生まれた以上、必ず生涯を終える日がくる。どのような状態で、最後を迎えればいいのか。自宅か、病院か、施設か、それとも旅先か、それとも野垂れ死にか、自分では選ぶことはできないが、おおよそ、予想はつくようにしたいものである。
その後の整理をどうするかも、考えておかなければならない。なぜ、準備をするのかといえば、後の人が、簡単に後処理ができること、自分のせいで、手数をかけるのは、嫌だというのがある。
死ぬまでは生きているわけで、同時に準備はできないから、やるべきことを、明確にしておくことが中心となるだろう。その意味で、終活ノートは必須だと思う。
定式化されたものが販売されているらしいが、自分でも準備は可能だろう。というか、それは、市販のものに頼らずに、自分なりのものを用意する方がいいような気がする。ただ、なにか欠けているものがあるか、チェックできればいいのだが、それも自分なりの工夫を大事にしたい。
順序だてて考えてみる。死亡届の提出、区役所、公的保険関係、年金ストップの手続き、銀行、郵便局の暗証番号、インターネット関係の自動引き落とし関係のストップ、資産関係の書類整理、遺言も用意したい、などなど
これら具体的な「やるべきこと」は当然のこととして、死ぬまでの間をどう生きるか、である。残された時間をどう過ごすのか。いわば、人生の集大成の時期を迎えて、どう生きるのかが大事である。できれば目標を立ててみたい。後代の人間社会に少しでも貢献をしたい。考え方、思想、生き方の分野で、整理された哲学が提供できないかと夢想する。社会の中は、困難が満ち溢れている。一つでもどうにかできないかと思う。なにか具体的なものを見つけて、集中することができるならば、それもいいと思う。