12/14(木) 今日は、鎌ケ谷市へ来ました。
野馬土手を3箇所見て回りました。
鎌ケ谷市内の残存する「野馬土手」に行きましたが、なかなか立派なものです。
野馬土手とは、江戸時代に幕府が設置した放牧場から馬が逃げ出さないよう作られたものたわそうです。千葉県北部に広がる下総台地上には、小金牧(5つの牧場の総称)、佐倉牧(7つの牧場の総称)があったそうです。
馬の放牧場と言っても、現在の千葉市花見川団地付近から船橋市咲が丘まで、ちょうど船橋市中央部を縦断するように続く、広大なものでした。寛政期(1789~1800年)には、野馬除(のまよけ)土手は、総延長19,488間(約35.4km)、勢子(せこ)土手は4,020間(約7.3km)あったそうです。
鎌ケ谷市の野馬土手には、エノキやクヌギ、コナラ、ニガキ(?)などの大木が残っています。 落葉していて、樹形や樹皮と落ち葉の情報ですが、5、6月ひ葉や花を確認し、同定したいと思います。
ニガキの樹皮や枝は、漢方薬に使われ、日本ではニガキなどを煎じ,家畜や農作物などの殺虫剤として利用していたそうです。
馬との関連はわかりませんが、興味深い木です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/12/92/a86e31698dfcde8e2902bae52cdb0302_s.jpg)
野馬土手を3箇所見て回りました。
鎌ケ谷市内の残存する「野馬土手」に行きましたが、なかなか立派なものです。
野馬土手とは、江戸時代に幕府が設置した放牧場から馬が逃げ出さないよう作られたものたわそうです。千葉県北部に広がる下総台地上には、小金牧(5つの牧場の総称)、佐倉牧(7つの牧場の総称)があったそうです。
馬の放牧場と言っても、現在の千葉市花見川団地付近から船橋市咲が丘まで、ちょうど船橋市中央部を縦断するように続く、広大なものでした。寛政期(1789~1800年)には、野馬除(のまよけ)土手は、総延長19,488間(約35.4km)、勢子(せこ)土手は4,020間(約7.3km)あったそうです。
鎌ケ谷市の野馬土手には、エノキやクヌギ、コナラ、ニガキ(?)などの大木が残っています。 落葉していて、樹形や樹皮と落ち葉の情報ですが、5、6月ひ葉や花を確認し、同定したいと思います。
ニガキの樹皮や枝は、漢方薬に使われ、日本ではニガキなどを煎じ,家畜や農作物などの殺虫剤として利用していたそうです。
馬との関連はわかりませんが、興味深い木です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/36/c9/b5f6e643cf2333ab12c40a624c241b84_s.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/12/92/a86e31698dfcde8e2902bae52cdb0302_s.jpg)