今だに放送大学の学生を続けていて、少しずつ、単位をとり、続けてきた。別に、何等かの資格に結びついたわけでもなく、取り立てて、「教養」がもたらす、幸運ということも特になかった。
というより、大きく生活が狂うといった事態にならなかったのは、この「教養」のおかげかもしれない。さもなければ、とんでもないことを「やっちゃた」ということになったかもしれない。
広い分野で、人々が努力し、小生よりも年下の人達が、どんどん追い抜き、次々とその分野分野で、成果をあげ、新しい知見をもたらしてくれる。いやでも、謙虚にならざるを得ない。自分がなにができるかと中途半端に、ぼんやりと考えてはいたが、結局は具体的に着手するテーマを見つけることもなく、決意を固めることもなかった。そして、人生の最終盤を迎えている。
振り返れば、目先の仕事を片付けるだけの人生であったように思う。なんとか、食うだけは、できてきた。わずかだが、寄付なども続けてきた。本当にわずか。
佐藤愛子さんの「私の遺言」の中では、たいへんな超常現象にあって、それに対処するために、霊が見える人たちとの交流が始まる。見える人は、遠藤周作さんの霊もみえるといい、彼は、霊の世界のいいところにいるという。「たくさんの寄付をしたからなあ」と本人は、笑っているそうだ。
そう聞くと、わずかの寄付しかして来なかった小生は、どんな処遇になるのだろうかと、あの世については、期待をもてないことが予想され、試験結果が悪いときのような、心がまえがいるのだろうと思わざるをえない。