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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

百円ショップの「家計ソフト」の効用

2009年04月15日 09時44分49秒 | 思考試行
百円ショップで、家計簿ソフトをみつけて、使ってみた。このところ収入減で、今まで、余裕があったように思っていたのが、実はギリギリの状態となっている。そこで、支出について検討しようというわけである。

家内は以前から、メモをつけているのだが、アバウトであり、分析できるほど正確ではなく、本人もそれを自覚していた。そこで、このソフトの登場となった。2月、3月分を、おおまかに入力した。何しろ、費目ごとにキチント集計されるから、仔細な検討が可能となる。

小生の小遣いにかなり、家内の目がきていたのが、実は、ほとんどが、切手であるとか、日常の買い物、及び昼食代、そして、本代とけっこう健全であり、それに比べて、家内自身の行動には、反省があったようで、家計全般について、見直しの必要性を感じているようである。

あまりに、節約しすぎるのは、生活の楽しみも奪うことになるから、適当にしなければとは思う。要は、なにを大事とするか、優先順位を決めて生活していくということだろう。これで、家計が健全になれば、安い買い物であったが、効果は抜群であるということになる。問題はこれからである。

善悪

2009年04月14日 08時35分29秒 | 思考試行
善悪を決めることは、できないというのが正解なのだろうが、それは、危ない考え方であって、というか、世間とうまく調和できない考え方であって、まったく推奨できない。

ただ、本質はそうである、ということは知っておく。相対的であって、変化するしそんなことは決められない、ということ。

右顧左眄して、納まりのいいところを選んで方針を決め、なるべく摩擦の起きないようにと心がけていきるのは、賢い生き方の一つであろう。それでは、気がすまないという人もいるだろう。

結局は、選択なのだが、そんなことをグダグダ言う前に、これはコウダという生き方が見ていて、好ましいし、迫力がある。そして、それが集団のなかで、健康的に機能しているならば、それは明らかに善である。

なんの悩みもなく、そうした境地に至ったというなら、それこそ幸せの極致である。しかし、そうでなくても、違うルートも明らかにあって、それが深かったり、味わいがあったりするから、人生複雑で、難しいのである。

「駅路」の結末について

2009年04月13日 10時15分34秒 | 思考試行
松本清張の作品は、社会性がある。人情がある。説得力がある。細部にわたる取材がされているから破綻がない。人気があるのは、いわば当然だろう。

彼自身、生活のなかで、エリートコースを歩んできたわけではない。たたき上げの小説家である。だから、どの作品にもそれが反映しているようだ。文体とか、レトリックとか、テクニックよりも、その筋立て、内容が、彼の作品のもつ力を示していると思う。

それで、「駅路の結末」についての、キーワードで、これを「教えて」とする検索をかけておられる方が、小生のブログにも寄せられている。何も小生に、教えてと依頼されているわけではないが、探しておられるという事実のあることが、ブログアドバンスを利用している小生にも届いたのである。

そこで、結末について考えてみたい。どういうシーンで終わったのかといえば、小生の記憶は定かではない。ホンマにどこを見ているのか、といわれそうだが、要は列車の中で、役所公司演ずる刑事の独白というか、彼のシュシュポッポの心理状態を言っているのではないか、と察するのだが、間違いだろうか。

小生、昨日のブログでも少し書いたけれど、少し感覚的に役所刑事の「思い」が強すぎるように感じたのだが、その違和感が、小生よりも、もっと強い方がおられて、「ナンヤどういうことや、この結末は?」ということになったのでは、と推察する。

思いが強すぎるといったが、石坂浩二演ずる銀行員の気持ちの理解の程度が、若手刑事と役所演ずる定年間近い刑事と違うことに表現されている。

人間の本当に生きたい方向というのは、現実生活のなかでは、よくよく考えると満たされることはない。子供の犠牲になり、その他もろもろの条件にガンジガラメになって生きているのが実態である。そこに、目がいったものは、ガマンガマンの人生である。

