空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

なんで、こうなったのか、考えること。

2009年06月14日 05時55分12秒 | 思考試行
以前からの関心なのだが、縄結びについて、どういう仕組みになっているのか、気になっていた。

トラックに荷物を積んで、締める場合に、全体重をかけるようにして、締めるやり方がある。手馴れた様子で、それをやっている人をみると、教えてもらうのだが、早くて、なかなかモノにならない。

簡単そうで、理屈が解らない。そこで、古いロープワークの本を引っ張り出して見ていると、トラッカーズヒッチという結び方が出てきた。

輪を作って、そこにロープの端を入れて、締めるのだが、仕組みを、考えると、どうやら解ってきた。引っ張ると、簡単に解ける。蝶々結びの要素も入っていることが解った。

考えないと、これは解らない。やり方だけ知っていても、何故か、と考えないと、応用が利かないということである。

ロープをピンと張る技術を、自分のものとすることができた。けっこうな達成感がある。これこそ、先達の知恵の財産なのだが、こうしたものを、全部引き続けていけてるものだろうか。

お金を転がしているだけで、大儲けをしていると、こういう基本的な、しかし、人間らしい技が、どんどんと、消えていくのではないか、という気がする。

政治や、行政や、世の中の仕組みについても、一人ひとりが考えていかなければならないと思う。

戦争をしない、させない。

2009年06月13日 16時17分05秒 | 思考試行
平和な暮らしが、何よりである。そのためにどうするのか。すべては、それが基本である。

メンツとか、その他のことは、捨てるべきである。

戦争の可能性が生ずるようなことは、しない。させない。それを貫徹する。

国内的にも、国際的にもである。

調和のある暮らしが、可能なためには、技術もいるし、研究も必要だろう。

人間が、人間足りうる条件は、殺し合いをしなければできないはずがない。問題の所在を明らかにし、平和的手段で、解決にあたる。

それしかないし、それでいいではないか。

民主党の政権が、近いようにいわれているが、鳩山代表は、改憲を主張していた。その意味では、やはり危険である。

戦争を絶対にしない国にしておくことが、世界に平和を広げる第一歩である。だれが考えても、戦争などないほうがいいに決まっている。

それでも、景気の動向などで、戦争待望論が出たりする。恐ろしいことである。

利己と利他

2009年06月12日 08時54分37秒 | 思考試行
結局は、利己的か、利他的か、に分かれて人は生きているのではないだろうか。

慨して、利己的な立場に立つ人間は、その生い立ちに、大きな原因があるのかもしれない。だがすべてではない。

環境が劣悪でありながら、後天的な、努力によって、克服して、社会性をもち、正常に健康な人間関係を築いている人もいるだろう。

利他的な人も、自身の価値観の問題であるから、環境と無縁ではないが、より後天的な要素が大きいと思う。利他的行動というのは、本能や、欲望をコントロールし、どちらかといえば、動物としての自然の姿に反する行動のように思われる。

自然界は、弱肉強食である。人間界は、そのままの、競争原理のみでやってきたのではないにしろ、背景には、色濃くその「自然」の姿があることは否めない。

そのなかで、文明とか文化で、人間界を、豊かなものにしてきたといえる。しかし、まだ過渡的状態であり、とても完成しているとはいえない。

お粗末な、残虐な事件が続々と起こっている。権力を持てば、恣に己の欲望の満足に走り、富の力を誇り、人間界に、多くの害悪を齎す。

この苦境から、人類が脱するのは、いつのことになるのだろう。理性で描く、理想のみでは、その解決は不可能かもしれない。感情、感覚であるとか、今は、曖昧模糊としたツールであるが、それが機能して、そのうちに、「試薬」のような働きを持ち、その手法が成熟して、利己、利他の原因が明らかにされる可能性があるのではないか、と想像している。

敏感に、傾向が察知され、その矯正が行なわれる。教育の一環に組み入れられる。そのなかで、人間界は、大きな変貌を遂げていく。自然界との共生が計られていく。


本質

2009年06月11日 10時38分37秒 | 思考試行
生存を守り、暮らしをまともなものにする。そのためには、ある程度の競争や、アクセントがあってもいいとは思うが、度を過ぎればいけない。

