toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

363-291223この日が天皇誕生日であるのもあと1回

2017年12月23日 | もろもろ

庭の掃除をしていて、ミツマタの木に目が留まる。秋まで青かった葉はちりちりに

枯れてしまったが、来春の花芽がしっかりと寒さに耐えている。

 

平成天皇のご退位が正式に決定したので、12月23日が天皇誕生日となるのもあ

と1回だけとなった。平成31年が最後の平成がつく年となる。次のお正月は平成

を振り返る特集番組やら報道記事が目白押しに並ぶだろう。

明治以降和暦が天皇の在位と密接に結びついている。既に新しい年号の検討に入っ

ているではないか。平成改元では県や市への提出書類の年月日記入で平成に慣れる

まで2ヵ月ほどかかった記憶がある。また当時コンピュータのメモリーは今よりは

るかに高価で貴重だった。ファイル設計で取引年月日を表すのに昭和の年数を使い

391010とした。西暦での19641010に比べて2バイト節約できた。年

号が替わると問題だとの認識はあったが当面の課題を乗り越えなくてはならない。

そしてその時が来た。後輩達は予想通り修正に苦労したと聞く。西暦の下2桁を使

用しても同じこと。1999から2000年に変わったときに問題の解決を迫られ

たはずだ。懐かしい思い出。

和暦は日本の歴史を認識する際の時代区分として優れたものを持つ(特に近世)。

くどくど説明しなくても「大正時代はね・・」それだけで時代の概観を掴める。大

正12年の関東大震災と言われればピタリとくるが西暦表示で言われるとその辺が

ぼやける。

反対に和暦年号、例えば延享2年と言われてもどの辺りかが判らない。年表で調べ

たら西暦1745年でこの年伊能忠敬が生まれている。私は両方を使い分けること

に賛成。西暦に一本化すればすべて良しというものでもあるまい。公文書は西暦で

統一するのはよろしいのではと思うが・・

 

さて、朝日を真正面から浴びた妙義山を紹介します。 

先日、妙義山を真正面から眺められるホテルに泊まる。毎週水曜日に秋間梅林の峠

越え40kmを走るメンバーとここで忘年会をするため。81才から62才までの

この趣味を通してのみの友人たち。私は平均年齢を引上げる方に分類される。二次

会は部屋に戻り幹事が用意してくれた酒とつまみで更に盛り上がり気が付いたら

11時を過ぎていた。若い皆さんは我々年寄りの来し方の話を聴きたがる。誰もが

順風満帆の人生を歩んできたわけではない。多少誇れるのは後期高齢者に区分され

た現在でも若い人たちと自転車に乗れる健康が維持されていることだが、この仲間

では当然なことでさほどの話題にはならない。

やはり半世紀の仕事人生如何に関心がある様子。私が語る番がきた。仕事上でぶつ

かったいくつもの悩みも今となっては思い出の一コマでしかない。自分でも不思議

なくらい冷静に率直に話すことができた。見栄を張る必要もなく失敗を恥じる感覚

ももうない。あったままの素の自分を聞いてくれるこんな仲間がいることが嬉しい

と感じた夜だった。

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