ゴーギャンの絵を自宅に飾り、その生き方に深い共感をもつ銀行員、その生き方を実感し、理解している機関車の写真を撮影する趣味を持つ刑事。それが、若手刑事の理解できない本音の世界を語ってみせた、ということではないか。

当事者である深津絵里の心理も語られるが、刑事は彼女に石坂銀行員の本音、真意を伝える。誠実に、「戦友」の気持ちを伝える。そして、それが証明されるシーンも用意されている。

誰もが、石坂銀行員のようには生きてはいけない。役所刑事のようにシュシュポッポとガマンしながら生きていくのである。十朱幸代奥さんの「悔しさ」の激しさも説得力がある。彼女もまた、ガマンの人生だったのである。良家の娘が、アルベキ人生をキチンと、しかし面白くもなくガマンして生きてきているのである。それを連れ合いに裏切られてしまった。

人生みんなタイヘンなのである。ところが、ココントコロは、その「思い」が薄くなってきているように見える。もっとドライになってきているということかもしれない。

「駅路」をみて

2009年04月12日 07時00分15秒 | 思考試行
昨日、テレビで松本清張原作の「駅路」をみた。役所広司、深津絵里、石坂浩二、十朱幸代、などの有名俳優の出演で、見ごたえのあるドラマであった。

人生を「我慢」して生きている、そして、そこからの逸脱、従姉妹同士の気持ちのつながりと、だからこそ生まれる、嫉妬のようなもの、時代背景が違うのは致し方ないとして、思いの濃さの違いを思った。

今は、さらにドライになって、人情味がますます希薄になっていることに気付く。思いが、若い刑事と、定年近い役所広司演ずる刑事とで、違うことが、随所に出てくる。その違いが、そのまま当時と20年後の今との違いに、反映しているように思った。

なに一つ不服のないような人生の、結末。最後の冒険と悲劇。松本清張と脚本が向田邦子で、生誕それぞれ100年と80年になるという。

どちらも、よく知っているだけに、思い出深いし、なじみがあるし、説得力のあるいい作品であった。それでも、思いが濃すぎて、ちょっと違うやろ、などと感じたから、こちらも、相当ドライになっていると思わされた。

生きる方向

2009年04月11日 07時57分47秒 | 思考試行
いつの間にか時が過ぎて、高齢者と言われる年齢になった。しかし、今が一番若いのだから、そう思って前を向いていかないと、と聞いたことがある。

要するに、過去には戻れないのだし、過ぎ去った日々は、それまでで、あるのは今だけで、未来はあるともないともいえない。ハッキリしているのは今だけである。そうは言っても、今が良ければいい、なんて短絡的に考えてもいけない。

先をみて、今努力して、準備していなければ、一挙に物事はすすまない。今をキチント生きるためには、時に過去を振り返ることも必要であるし、先を考えて、今の方針を決めることも必要である。

そうみると、今だけ、なんて言ってると、人生を棒に振ることになりかねない。萎縮するのは、もったいないが、大胆すぎるのもトラブルが増える。といって、中途半端は、あとで後悔するかもしれない。

となると、何に生きる意味を感じ、人生をどう考えるかに係ってくる。自身で、これだと思い、その方向でいけるという道を発見した人は、幸福な人といえるかもしれない。

迷いつつ、悩みつつ、それでも何らかの生きる喜びを見つけ出せたら、これもいい。ただ、日本の現実は年間、3万人以上の人が、自殺している。せっかく、生を享けながら、自らの命を断つ人の気持ちは、いかばかりであろうか。

状況の悲惨さを招いた原因は、政治の貧困、人類文化の未発達、価値観の問題、などいろいろあろうが、せっかくの人生、真剣な検討を加えて、よりよき方向を求めて、主張すべきは主張し、非難すべきはそうして、良いものは良しとし、しっかりと、生きていかなければと思う。

