<2022.08.13>
今年の8月15日は、で太平洋戦争終戦記念77周年あたるそうです。
昭和20年、終戦の日は、私は小学校(国民学校と言っていた)の1年生でありました。
今でも覚えていますが、当時1年生の国語の教科書はカラー(今では当たり前ですが)で、
「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」で始まる縦書きの片かな文字であったと・・・。
終戦当日は、日時からして夏休みのはずですが、どうも休みではなかった様で、1・2年生は学校から少し離れた森の中にあった神社で疎開授業を受けていたと思います。
『玉音放送』は、今となっては全く記憶にないのですが、その日の帰りに近所のお兄さん(農学校に通っていた)の自転車の荷台に乗せてもらいながら、「日本は戦争に負けたんやなあー」と、そのお兄さんと話しながら帰ったことは覚えてますね。
戦争のさなかには、子供の遊びは『兵隊ごっこ』を良くしていたようで、隊列を組んでは行進?をしたり、誰が大将になるか(やはり『がき大将』ボスがいた)、記憶がありますね。
小学校の運動会でも(未就学の時に見た?)、上級生は杉の葉っぱで覆った『模擬戦車』を動かしながら、
『パチン・パチン』火花がでる鉄砲みたいな物を使って競技をしていたようでした。
家に居て一番怖かったのは時々訪ねてくる(何の用事か?)巡査さん(警察官)でしたね。
記憶にある巡査さんは、上下白い夏の制服に身を固め、白い軍帽をかぶり、腰には鞘(さや)付の『サーベル』(刀)を下げてました。
この巡査さんが来ると、私は隅の方の部屋に隠れたりしていました。
(怖かった理由は、はっきりとは思い出しませんが・・・・制服と刀だったんでしょう)
又、餅つきをしていても、空襲警報が鳴り始めると、「それ、煙を出すな!」ということで、かまどの火を消して楽しい餅つきも中断したこともありました。
あとは、アメリカの爆撃機(『B-29』)が、編隊を組んで夜中に「ごうごう」と音を立てて上空を飛んで行ったり・・・・、と想いでは尽きません。
昭和20年8月15日、この日を境に今日まで自由で平和な日々が続いているわけですが、先人のご苦労(特に戦争犠牲者)に感謝すると共に絶対に戦争を起こしてはならない・・・・。
あらためて胆に銘じながら、77年前を振り返った事でした。
<夏空・・・・雲 乱舞>
<夏・・・・百日紅と入道雲>