ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

もうすぐ大阪マラソン

2011年10月28日 23時33分46秒 | マラソン

走り始めて23年。
マラソンがこんなに市民権を得て
大阪市内を数万人のランナーが
駆け回る日が来るとは
予想もしていなかった。

学生の頃は山登りのために
下宿周辺でジョグしたり
社会人になってからも
職場の仲間とサッカーを楽しんだり
していたから、
5キロくらいなら何とか完走できるかな
と思って、職場の仲間と
大会に出たのが最初だった。
当時、5キロレースでさえ
カーボローディングしなきゃ
なあんて思っていたほどだ。

初めて10キロを走って
そのあと車で10キロ走ったときには
人間てなんて長い距離を走れるんだと
感心したりもしていた。

その頃は
フルマラソンを完走したことのある先輩達が
まるで神様のように見えていた。
初めてのフルマラソンを走る前に
経験者の話を聞いたら
それはそれは過酷で
全身筋肉痙攣をおこずぞと
脅かされていた。

そのため半年かけて
距離を踏む練習をし
初めて走ったフルマラソンは
出だし余裕、中盤余裕、
後半アップアップ
でも3時間19分でゴールでき
一箇所の筋肉痛もなく
その半年後にイケイケどんどんで走り
後半の地獄を味わったものの
3時間9分をたたき出した。
これはもう少しでサブスリーだと
思ってから15年間40レース以上は
3時間一ケタの結果ばかりであった。

その間にトライアスロンに出会った。

出場選手はみんな陽気で楽しく
ウェアも異常に派手で
そんな世界の居心地がとても心地よかった。

その頃は超長距離のレースも
何の苦もなくこなすようになっていた。
元気な頃は
スイム2キロ、バイク200キロ、ラン43キロの
トライアスロンを完走直後でも
もう一度スタートしても
完走できるぜ!くらいの余裕があったもんだ。

トライアスロンで鍛えた
持久力を武器に
100キロマラソンで
念願のサブ10を達成し
250キロマラソンも完走できるようになった。

気がつけば、走り始めた頃に比べて
そういう意味でまったくの別人状態に
なっていたわけである。

そしてそんな競技にのめりながらも
トラオフの冬には
マラソンを走り続けていたのだが
トライアスロンに比べて
スタートラインに並ぶ選手は
ストイックで地味で
何か思いつめたような選手が多かったもんだ。

そうこうしているうちに
腰だの貧血だのと故障を重ね
心臓まで悪くして
挙句に死んでしまったdoironなのだが
今ここに、さまざまな抱腹絶倒、紆余曲折
波乱万丈を経て
メジャーでおしゃれな
大阪マラソンなる大会の
開催を見届けるにいたっている。

本来なら、doironも絶対走ってる大会だ。
抽選にもれても
人脈とコネとズルとあらゆる手段を
駆使してでも走っていただろう。

本当に残念である。

昨年だったら絶対走っていただろうな。
走りながら、以前に比べて
明るく楽しく派手になってきたマラソンという
競技を感慨深く眺めることが
出来ただろうにな。

今は叶わぬ夢ではありますが
参加される皆さんは
結果も楽しみでしょうが
長い歴史の果てに生まれたこの大会を
しっかりじっくり楽しんで走り
走れる喜びを心から感じて
自分を愛してあげてくださいね。

沿道に応援で出没しますからね~