片付けの効用

2009年04月10日 10時40分26秒 | 思考試行
CDとか、テープ類を整理した。戸袋のある物入れに、押し込んでいたのを、このままでは、死蔵しているにすぎないと、ちょっとしたきっかけで、表に出してきた。

そして、その何点かを、聞いたりした。都はるみの歌など、レシーバーで聞くと、本当にすばらしい。新しい発見があった。テープなども、中村元さんの「東洋の心」なんて、わかり易く、内容もシンプルに説明されていて、宝物だと思った。

というわけで、今日も朝から、曲を選択して、朝にふさわしいBGMをかける。生活が豊かになった気分である。

道具は使わないと意味がない。思えば、昔に比べると、豊かになっているなあと実感する。安直にすぎて、値打ちがわからなくなっている昨今であるが、機能的にはすごい進歩をしているから、昔に比べると、生活は、格段の相違がある。

たまには、そうしたことを考えてみるのもいいと思う。贅沢になれてはいけないと思いつつ、すっかりそうなっている。

音楽も、文字や絵では表すことのできない世界を提供してくれる。気分に、多大に影響してくる。なんともいえない贅沢感、世の中すてたものではない。

隠された構造

2009年04月09日 09時08分17秒 | 思考試行
国と自治体との関係が、大阪橋下知事の発言から、我々の目の前で展開されている。マスコミも、この問題をとりあげていて、今まで見えなかった構造が、明らかになってきている。

あの手、この手で、国は自分の都合を、自治体におしつけ、権益を守ってきた。力を持つ側に有利なように、政治を動かしてきた。弱者は、切り捨ててきた。その構造が露わになってきた。

今まで、なぜわからなかったのだろうか。毛色の変わった、特殊な人でなければこういう事態が明らかにされない。世の中すべての構造が明らかになることはないのかもしれないが、隠されてばかりでは面白くない。いい傾向である。

隠された構造といえば、政治の世界で、時の政権党にすりよる姿勢を隠さない公明党が、線香花火的に、弱者よりの「政策」を主張する。単なる人気取り、バラマキ、場当たり政策を出す。

だが、彼らの本音は、本当に弱者の味方だろうか。どうもそうは思えない。池田大作名誉会長の国会喚問をさけるための方策としての議会対策のようにみえる。

海外から名誉なんとかの勲章をもらいまくり、表面には立たないような顔をしながら、各地に区役所規模の「講堂」「会館」を作りまくっている。中には、「・・・池田・・・講堂」などと、池田の文字を入れているところもある。

一時は、国立戒壇を、はっきりと口にしたこともあった。これは、本音であると見ている。前記の会館施設は、このために作られていると見る。宗教施設の体裁をとりながら、政治活動の本拠としているのではないのか。そうであるなら、まさに、カルトの前線基地である。

公明党、創価学会も隠された構造がある。政教分離は、なぜそうしなければならないのか、原点に立ち戻っての、意味を検討しないといけない。

思考停止に陥った大衆が、結果として、どうなるのか、歴史の教えるところを明らかにして、今、なぜそうしているのかをはっきりさせなければならない。

ふるまい

2009年04月08日 00時01分25秒 | 思考試行
そんなことをしてたら、人にワラワレルよ、というのが、躾の言葉だったが、今では、もう死語ではないだろうか。

