トンネルから響き渡る声は
「うう~」とか
「ごごご~」とかいう
不気味な音です。
フェンス越しに中を覗き込むと
10mくらいより向こうは
暗い闇の中で何も見えません。
うう~、これは不気味です。
熊野古道中、
最大の不気味スポットかもしれません。
落石の恐れありと書かれてありますが、
それどころではありませんよね。
これは絶滅した狼どもの唸り声が
トンネル内に響き渡っているのでしょうか。
それとも熊野に行きつけなかった人々の
阿鼻叫喚の叫びなのでしょうか。
トンネルの入り口にたたずんで、
じっと、よーく聞いてみたら、
あれ?この音どこかで聞いたことがあります。
あ、そうかあ、萩往還のレースで
夜に山道や田んぼ道を走る時に
よく聞いた音です。
そう、原因は大量のカエルの暴れ声でした。
それにしても閉鎖された
トンネルから声が響き渡る、
不気味な光景でしたな。
そんなトンネルの正体に気づいて、
ほっと一息しながら歩いていると、
またまた不気味な景色が~。
おしっこで冷やしたジュースを売っています。
「こ、これが熊野のやり方かあ~」
ってそんなことはありません。
親切にもジュース100円とお安いです。
「ボクのオチッコ冷やしコーヒーダヨ」
と売られてました。
最近よく歩いているという
外国人さんも、国に帰って
「日本の小便小僧を見てきた」
ときっと自慢しているでしょうねえ。
そこから山道に入ったところに
「中川王子」がありました。
早くから衰退した王子で、
江戸時代の文書にも
「社なし」と書かれているそうです。
山道を、これでもかと上がっていくと、
そこに紀州藩が建てた
緑泥片岩の王子碑だけが立っていました。
元の道に戻って、
こんな36番の碑や
タチツボスミレの群落を
眺めながら進んでいきます。
あっ、はるか下にもうすぐ乗り込む
バスが走る国道が見えています。
そして道には、そうこんな表示が。
新宮・本宮が近づいてきている
ことがよくわかります。
37番の道標を超えて、
その道の先にあったのが、
新しいトンネルです。
今も車が走っているようですね。
これができたから、
さっきのトンネルが廃止になったんですねえ。
なおもこんな標識を見ながら進んでいきますと
38番の道標が現れます。
この辺りは、ひっそりとした山中で、
この標識だけが頼りです。
道は広々としていますが、
ところどころ谷筋が
こんな風に荒れています。
この先にあったのが
「小広王子」です。
いつの間にか王子社がなくなり、
紀州藩が建てたほこらが
「王子」として残っています。
もともとこの場所ではなかったのですが、
山崩れで移動させたそうです。
紀州藩が作った緑泥片岩の石碑も、
うえの「小広」がかけて消えて、
今は「王子」しか残っていません。
その先の40番を過ぎたところから
道はどんどん下っていき
途中で古道と別れて
バス停へ向かいました。
だいたい予定通りの時間で
歩行は終了です。
こうして本日歩いた距離はと、
ナビを見てみると、
今回は途中でナビが途切れたようです。
経路が残っていませんでした。
手持ちの資料で見てみると
約10kmくらいでしょうか。
次回はここから発心門王子まで歩き、
そのあとがついに熊野本宮大社に到着です。
そのあと速玉、那智も訪れ、
そしてさらにそのあとは
大辺路も回れたらなあと思っています。
これで、淀川歩きも含めたら
京都から、いや琵琶湖から
熊野の道がつながることになるだろう。
さて、熊野に到着したdoironは
復活するのか、
どんなご加護が待っているのか、
そんなことを楽しみに、
やってきたバスに乗って
熊野本宮中辺路大詰め終了です。
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