々弘昭さんが車いすのうしろにさげていた手提げ袋から中の物を道にポイポイとわざと放ります。 弘昭さんが気がついて怒り、それでまた介助者が気がついて引き返すのが、 静佳さんの「人間宣言」だったのでしょう。 | |
その後の静佳さんの踏み跡― 1992年に重度障害者職業自立協会の事業所「ぶてぃっく・ぶあく」が開店し、店員となります(上左写真)。 翌93年、カナダで開かれた知的障害当事者の組織「ピープルファースト」国際会議に 日本からの派遣団の一人として、母静枝さんやわらじの会などのメンバーと参加 (上右写真…この写真の静佳さんの左後ろに母静枝さん、 その左にいま衆議院議員の石毛エイ子さんが映っている)。 | |
上写真・スーパーで食材を買う | |
1996年、埼玉障害者市民ネットワーク主催・「ノーマライゼーションを求める埼玉市町村巡礼」に参加し、 県内各地を回る(上左写真)。 1998年、ぶあくに雇用されている知的障害の女性達が、共に働く人たちの手を借りながら、 わらじの会の二つ目の生活ホーム・もんてんの一室を使って体験宿泊等を行う |
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上の写真は、オエヴィスの縁側で | |
上の写真は、買ってきた食材を使って、生活ホーム・もんてんで、 お昼にお好み焼きを作っているシーン。 …とまあ、いろいろな踏み跡を残しながら、やがて、静佳さんは、 生活ホーム・オエヴィスの正式な住人となり、 地域デイケア施設・パタパタの通所メンバーとなって現在に至ったのでした 生活ホーム・オエヴィスでのくらし 比較的最近の静佳さんのある一日。オエヴィスでめざめ、朝の介助を受け、車で県庁へ。 | |
県庁第2庁舎の1階ロビーにあるアンテナショップかっぽで店番。 | |
そして午後は、県庁内を移動販売。帰ってくると泊まり介助の学生達が待っていた。 静佳さんの一日は、今もなお生活・介助・労働を創りだし、そのありかたを問い直す日々だった。 | |
さようなら |
農的若衆宿2010冬~耐寒~ | |
1 時 期 平成22年2月13日(土)~14日(日) 2 場 所 見沼田んぼ福祉農園 3 スケジュール 13日:開会式、午前作業、昼食、午後作業、夕食、勉強会 14日:朝作業、朝食、午前作業、閉会式 4 作業内容 枕木埋設工事、ハーブ棚の移動、木の移植 ※作業内容は予定です。当日の人数・天候などにより変更になることがあります。 5 勉強会 百姓先生による畑講座+畑会議 | |
6 参加費 | |
完全参加(2日間)2000円 13日午前~昼食まで500円、午後~夕食まで500円、勉強会500円 14日午前~正午500円 ※食費込み 7 服装・持ち物 作業着(汚れてもいい服装)、長靴、軍手、防寒着・防寒具、寝袋(宿泊する方のみ) ※朝晩は特に冷え込みが予想されます。 作業着以外の上着、フリースやカイロなど十分な防寒対策をお願いします。 8 問い合わせ先 担当:松葉 sachi_santa@hotmail.com 申し込みの際は「お名前・所属・連絡先・参加日時・関心分野」などをお知らせください。 | |
最も教育を必要とする子を切り捨てる 県立高校再編計画見直しを! 本日、どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会(斉藤尚子代表)と 埼玉障害者市民ネットワーク(野島久美子代表)が共同で、 埼玉県教育局に対し、 同局が進める県立高等学校の後期再編整備計画を全面的に見直すよう、 以下の要望書を提出しました(写真は埼玉県庁)。 |
県立高等学校の後期再編整備計画(案)に対する意見 日頃より埼玉の教育のためにご尽力いただきありがとうございます。 私たち「どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会」、「埼玉障害者市民ネットワーク」は、 障害のある人もない人も共に生きることをめざし、 そのためには小学校、中学校、さらに高校においても 障害のある生徒もない生徒も一緒に学ぶことがたいせつであるとして、 1987年秋から埼玉県教育局との話し合いを積み重ねてきました。 その話し合いにおいて、どのような障害があっても、 またどんなに重い障害があっても高校で受け入れられるよう要望し続けてきました。 徐々にではあれ高校への受け入れが進んできているところですが、 未だに障害の重い生徒の受け入れについて理解が得られない状況があります。 私たちは、障害のある子(人)に限らず、高校教育を受けたい子(人)、 必要とする子(人)は「どの子も」(だれでも)公立高校で受けとめていくべきであるという考えに立って、 運動を続けてきました。 子どもたちはだれでも将来の社会の担い手です。 入試の得点が低かったとしても、学力が足りないとして選抜で落とすのではなく、 学力のある子ども以上に教育を受ける機会を与えられるべきであり、 公立高校がその受け皿の役割を果たすべきであると考えるからです。 |