莫大な富を得ることを目指してみたり、相対的な優位を得ることを、人生の目的にする人びとばかりであれば、世の中棲みにくく、とても魅力的とはいえない。

人生の味わいというのは、どこから生まれてくるのだろうか。価値観のまともなことが、その前提条件になる。

地位や名誉や、富がその根幹にあるようでは、程度が低すぎる。お互いの生存、暮らしに目が向いていなければ、共存できない。

だんだん、当たり前のことが、大事になってきている。マネーのコロガシで儲けてきた連中の破綻によって、新しい世界が生まれる可能性ができつつあるようにみえるが、また、復活してきているともいう。

実態経済を、目茶苦茶にした元凶が、反省もなく、また出てくるとすれば、人類は何を学んだといえるだろうか。


姿勢

2009年06月10日 17時46分38秒 | 思考試行
実際のことは、事に臨まないと解らない。現場に行き、当事者に聞き、調べる。その上で解決策を模索する。

逃げてはダメだし、手を抜いてもいけない。真正面から問題にあたる。そのなかで道は開ける。そうなると、世界は広がる。

人間にとって、仕事があって、生きがいがあれば、それは幸せである。働く必要がない人は、趣味に生きるのも、それも良いかもしれない。

自分が夢中になれるものを持つことは、究極の目標になる。これを持てれば、人生は成功といって、過言ではないだろう。

日々、科学の進歩があり、人間自身についての研究もすすんでくる。そうした動向に関心をもち、流れに乗ることも、いいことだと思う。

対処

2009年06月09日 07時26分05秒 | 思考試行
清廉潔白な人が、離婚したりすると、それは、マイナスイメージとなる。事情がどうであれ、普通ではない、となる。

だが、その困難をあえて実行することは、正直でもあり、人生を真剣に生きているともいえるかもしれない。

一時期の、錯覚であったかもしれない、結婚も離婚も、人生全体にとって、大きな意味を持つ。結婚によって、人間関係は変化する。新しい生命が誕生すれば、それは、なおさらである。

小泉首相は離婚している。どういう事情かはわからない。若いときには、とんでもないことをして、ほとぼりを冷ますために、イギリスへ渡ったという話がでたりもする。

それでも、そんなことは関係ないとばかりに、政治家としては、成功したといわれている。人気もあった。人気が出たのは、あるいは、マスコミの陰謀かもしれないが。

それが、弱者切捨てであり、アメリカ追随の、金持ち優遇政策であっても、人びとは、それに乗せられた。なにか新鮮なものを、感じたのである。

真実があきらかになるのには、時間を要する。彼がしたことが、よかったのか、どうか。

寒空に、住む家も奪われ、放り出された人びとは、自分のせいにしていたりする。それは、政治のしたことである。一旦、正社員の道を外れたならば、這い上がれない仕組みにしたのである。ひどいことである。

地球環境も、待ったなしの状態である。政府は、環境問題にどうやら真剣ではない。財界のいいなりのようだ。これでいいのか。

国民は、一票の行使で、日本の政治の方向、世界の方向、地球環境の行く末を、選択をしなければならない。はたして、どういうことになるのだろうか。

いろいろの人がいる。一本道ではいかない。変な人もいる。創価学会員の事務員の前で、批判を開陳したら、以後、悪意のある対応を陰に陽にされるようになった。社長は、学会員ではないが、いろいろ吹き込まれているようで、なんでも、疑いからはじまるようになった。

この事務員、社長には忠誠を尽くす。そうして、信用を得ている。

問題があると、まずは、こちらのせいではないか、とスタートする。調べてみると、事務員が、書類をしまい忘れていただけなのだが、まずは、こちらのミスに転化しようとしたことになる。それが、明らかとなっても、恥じることはない。

油断できない関係になる。あらさがし、悪意のある関係。信頼できない関係。相手のためにと思っても、真意は伝わらない。善意は当たり前、感謝されることもない。何しろ出発は、悪意なのである。

こういう人とは付き合いたくないが、そうもいかない。そのなかで、こちらの姿勢も点検しながら、対処するしかない。



政治家の尊大さは、どこから来るのか。秘密のベールをはがせ。

2009年06月08日 09時08分07秒 | 思考試行
政治の世界は、実力者がしなければいけないものだろうか。それこそ、ボランティア的な、誰もが義務として参加しなければならないもので、それには、すべてが公開され、権力的な色彩を、生じさせない仕組みでなければならないのではないか。

共生が、その底流にあって、対立をどう調整するかであるが、そもそも、競争を前提としない生存方法であれば、可能なのだろうが、そうもいかない。とすれば、権力を持って人に対し、利権に貪るものが出ても、仕方がないとするのか。それとも、独裁者の存在も許すのか、ということになる。

