空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

憲法9条をかえることの意味

2009年06月03日 13時57分23秒 | 思考試行
他国からの侵略を防ぐという口実のもと、軍備が絶対であるとして、憲法9条を変えたいという議論が出てきている。憲法9条の条文をみて、一切の自衛権もないとする考え方もあるが、自衛権はあるという、考え方もある。

あの文面でも、そういう解釈ができるのか、という具合である。結局は、自衛隊という既成事実をこしらえて、今や、自衛隊は、どこから見ても軍隊である。他国から攻めてきた場合に、では、どう機能するのかといえば、憲法があるから一切抵抗しないということにはならないのだろう。

であれば、純粋に自分からは、手を出さない、というか、制約があるけれども、国を守ることはできる、ということになる。強力な相手には、従わざるを得ないにしても、というのは理屈である。実際に、強力な軍事力を背景にして、そんなことを言ってくる国があるとしての話であるが。

憲法9条を変える意味は、他国に手を出せるということを意味する。結局は、自国の権益のために、軍隊を動かせるということだ。自国のためと言いながら、誰のためかは、不明で、戦争したい連中に、国民が踊らされる羽目になるということである。

庶民には、戦争をしなければいけない理由などない。戦争をしたい連中は、自ら戦地に行くつもりもない。貧しい人びとを動員するのである。

アメリカで、ある映画監督が、議員の息子がどれだけイラクに行っているのか、調べて、あなたの息子をイラクへ行かせろと、息子のいる議員に、挑戦的な取材をしているのをみたが、議員の息子で、イラクへ行っているのは、ほとんどいないだろう。戦争に行くのは、いつも貧しい階層の人びとである。

徴兵制など出来てしまえば、いやでも人殺しのために、戦場に行くことになる。地球は今や狭い。国がどうの、民族がどうのといって、命のやりとりをするのが、いかに馬鹿げていることか、少し考えれば判ることだ。

そういう、可能性にさらされることを考えるだけでもやり切れないことである。憲法9条を、変えさせてはならない。