女子高校生などの電車の中での、振る舞いを見ていると、それを実感する。はしたない、という言葉もあまり聞かないし、言わない。

女子と男子のイメージも変わってきている。時代の変化は、習慣や価値観にも、当然及んでくる。ニッポンは、かつて、恥の文化と言われていたが、今や、怪しい状態である。

サムライジャパンは、見事に優勝したが、そこには、武士道精神の流れ、文化が生きていたように思う。一郎は、胃潰瘍になるぐらいに打ち込んでいたのである。

一方、北朝鮮は、自国の国民をもあざむき、エセ衛星打ち上げ騒動を演じて、莫大な費用をかけるという、馬鹿げた振る舞いにでた。国威発揚のつもりであろう。

両者の思い入れは、似ているようで、意味は全然違うといいたいが、振る舞いとしては、同列になって見えて、しまうこともある。

政治家や、権力者、団体の動向には、冷静な目で、みていかないと、北朝鮮と似たことになってしまう可能性がいつもある。他人のフリ見て、わがフリ直せ、である。

春!とにかく動こう。

2009年04月07日 15時41分25秒 | 思考試行
いよいよ春本番である。桜は満開。今日は青空で、桜も映える。こうなると、気分も浮かれて、どこかへ出かけようかということになる。なんども同じところへ出かけるといっても、その都度、条件は違うし、新たな発見がある。

とにかく出かけるところに意味がある。日常とは違う感覚を味わうことがいいと思う。気分をかえることは、精神衛生上もいいらしい。

そうした中で、新たな発見があれば、それは、素晴らしい。思いを巡らし、刺激を受ける、そうした中で、人生に彩りができる。

動物は、動くものであって、それが、自然の営みということである。動きのなかに何事かを見つけていこう。

視野狭窄からの解放

2009年04月06日 10時41分07秒 | 思考試行
誰しも、安定した、健康な生活を望むと思う。それは、一人自分と家族のみというのではなく、地球上に住むすべての人にとって、そうありたいと思うだろう。

また、地球すべての生きものの、バランスも当然考慮の対象であるだろう。ただ、そこには、人智を超えるものが現実にはあって、すべてを、合理的にできはしないのだが、だからといって、安易に「神」を導入せずにいきたいと思う。

なんとか、合理的な方策を探していくのが、これからの人類の目指す方向ではないだろうか。知らないから、自分の価値観と違う論理を受け入れず、否定するのは、うまくない。多様な価値観と、全体のバランスにおける調整活動が展開されていかなければならない。

本質はどこにあるのか、それが原点である。共存、共生が中心になければならない。解りきったことを、中心にすえて、対策を考えなければならない。国益を正面に出して云々しているようでは話にならない。そんな水準を突破して、もっと大きな視野から、問題解決の手法を考えなければならない。

すべての、困難な問題は視野狭窄にあると思う。

アラカルト

2009年04月06日 09時58分04秒 | 思考試行
海賊、北朝鮮、ミサイル、核、差別、脅迫、迫害、貧困、強欲、権力、メッキ、献金、麻薬、涙、病気、金、名誉、賞、異常気象、公害、有害物質、自然破壊、イラク、アフガン、パキスタン、アメリカ、奴隷、殖民地、収奪、支配、被支配、原住民、愛憎、悲哀、誇り、自殺、銃社会、テロの原因、レトリック、イスラエル、パレスチナ、地域紛争、国境紛争、チベット、原理主義、曖昧、ごまかし、思い込み、宗教、占い、優越感、劣等感、利己主義、ナントカ主義、諦観・・・

宇宙、浮かぶ地球、数学、単純、論理、広い視野、深い思考、理解、コミュニケーション、意志力、素直、博愛、奉仕、寄付、科学技術の進歩、研究心、話し合い、テロの原因の除去、共感、愛情、喜び、笑い、創造、調整、バランス、忍耐、合理的、機知、継続、推測力、美、想像力、実践力、快感、知力、体力、諦観・・・


イチローの胃潰瘍から

2009年04月05日 08時44分40秒 | 思考試行
イチローが胃潰瘍で、始めて故障者リストにはいった。WBCの後遺症と思われるが、イチローほどの実績をもつ天才選手でも、真剣にことにのぞんだとき、思うような方向に動かないとき、こうしたことになるという現実を知らせてくれた。

真剣であることと、物事の成功、不成功は、必ずしも連動しないし、野球の場合、バッターは、7割は失敗に終わるのだから、ますます、成果を出そうと真剣になっても、それは、そのまま成果とはならないのは、むしろ自然なのだが、思いはそうではない。そのギャップが胃潰瘍にさせるということだろう。

