私自身の好みで昭和を背景にした小説や詩に興味を引かれる。 この期間の半分
は自身も同じ空気を吸ってきたので他の時代よりも思い入れが多いせいでしょう。
戦前の鉄道は幹線を除けば蒸気機関車と木製で垂直な背もたれの椅子の客車が
普通でした。 これは私が成人になるまで続いた。 現代はスピード感溢れるスマ
ートな電車が一般的になってしまい、あの哀愁を含んだ夜汽車に接する機会がなく
なってしまった。 あの雰囲気はもはや文学の中でしか味わえない。 夜汽車の情
景は頭の中で思い出すことは出来るが、文字で表現しようとしても我が筆力ではで
きそうもない。
一流の作家の詩を拝借するのはいかがかとも思うが、感銘した詩であるので、当
時の夜汽車の情景をその力を借りて表現しても罪にはならないでしょう。
ということで、私が一番好きな萩原朔太郎の有名な詩を話題にします。
昭和四年の冬、妻と離別し二児を抱へて故郷に帰る
わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔(ほのほ)は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
夜汽車の仄暗き車燈の影に
母なき子供等は眠り泣き
ひそかに皆わが憂愁を探(さぐ)れるなり。
鳴呼また都を逃れ来て
何所(いづこ)の家郷に行かむとするぞ。
過去は寂寥の谷に連なり
未来は絶望の岸に向へり。
砂礫(されき)のごとき人生かな!
われ既に勇気おとろへ
暗憺として長(とこし)なへに生きるに倦みたり。
いかんぞ故郷に独り帰り
さびしくまた利根川の岸に立たんや。
汽車は曠野を走り行き
自然の荒寥たる意志の彼岸に
人の憤怒(いきどほり)を烈しくせり。
「ひとり~ 」から 「~見えずや」 の部分は強く印象に残り、何度口ずさんだこと
か。 この詩の背景は朔太郎の鬱屈した心だが、舞台となる夜汽車は蒸気機関車
とそれに牽引される客車であった。 今、凍てつく闇夜を切り裂くようにばく進する
SLはもう期待しようもないが・・・
この線路を離婚後の朔太郎は幼き二人の娘を連れ、傷心を癒すべく夜汽車に身を
委ね、父の実家のある前橋を目指したのだろう。 詩の雰囲気を再現すべくシャッ
ターを押したが、そこに漂う憂愁を含んだ表現には程遠かった。
夜汽車という言葉から想像できる喜びよりも怒り、楽しみよりも哀しみは、実際に乗
った体験がないと解からないかもしれない。 この詩は写実的な写真よりもずっと
ずっと夜汽車の情景を表現しているといつも思う。
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