この度発表された「県立高等学校の後期再編整備計画」に基づく高校の統廃合は、 公立高校が果たすべき役割を放棄し、高校への門戸を狭くして子どもたちを切り捨てていくものです。 埼玉における高校教育の行く末が案じられてなりません。 地元の高校がなくなったり、自分たちが卒業した高校がなくなったりすることは、 単にさびしいといった思いにとどまらず、 将来を担う若者たちに教育がきちんと保障されないことを意味しています。 進学がむずかしかったり、 中途退学するような生徒は最初から高校に入れない方がいいといった考え方があるようですが、 学習面で遅れているとか、生徒指導上の問題があるとかいった、 そのような生徒こそ最も教育されていかなければならないのではないでしょうか。 現在さまざまな犯罪や社会問題が起こっていますが、 それらがさらに増長していくのではないでしょうか。 先日新聞報道されましたが、昨今の経済状況の中で家庭経済も切迫して、 公立高校ならなんとか行けるという生徒も少なくありません。 家庭経済がきびしいと私立高校の学費を払うのはむずかしく、全体の生徒数が減ってきていても、 公立高校を受験する生徒はふえていると言われています。 高い交通費を払って遠くの高校へ通うのではなく、 地元や近くの高校へ通えることが家庭経済を助けることにもなります。 また、家庭経済がきびしいと、働きながら定時制に通う生徒も増えるはずです。 職場に近い所に高校があることで、働くことと学ぶことの両立ができます。 統廃合により、単に高校の数が減るだけでなく、職場と高校が離れてしまうこともあります。 家庭経済のきびしい生徒はこのように学ぶ機会も奪われ、 安い労働力として働かされ、ますます経済格差も大きくなっていくことになります。 また、私たちは、障害のある生徒も高校で学べるように、はたらきかけてきましたが、 現在の選抜制度は「障害があることにより不利益な取り扱いをすることのないよう」と言いながら、 得点で選抜することにより、知的な障害や重い障害のある生徒にとっては不利益となっています。 統廃合により、高校の門戸が狭くなると、ますますその不利益性が増すことになります。 これまで少なくとも定員内では受け入れるよう訴えてきましたが、 定員割れする高校もほとんどなくなる状況です。 高校の統廃合により、障害のある生徒を排除することになります。 |
国や県の財政がきびしいからと言って将来の社会を担う若者の教育の機会を保障することを怠っては、 ますます社会は逼迫したものになっていきます。 今こそ、希望するどの子も受けとめる姿勢を示すべき時であると考えます。 今回の高校の統廃合について再検討していただきますよう、どうぞどうぞよろしくお願いいたします。 なお、地元紙・埼玉新聞は、この計画について、次のように報じています。 |
生徒「切り捨て」懸念も 専門家「受け皿あるか」 県立高校再編 |
生徒数の減少や中途退学問題など 学校を取り巻く課題に対応するために始まった県立高校の再編整備計画。 県教育局は「多様化する教育ニーズに対応した特色ある学校をつくる」として 募集定員に満たない全日制や夜間定時制を廃止し、 昼夜開校の定時制独立校や単位制校の導入を積極的に打ち出すが、 教育現場からは「生徒の切り捨て、 進学主義の一極化になりはしないか」との声も上がる。(富田かおり) 「定員増で対応」県教育局 県内の中学卒業予定者は1989年の11万5千人をピークに減少を続け、 02年から6万人台で推移。 県教育局は「生徒募集が困難な状態で将来的にもその傾向が続き、 教育課程編成や部活動に適する学校規模(6~8学級)を維持できない学校」を対象に、 99年から再編整備を進めている。 