人智の限りを尽くして、この調整ができないようでは、人類の明日はない、と思う。ともかくは、実態の公開であり、誰もが、それを知ることができることから、始めるしかない。そのなかで、政治家の仕事ぶりが明らかとなる。偉そうな政治家というのは、秘密のベールに守られて、その尊大さを維持してきているのである。

権力の生ずるところ、官僚組織も同じであるが、秘密を武器にしている。何のために、秘密にするのか。秘密は、利権をまもるために存在する。利権が、必要でなければ、公開できる。利権は、人のやる気の源泉であったりするので、この扱いが、社会のあり方を決めることになる。

占いを信じる人はどうかと思いつつ、付き合い易い。

2009年06月07日 07時45分47秒 | 思考試行
占いを信じるか、と聞かれれば、気になる、というぐらいであろうか。証明できた試しはないので、信じると危ないのは、当たり前である。

それにしても、雑誌やテレビ、どこにでも占いは登場している。それだけ、関心が高いということだろう。こういうものに、囚われている人が多いほど、世の中、まだまだだ、という実態が現れる、とは思う。

占いに凝っている人に出会うたびに、基本的に切り捨てゴメンとばかりに、止めたほうがよいとやるようにしているが、言われた方も、そういううるさい連中は、相手にしない、と決めておられるようで、あまり、ケンカにはならない。

方位がどうの、日がどうの、と真剣に考えている人をみると、正直、あまり付き合いたくないと思う。ところが、そういう人のほうが、慨して常識的で、かえって付き合いやすいのである。

全部は、同感できなくても、付き合い易く、そして、共感もしやすい、ということができる。

一方、一切眼中にないという人は、幅広く、とんでもない連中もいて、こんなのは付き合うどころではなかったりする。その辺が、理屈通りにいかなくて、不思議なことである。

千と千尋の神隠しをみた。

2009年06月06日 06時42分04秒 | 思考試行
昨日、テレビで「千と千尋の神隠し」を見て、感動した。絵や音楽、そして、娯楽性、子供たちにも見てもらいたい作品だし、子供の親達にも、みてほしい作品である。

そればかりではない、アラブやイスラエルや、北朝鮮、中国、ロシア、全世界の人に見てほしいと思った。

たしか、初回は、劇場でみたと思うのだが、筋の本質はおろか、中味の把握が、まったくできていなかったことに、愕然とする。

小生が、こうして駄文を作る意味は、なんとか、社会貢献をしたいという気持ちも若干あるのだが、それを、キチントまともに、仕事をしている人がいて、このような立派な作品にしている事実に、感動する。水準が、ぜんぜん違うけれども同志的な感情が生まれる。有難うといいたい。

そして、作品に、すでに触れていたにも関わらず、その真の味わいができていなかったことに驚く。一度目も、確かに、感心しているはずだが、本質において、把握できていないし、作者の意図を、贅沢にも、どしどし、見落としているのである。なんにも見えていないといっても過言でないぐらいである。

だけど、二度目の、このよく見えることはどういうことだろうか。何事も、しっかりみないと、本質には迫れないということだろう。一度ではだめなのである。

随所に、作者の息吹がある。アニメだから、偶然はない。すべてに、作者の意図が入っている。自然を、写して、そこから作者の意図をこえての感動が生まれる、というのではない。

その意味で、この仕事ぶりは、何だと思う。丁寧な作り方、電車の中で、影の薄い、だが体つきは立派な乗客が降りるために、網棚の大きな荷物を下ろす場面で、吊革が、一本だけだったか、とにかく、リアルに、少しふれて揺れていた。

ちょっとショックを受けた。実際には、吊革に触れずに、網棚から荷物を下ろせるかどうかといえば、相当大きな荷物であるということであり、手荷物ぐらいではそんな風にはならないだろう。

であれば、荷物の大きさを言いたかったのだろうか。どうやら、簡単な旅ではなさそうで、元気もない。あの世への旅のようにしかみえない。と、話の本筋ではないが、人生についての作者の深い意図が、ここにも流れていて、そのために、この揺れが、ものすごい説得力がある。

