----えっ、これって
この前観たばかりだよね。
フォーンも横でこっそり観ていたけど、
そんなに気に入っているようには見えなかったけど…?
「うん。
でもね、あの冒頭から
おおっ、と思ったのは確か。
灰色っぽくくすんだあの質感は
どう見てもフィルムのもの…」
----う~ん。どうかニャあ。
いまはデジタル処理で、
たとえば「銀残し」とかもやれるらしいよ。
「さすがフォーン。
よく知っているね。
もしかしたらそうなのかも…。
ただ、それに加えて
次の<画>が出てきたときには
思わずニンマリ」
----あっ、作家の慎吾(小林薫)が
猫に餌をやっているところ?
「そう。
角から勢いよく飛び出してくる。
猫の演出がいかに難しいかは
あのフランソワ・トリュフォーが
『アメリカの夜』の中で
『柔らかい肌』のそのシーンを再現する形で見せてくれた通り」
----外にいる猫にミルクを挙げようとしても
なかなかうまくいかず、
猫はいつも通りすぎちゃうってヤツだニャ。
「うん。
実はこのことが喋りたかったから
今回、この映画を紹介しているようなもの。
おそらく監督の熊切和喜は
撮影中、この映画のことが頭にあったのは間違いない」
----そういえば、熊切監督、
猫好きだものね。
この映画の猫さんたちの里親になったというほどだし…。
て、なかなか本筋に入らないニャあ。
「ゴメンゴメン。
この映画、
プロットは単純。
年上の作家・慎吾と暮す女・知子(満島ひかり)と、
彼女に執着する年下の男・涼太(綾野剛)、
さらには映画には姿を見せない慎吾の妻、
この4人の愛の模様を見つめたもの。
ところが映画は、
それぞれを時間軸に添って描くことはせず、
いくつもの<時>を断片的に描き、
それを映画という枠の中に、パッと散りばめる。
いわば、バラバラにされたジグソーパズル。
そのため、瀬戸内寂聴の原作を読んでいない限り、
果たして、今目にしているその<画>がどの<時>の物語かは、
即座には分からない」
----ほんと不親切な映画だったよね。
「う~ん。
でも、おそらくそれが監督の狙い、
観ているうちに、ぼくはそんな気がしてきたんだ。
物語、つまり登場人物それぞれの歴史の断片を
あちらこちバラバラにら観ることで、
観客は、ストーリーを
自分の中でたぐり寄せなくてはならなくなる。
『映画への積極的参加、そのこと自体を楽しめ』と、
そう、監督は言っているんじゃないかと…」
----ニャんだか、いい方に解釈しすぎ。
「だって、
熊切和喜って人、
普通に語ろうとしたら
それをできるだけの力量を十分に持っている監督だもの。
でもそれをあえて避けた…。
そしてその分、衣装やメイク、セットにおける時代考証、
そのディテールにはスゴクこだわってる。
ぼくは満島ひかりが、
まるで50~60年代の東宝、松竹の女優のように見えてならなかったもの。
なかでも高峰秀子ね」
----そういえば映画には
『カルメン故郷に帰る』の
看板も写っていたニャあ。
「そう、
あれは、ヤッタネって感じ。
そういえば湊のシーンで、
主人公たちだけ動いて
周りがストップモーション、静止画像になる…
あの処理もオモシロかったね。
一見、オーソドックスに見えながらも実験的。
最近では『熱波』 を観たときの感慨に近かったね」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「フォーンにはよく分からない世界なのニャ」
※ぼくもなぜ今この原作かは、正直分からない度
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