吉川新校の再編案として挙がっている昼夜開校型の単位制定時制校や、 大井新校と本庄新校で導入予定の単位制普通科は、 生徒がさまざまな選択科目の中から自分なりのカリキュラムを作り、 自分のペースで学べるのが特徴。 特に単位制普通科は「今以上に進学指導に力を入れる」(高校改革推進課)。 学力上位校を増やし県全体の学校水準を上げたいとの考えからだが、 いわゆる学力困難校に通う生徒や、学び直したい生徒たちは「近隣の別の高校へ」とも語っている。 政府が来年4月から高校授業料を実質無償化することで、公立志向の高まりが予想される。 県教育局は「削減後の133校でも問題ない。学級数や定員増で対応できる」と説明する。 だが、教育専門家は「進学化にシフトする中で、夜間定時制で自分を取り戻した子 経済的に地元にしか通えない生徒の受け皿はあるのか」と懸念を強める。 埼玉新聞・11月16日) |
11月12日(木)14:30から17:00、北浦和の県労働会館で、 どの子も地域の公立高校へ埼玉連絡会(斉藤尚子代表)と県教育局との交渉が行われました。http://yellow-room.at.webry.info/200911/article_4.html この交渉の焦点は、小・中学校段階で、 教育委員会からは「本来ここにくるべきでない子」という扱いを受けながらも、 近所の子供達と同じ空間を共有し続けることで、 一緒に遊んだりけんかしたりしながら育ってきた障害のある生徒たちを、 公立高校でも受けとめ、共に生きる地域社会の苗を育んでほしいというところにあります。 「難しい勉強、まったくわからず、苦痛なんじゃないの?」 ……それは中学校でも、小学校でも同じです。 でも大事なことは、その難しい勉強に苦しんだり、 がんばったりしている他の生徒達の状況を、肌で感じること。 試験中のはりつめた空気、放課後の校庭で泣いている生徒の背中、 下校時の寄り道…、すべてそこにいなければわからないのです。 感じてわかるという点では、他の生徒達も、重い障害の生徒と一緒に過ごすことで、 わずかな息のもれや表情を言葉として受け止められるようになるのです。 |
「他の子だって希望する高校へ行けないのに、ずるいんじゃないの?」 ……たしかに入試をゲームと考えれば、ルールは公平でなくてはなりません。 ただ、そもそも公立高校は、 県民の子弟の進学希望の増加に応じて、県民の税金で増やしてきたものです。 定員いっぱい、できれば少々定員をこえても、受け入れることが、ルールの前提です。 また、障害によるハンディをちゃんと設けた上で行わなければ、ゲームは成り立ちません。 重い障害であればあるほど、近くの公立高校で最大限受けとめ、 生徒として一緒に付き合ってみる中で、 コミュニケーションや学習のありかたなどを探り当ててゆくプロセスが不可欠なのです。 |
この日の交渉では、いま高校で学んでいる脳性マヒの生徒からの体験報告がありました。 また、大人の脳性マヒ者の発言を、教育局の担当者がうなずきながら、 「あなたに質問しているんですよ」と会場から説明されて、 実は聴き取れていないのにうなずいていたことが、初めてわかりました。 わからないことを、どう伝えたらいいかすら、わからなかったわけです。 でもうなずくことで、相手にはあたかも伝わっているかのような印象を与えてしまうのです。 あまりにも大きなすれ違い。 それが高校入試の縮図であり、社会の縮図なんだと、会場から指摘がありました。 |
会場に、 4年間入試で落とされ続けている重度障害の吉井くんの中学でのクラスメートの姿がありました。 教育局が「障害による不利益に対する配慮」として入試の際に行っている措置が、 まさに今日の担当者の行動そのものであることを、 彼は吉井くんの受験に付き添った経験から、痛いほど感じていました。 また「定員内不合格はあってはならない」と教育局がくりかえしながら、 実際には「合否は校長の権限」だとして、吉井くんを何度も定員があるのに落としてきたことも、 よく知っていました。大学1年生の彼が、今日は何度となく、 教育局に「いままで4年間きちんと高校を指導できなかったんだから、 今年はどう変わっていこうとしてるんですか」と質問していました。 相変わらずのらりくらりとした答弁に終わった教育局でしたが、 何かを感じ取ってくれたのでしょうか。 どの子も地域の公立高校へ埼玉連絡会で県立高校再編計画見直しの要望を県に出しました! →http://yellow-room.at.webry.info/200912/article_1.html |