仕事ぶりの、姿勢、意図、それらが、その真剣さが、判るのである。場面の一つひとつは、すべて、作者の意図なのである。

そこで、この作品は、どのように、世界で見られているのだろうか。世界中で、見られるべき作品である。

アフリカで上映すればどうなるのだろうか。援助もいいが、この映画を現地語でみた子供たちは、大人たちはどう考えるだろうか。

ケニアの貧しい地域の人たちに、暮らしのなかに、高橋尚子さんが、靴をプレゼントしていたが、これも昨日のテレビでみた。子供達の喜ぶ姿が紹介されていた。

この作品をみたら、彼らはなんと思うだろうか。自分達で、なんかしようということにならないだろうか。

戦争している真っ最中のところでは、この作品をみてどう思うだろうか。丁寧な作品作りは、圧倒的名説得力を持つ。アメリカではどうだろうか。オバマ大統領を誕生させた国である。もっと、良くなるに違いない。

エラそうにいう、小生自身が、なんとも多くのことを見逃し、この作品の力をキチント評価できていなかったことに驚く。やはり、復習が必要である。まじめに、生きていこうと思う。宮崎さん達、有難うございます。いい仕事です。

ただ、これを世界に広げる仕事は充分されているのだろうか、と思う。営業が充分とはいえない気がする。これこそ、消費されるだけではない作品ではないか。人類の財産になる作品だと思う。

最後の場面で、髪飾りが光る。これも、見落としていた。ここに、強い意志がある。このときもショックがきた。千尋の体験が、事実であり、もう前の千尋ではないのだ。

ゼニバアとユバアの姉妹。二人で一人の・・・とゼニバアが言う。恐いといわれるゼニバアのやさしさ、坊の成長、面白い。語り合えることが多くある。

世界に広げるために、営業すればどうだろうか。その仕事は、誰がやっているのだろうか。どうもその分野の仕事は、充分ではないのではないか、と感じた。


共生へ。

2009年06月05日 07時54分45秒 | 思考試行
一人の人間の力というのは、通常微々たるものと認識されている。とりわけ、派遣切りの対象になった人びとと、経団連の御手洗会長と比べると、前者はとるにたりない存在として、ミタライさんは思っていることだろう。

すごい機械を、とんでもない安値で提供しているのだから、それは、すごいことなのだが、一方で人を切り捨ててきた。総合的には、残酷な資本の論理だけが、目立つことになる。

ではどうすれば良いのか。座して、高賃金の労働者を守り続けて、競争に敗れて、業界から去ればいいのか、それもできない。今の、世の中の動きは、必然であり、どうしょうもないのか。

製造業できた人は、製造のみ、というのではなく、新しい分野の開拓が必須であり伝統的といわれる分野でも、見直しが必要であることは、確かなことだろう。これらの変更には、相当なアイデアがいる。エネルギーもいる。

前向きに何とかしようとする熱がいる。それは、政治家に求められている。そこで世襲議員や、長く議員をしている人には、その熱が欠けているいわざるを得ない。アイデアがない、滾るような情熱が見えない。周囲に押されて、段取りされた道を歩むことに慣れきっている。

これでは、新しい転換は、到底望めない。大阪府知事の橋下氏の活躍は、まさに、この熱を感じる。世襲や、ベテランでは到底できないエネルギーがある。そして、宮崎の東国原知事もその熱がある。大阪府の場合、女性のオオタ知事の時代と大違いである。オオタさんは、中央官庁の幹部の出身である。

時代によれば、横のネットワークみたいなものが意味があることもあるのだろうが、旧来の考え方では、対処できないときには、個々人の情熱、力がとても大きな意味をもつ。

エラブルことなく、朗らかに、改革を訴える橋下氏には、大いに刺激をうける。

共産党はオバマさんに手紙を送った。アメリカ帝国主義といっていた国に対してである。そして、返事がきた。時代は変わるのである。

中国は、天安門事件の総括が未だにできない。この辺が変わると、世界は大きく転換していくに違いない。方向は、共生である。変わらざるを得ないし、かわらなければいけないのである。


やっぱり憲法9条は必要だ。

2009年06月04日 17時52分16秒 | 思考試行
また、コメントをいただいた。小生が社民か共産か、と思っておられるらしい。いずれでもない。もちろん公明でもないし、民主、自民でもない。いわゆる無党派、ノンポリになるのだろうか。すべて一致することなんてありえないし、私は私である。誰かの子分になるのは、まっぴらゴメンという考えです。

ただ、いろんなことを、観察はしているつもりである。真面目か、不真面目か、危険か、安心か、良心的か、ひねくれていないか、血や涙はあるのか、・・・

北朝鮮や、中国、アラブ、ロシア、イスラエル、その実態は知らない。それでもマスコミの報道で、見る限りは、かなりの問題があるのだろうとは思う。すべての地球上の人間が、自由に、しばられずに物事の判断ができたり、しょうもない闘いに人生をかけるようなことはして欲しくないといいたいだけである。

