空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

映画「アニー」を見て

2019年03月27日 23時23分26秒 | 思考試行

4年ほど前の映画「アニー」をみた。ツタヤで、会費を払えば、一回に5本借りることができ、しかも返却期間が決められていない。借りなければ、会費分だけ支払うこととなるが、この仕組みが、老人の我ら夫婦に適当ではないかと、選んだコースである。

その仕組みのもと、借りた映画である。主要な登場人物は、大金持ちの市長候補と、親の保護をうけられない子供たち、そして、その子供たちを養うことによって、収入が得ている元スター歌手の女性(アクの強い、意地悪女性)、選挙参謀、市長候補を支える女性秘書、そして、主役は、アニーと呼ばれる女の子である。

よくできた映画である。人の世の有り勝ちな、欲ボケの人たちが、子供に心を開かれ、変わっていく。そして、人間的に数段の進歩を遂げる。ハッピーエンドのわかりやすい、心地良い映画である。

アメリカ映画でこういう映画が作られて、日本では、こういう映画を見かけないのは、なぜだろうか。アメリカでは、捨てられた子供を、救う制度があって、それをクイモノにしている人もいるが、映画の調子が、それほど、深刻には、描かれない。子供らは、たくましく、むしろ楽しそうなのだが、それは映画であるからだけではなく、アメリカ社会の根本的な健康さがある。だが、楽しそうな中に、やはり、子供達は、辛い立場にある存在であることは、はっきり思っていて、この街から出たいと思っているのは確かなのだ。

それでも、日本の現状をみると、こんな映画は作れない。これほど、社会が本音をさらけ出し、明るくたくましくなってはいない。要するに、抑圧されたままで、自分を解放したという経験のない社会であり、文化水準なのだろう。やはり、アメリカは、格段に進んでいるのだ。

日本の病根がどこにあるかは、指摘できる気がしているが、あけすけに書きたくない。この遅れは、決定的で、日本人の、日本社会の根本的な根源的な、改造が、できていないことを、この映画をみて、痛切に感じた。日本はウソとゴマカシから、抜け出てはいない社会なのである。不正直な、ええかっこしいが幅をきかしている遅れた社会なのである。