toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

385-300519かっての養蚕農家の2階に上がる

2018年05月19日 | もろもろ

その昔信越本線松井田駅はスウィッチバックの停車場だった。駅が本線よ

りも高台にあり、各駅停車は本線に停止後バックで駅まで戻りながら登っ

た。その駅も西松井田駅と名前を変え、平凡な田舎の駅の一つになってし

まった。軽井沢駅の先、御代田駅にもこの機構があったと記憶している。

その駅舎の近くで見かけたアヤメの群落。こんな光景は田舎ならでは。

 

富岡製糸場の施設や周辺の養蚕農家が世界産業遺産に登録されたのは数年

前。ここ中山道の道際の農家も少なくとも30年前までは盛んに養蚕をして

いた。それらの元農家の一軒に立ち寄り、2階に見る機会があった。

1,2階を貫くケヤキの通し柱を中心に養蚕の現場が残っていた。柱近く

の機械はマユのケバを落とす装置らしい。裸電球の先にカイコ棚が、奥に

回転まぶしと呼ばれていたカイコがマユを作る時利用されるちょっとした

道具が積んである。重力を利用してまんべんなくカイコがマユ作るように

した道具。道具といっても細い厚紙をマス目にした一辺が40cmほどの

正方形の枠。真ん中に太い針金を通し、縦にして隙間なく配置する。そこ

にマユ生成にまで成長したカイコをばらまく。各マス目をカイコ一匹が占

有するようにするための装置。片寄ると重みでくるりと半回転し上下が反

対になる。何とも簡単な仕組みだが革命的な方式と聞いた。重力を感じて

自分の位置を割り出すのは動植物を問わず生物共通の能力のようだ。

輪島、貴花とあるのは、亡くなった北の湖元理事長の前、今でもダンディ

ーな雰囲気を維持する相撲解説者元横綱北ノ富士の力が衰えてきた時代。

世代交代で力をつけてきた両力士だろう。貴花とあるのは横綱日馬富士の

愛弟子への暴行問題でマスコミを騒がせた貴ノ花親方の父親。黄金の右上

手と称された輪島は今どうしているだろうか? 亡くなったとは聞いてい

ない。

幾重にも張り重ねられた新聞紙に日付が見つかった。昭和63年5月7日

とある。調べてみると、このひと月前に瀬戸大橋が開通している。

隅っこにマユが数個落ちていた。よく見ると中のサナギが食い破った跡が

ある。もう30年近くこの状態にあったにしては白さが際立つ。

中山道から見た養蚕農家。屋根や窓枠は補修してあるようだが、家その

ものは明治中期の建築。100年は優に超えている。

 

私は農家に生まれてはいないが、当時の養蚕の風景はよく記憶している。

2階ばかりか、最盛期には庭先にも簡単な雨よけを設けその下で、足ら

なければ居住空間にまでカイコ棚が作られた。旺盛な食欲は一夜のうち

にクワの葉が食い尽くされる。葉を食べる音が夕立の雨音のように家中

に響いていた。木部だけになった枝は小屋の側に積み上げられて、乾燥

させてかまどや風呂の燃し木になった。実に巧みな循環形農業が繰り拡

げられた。高台の農地は桑畑が拡がっていたが、今は宅地にならないよ

うな畑はこんにゃく畑に変わってしまった。

 

 

コメント