では、こんなものどうでもいいんだ、という具合にとりくんだとすれば、どうなのだろうか、それで、成果を出したとしても、喜びも半減するということになるのだろう。喜びが目的ならば、あまり、肩の力が抜けすぎるのも問題かもしれない。

そこで、真剣であることと、肩の力の抜け具合の関係について、考えるとこれは時と場合によるということになるが、どうなるかわからないことは、その現実を知っておくべきだろう。

そこで考えるのは、すべてを諦めきってしまう境地のことである。人間存在そのものが、未来永劫のことを考え、対策を打てない存在である以上、基本的に、すべては諦めるしかないとしておくのである。それが実態であることを認めるのである。

こだわらないのである。それが、貫徹できれば胃潰瘍にはならないということである。できるかどうかは別にして、すくなくとも、観念的にはそのように考えていく。

しかしながら、そればかりでは、エネルギー不足というか、迫力が足りないと言う思いもある。どれ位の分量で、程度でそうするのかが、問題ということになる。

言いたいことは、全然諦める境地を認めないというのではなく、この本質を知りつつ、努力するという境地である。

フィクションの効能

2009年04月02日 09時15分52秒 | 思考試行
j.グリシャム「法律事務所」・・・新潮社から出ている古い本を、引っ張り出してきた。散歩の道中に、古本を扱っている書店をいれて、散歩の楽しみとしている。そのとき購入した本だが、これが面白くて、以前読んだときは、一気呵成であった。当時アメリカでも大ベストセラーになったという。

久しぶりに、また、目にとまり、読み返す。二度目になるが、筋はわかっているのだけれど、それでも、一度目は、先へ先へと、読み飛ばしてきたから、細部にまで注意をはらっていたわけではなく、読み返すと、新鮮で面白い。

日本の小説にはないスピード感、サスペンス、タフな交渉術、主人公の超人的な頭の良さ、など、グイグイと引きこまれてしまう。

こういう作品を読むと、今の社会の構造の中で、滞っているナニモノかをぶち壊して、新しい展望を切り開くような物語があったらと思う。

矛盾、悲哀、これらを社会に作り出している根本にせまり、そして、それを壊し、新しい境地を展望する。そして、誰もが目指しうる人生の生きがいを満喫できる可能性を開く、そういう物語ができないものかと思う。

実際とはちがって、フィクションだから、すべては可能であるはずだ。思うさま主人公達に活躍してもらう。ただ、荒唐無稽ばかりではなく、その手法のなかに、現実化できるかもしれないというヒント満載というものでありたい、などと空想する。

そういう筋立ての物語が綴れて、世の中、なんか変わってきたなあ、なんてことになると面白いだろうなあ。


エイプリルフールの変種

2009年04月01日 09時23分25秒 | 思考試行
今日から、新年度、保険会社の動きも慌しい。業務用のホームページも工事中ときた。また、日頃まったく接触のない支社長から退任の挨拶のメールがくる。メールという道具ができて、便利なようで、その実、ウソの世界も構築されている。

深い付き合いの人も、浅い付き合いの人も、同列であり、このようにして、人と人との関係は、希薄になっていくのだろうか。
 
表面だけの、ヤリトリ。味気ないものである。とはいえ、それにのって、応対すれば、強欲株主のイイナリ社員も、人並みの貢献をしている気になるのではと思いつつ、危惧しつつ、挨拶に応えて返信メールを書く。

業界の方向は、そう簡単には変わらないだろうから、ますますサービスが低下し、間接的経費が切り詰められ、手数料も切り下げと、なんにもしない株主だけが儲かるシステムだけが残りそうである。それに、保険会社は、沿って動いている。

麻生ボンが、どのようにするか、愛嬌のいい笑顔で、官僚のイイナリになって、この国はどこへ行く。北朝鮮のミサイル騒動で、違憲自衛隊が張り切る。軍需産業の高笑いが聞こえる。

世のため人のため、どうすればいいのか、真剣に考えなくてはね。ウソに騙されてはいけません。