といって、日本も手放しで良いとも思えない。問題点はアルに違いない。満点はありえない。人間そのものの限界だろう。間違えるのである。

今日、DNA鑑定が不一致ということで、無期刑で服役していた方が釈放された。自白を強要され、当時の精度の悪い鑑定結果にしばられて、三審制度の甲斐もなく、17年もの間、獄中につながれていたという。

日本にも、あきらかに問題があるということだ。当事者の立場になれば、その悔しさはいかばかりだろうか。真面目に、ものをチャントみることは、本当に難しいことだと思う。あやまちを改めるに、憚ることなかれである。

自信満々の優等生など、カン違いする典型ではないか。人を馬鹿にしたり、道具のように扱ったり、問題はけっこう優秀だと、人にもいわれ、自分もそう思っている連中こそ、危なかったりする。

やはり憲法9条は守りたい。

2009年06月04日 10時01分52秒 | 思考試行
昨日の記事にコメントをいただいた。小生は、地球は狭いと考え、ケンカしている場合ではないと、言う。その方は、まだまだ広いという。

グーグルアースで地球を丸ごと見せてもらえるようになって、地球そのものと人間との関係は、格段に密接な感じを受けるようになっているのは否めない。地球は狭いヤンカ。

環境汚染は、全体へ影響する。国や、民族や、宗教や、しょうもない括りで、いがみ合うのは、本当につまらんと思うのである。

その方は、徴兵制は、憲法9条とは関係ないと言われている。そうなんだ、と感心するが、軍隊のないところに、徴兵制はないだろうというのが、素人考えである。

なるほど、軍隊ではない「軍隊」に兵役義務を課すことは、あり得るかもしれないと思う。これも、かなわん話である。

人間、お互い協力しあいながらでなくては生きてはいけない。ただ、その関係は、できれば、ギリギリしめあうような関係でない方がよい。淡い付き合いも選べるようでありたい。その意味で、徴兵制なんていうのは、最悪である。

ただ、戦う意志充分の方には、やる気のない人間が、どんなに邪魔かというのはよく分かる。国のために、命を捨てるという覚悟の方から見れば、話にならん相手なのだ。

そういう方には、視野を広げて、国から離れて、地球規模で命を捧げる覚悟で、ご活躍いただきたいと思う。

小生など、きれいごとをいいながら、とことんのところで、計算されたことしかしていない、命をかけて、仕事に取り組もうともしていない。そんな覚悟もないといえる。せいぜい国境なき医師団に、1日50円コースの寄付をさせていただいているぐらいのことだ。

やれば、もっとできるはずなのに、日常は、まさに、自分のことのみで生きている始末である。

家族の存在が、周囲の目が、無茶をしないように、自分を支えてくれている。場合によれば、とんでもないこともシカネナイ、そんなモノが、あきらかに、自分の内部にあることに気付いている感じもある。

恐ろしい人生でもある。人に殺されても殺してはいけない、ぐらいには考えているが、土壇場ではそれも定かではない。そんな中、やはり、憲法9条は守りたい。

憲法9条をかえることの意味

2009年06月03日 13時57分23秒 | 思考試行
他国からの侵略を防ぐという口実のもと、軍備が絶対であるとして、憲法9条を変えたいという議論が出てきている。憲法9条の条文をみて、一切の自衛権もないとする考え方もあるが、自衛権はあるという、考え方もある。

あの文面でも、そういう解釈ができるのか、という具合である。結局は、自衛隊という既成事実をこしらえて、今や、自衛隊は、どこから見ても軍隊である。他国から攻めてきた場合に、では、どう機能するのかといえば、憲法があるから一切抵抗しないということにはならないのだろう。

であれば、純粋に自分からは、手を出さない、というか、制約があるけれども、国を守ることはできる、ということになる。強力な相手には、従わざるを得ないにしても、というのは理屈である。実際に、強力な軍事力を背景にして、そんなことを言ってくる国があるとしての話であるが。

憲法9条を変える意味は、他国に手を出せるということを意味する。結局は、自国の権益のために、軍隊を動かせるということだ。自国のためと言いながら、誰のためかは、不明で、戦争したい連中に、国民が踊らされる羽目になるということである。

