ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち』

2016-04-05 22:48:44 | 新作映画
(原題:The Eichmann Show)

『アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち』。
アイヒマンはモンスターではなく誰もがファシストになりうるとの信念の下、
ひたすら彼の顔を映し続けるテレビ製作者フルヴィッツ。果たして?
「一度でも自分が他者より優秀だと思ったことがある者は、アイヒマンと同じ地平に立っている」の結論が重い。

(Twitterより)

----あれっ。
これって今日観たばかりの映画、それも洋画って珍しくニャい?
「うん。
原稿に一段落がついたのと、
この映画が発するメッセージを喋っておきたくなった。
そんなところかな」

----ふうん。
それにしても渋い。
これってホロコーストを推進した元ナチス幹部のアイヒマンの話でしょ?
「そう。
彼は15年にも及ぶ逃亡生活の果て、
アルゼンチンで身柄を拘束される。
そして彼がせん滅を計画したユダヤ人たちが建国した
イスラエルに移送され、エルサレムで裁判を受けるんだ」

----でも、それじゃあ、
どう転んでも有罪、それも死刑というのは
最初から決まっているような…。
「うん。
映画でもそのことは少し言及される。
ユダヤ人によるニュルンベルク裁判”とね。
この映画は、そのことや
アラブの人たちを追い出して
そこにイスラエルが建国されたことなどにも一応は言及している。
しかし、本題はそれらよりも
その裁判を世界中にテレビ中継した人たち。
彼らの葛藤にスポットがあてられる。
その中心となったのはマーティ・フリーマン演じるTVプロデューサー、
ミルトン・フルックマン
彼は、この“世紀の裁判”の撮影に当たって、
アメリカのドキュメンタリー監督レオ・フルヴィッツを招き寄せる。
ロシア移民のフルヴィッツはマルチカメラを用いたスタジオ撮影で名をあげながらも、
マッカーシズムの煽りを受け、
アメリカではブラックリストに上がっていた。
そんな彼にとって、これは大きな賭け。
さて、ここからが重要なんだけど、
彼はこの歴史的テレビ中継に当たって、
ある一つのことを自分の命題とする」

----裁判のドキュメンタリーを撮るのに、
命題なんてあるの?
「うん。
彼はスタッフの前でこう言う。
『誰もがファシストになりうる』
すると一人が激しく反応する。
『彼はモンスター。ぼくは絶対にファシストにはならない』。
しかしフルヴィッツは確信を持つ。
アイヒマンは、ひとりの人間。怪物ではない。
その瞬間をカメラに収める…と」

----ニャるほど。
それによって
カメラを向ける対象は違ってくるよね。。
「そういうこと。
プロデューサーのミルトンとしては視聴率が気になる。
初めこそキューバ危機やガガーリンの初宇宙飛行のニュースに負けていたこの裁判も
収容所を生き抜いたユダヤ人たちの衝撃的な証言により
世界の耳目を集め始める。
そういうとき、普通はその証人たちの方にカメラを向ける。
しかしフルヴィッツは、
あくまでアイヒマンの目にばかり注目し続ける。
ここに、ドキュメンタリーとは?という、
根源的な問いかけが生まれる。
あらかじめ自分の思い描くもの、それが生まれる瞬間を狙ってカメラを回すのか、
それとも先入観を捨て幅広く対象をとらえ、
その中から、真実を探り出していくのか…?」

----ニャるほど。
フォーンは、その瞬間が観てみたくなるニャあ。。
「フォーンはそっちか…。
この映画『アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち』、
実際のニュース映像や記録フィルムが
新たにドラマとして作られた部分と違和感なく融合。
この編集は驚異的。
そして導き出されたのが
Twitterでも紹介した最初の言葉。
繰り返し言おう。
『一度でも自分が他者より優秀だと思ったことがある者は、アイヒマンと同じ地平に立っている』

----気合入っているニャあ。

「ニャるほど。すぐにでも喋りたかったはずなのニャ」身を乗り出す

※ネットでもそういう人、よく見かける度

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