庶民には、戦争をしなければいけない理由などない。戦争をしたい連中は、自ら戦地に行くつもりもない。貧しい人びとを動員するのである。

アメリカで、ある映画監督が、議員の息子がどれだけイラクに行っているのか、調べて、あなたの息子をイラクへ行かせろと、息子のいる議員に、挑戦的な取材をしているのをみたが、議員の息子で、イラクへ行っているのは、ほとんどいないだろう。戦争に行くのは、いつも貧しい階層の人びとである。

徴兵制など出来てしまえば、いやでも人殺しのために、戦場に行くことになる。地球は今や狭い。国がどうの、民族がどうのといって、命のやりとりをするのが、いかに馬鹿げていることか、少し考えれば判ることだ。

そういう、可能性にさらされることを考えるだけでもやり切れないことである。憲法9条を、変えさせてはならない。

米原万里さん

2009年06月02日 08時10分13秒 | 思考試行
文庫本になっている米原万里さんの「ガセネッタ&シモネッタ」を昨日、購入した。エッセイ集である。面白い。

彼女はロシア語の同時通訳者として、また、多くの著作のあるまさに才女である。

その「毒舌」のすばらしさ、明確さ、はもちろん、彼女の生い立ちに大いに関係がある。

彼女のお父さんは、日本共産党の幹部だった米原いたるさんであり、温厚な感じのする人であった。仕事で、チェコへ赴任する。その際、一家で移住したのだが、彼女は小学2年生。帰国時のことを考えてか、チェコ語オンリーの現地の学校ではなく、ロシア語の、ソビエトの学校を両親は選んだという。

その時、彼女は大変な苦労をする。言葉がわからず、長い時間、授業の場にいなくてはならないのだから、まさに、苦行そのものである。

だが、その中で、彼女はロシア語になれていく。そして、ロシア語の同時通訳者になったというわけだが、そのセンスは、国際的であり、すばらしい視野の広さである。

彼女の本は、数冊しか読んでいないが、すっかり、ファンになってしまった。若くして亡くなったが、こういう人こそ、人類の財産、希望を与えてくれる人であると思う。

彼女の周囲の人を見る目は、辛らつであったり、温かであったりするが、その感受性に感動する。そして、周囲の人から見る、彼女は、読者たる自分の見方と共通した感じがある。誰もが、彼女の魅力を同様に感じている、という感じ。

率直で、辛らつで、的確で、明るくて、・・・恋もせずに、彼女は逝ったのだろうか。彼女にふさわしい、男がいなかったのだろうか、男性として、非常に残念であるが、恋に狂う彼女は考えられない。性を越えた人なのかもしれない。

だが、ヤカンのような・・・という形容の言葉が、彼女の周囲の人からの、彼女のボディラインの説明として出てくると、異性として、意識せざるを得ないのである。

広い視野で生きて行こう。

2009年06月01日 08時08分37秒 | 思考試行
日本では、八百万の神といい、山川草木悉皆成仏という。あちらこちらに神さんや仏さんがいるとする。それにひきかえて、西欧では一神教である。その他は邪教であり、異端である。としてきた。

たまたまであったのか、それは、日本のほうが、現実世界に沿った考え方であると思う。

今尚、宗教の違いに端を発する争いが続いていて、これが、なかなか終わらない。

原爆を二度も落とされ、悪意に満ちた、集団殺戮たる無差別爆撃をうけて、多くの人命を奪われてきた日本人であるが、きれいさっぱり憾みを忘れたかのように、アメリカの今や、お友達となっている。それも目下の。

それでも、戦争を続けているよりは、余程良い。

日本の戦争動機は、未だに充分解明されているとはいえないようだ。侵略だったのか、やむを得ないものだったのか、戦争にやむを得ないというのは、ナイと思うが時代の状況下では、そうともいえない時期があるかもしれない。

だが、しかし、この地球上の、全生命が、いわば共通祖先から出発している事実が解明されている現代において、生きとし生けるものが、お互い尊重しあいながら、共生を図りつつ、お互いの命のあり方に沿いつつ、暮らしていくべきで、無駄にしてはいけないのは当然だ。

植物も動物も共通の祖先であって、姿かたちは違うけれども、祖先は同じなのだといえば、驚く人もいるかもしれないが、これが現代科学の知見の成果である。立証できるのである。

当然、新しい哲学、考え方が登場しなければならない。いつまで、わずかな違いを
述べ立てて、争うつもりなのか、もう少し広い視野をもって、生きて行きたいものである。あまりに狭い視野からの争いごとが多すぎる。

この狭い視野の持ち主が、諸悪の根源となり、争いの原因を作り出す。カルト集団しかりである。