湯峰温泉で、ドワーと乗り込んできたのは
外国人たちでした。
それもアジア系ではなく
アメリカ、ヨーロッパの白人たちです。
彼らがブワーッとバスに乗るなり、
運転手さんが、おびえて
騒ぎはじめたではありませんか。
「ホエー」と叫んでいます。
え?そうじゃないって?
「Where」とどこへ
行きたいのかと確認していたんですか。
すると、代表そうな男性から
「紀伊田辺」という返事があり、
このバスの最終地点としては
間違いないなさそうなので、
運ちゃんも安心して
運転席に座りなおしました。
しかしそれにしても、
先ほどまで大社から一人で
ガタゴト揺られつつ乗ったバスが、
もう大騒ぎです。
「アルプスの少女ハイジ」とかを
みんなで歌いだしたらどうしよう
とか思いながら、進んでいきます。
でもまあそんな心配もなく、
ようやく周りに家もない寂しい小広峠に
「ごめんなさいよ」と言いつつ
一人で降り立つdoironなのでありました。
外国人さんたちは
「あの兄さん、こんな寂しいとこに
降り立って「魔術」とかするのかなあ」
とか思いましたかね?
さあて、ではここから春の続きの
古道歩きを開始です。
ナビをセットして、前回降りてきた
山道に入っていきます。
あ、バス停を撮影するのを忘れました。
途中、山道から見えていたバス停が
こんな感じです。
さみしいバス停でしょ。
さあ、歩くのも一人です。
注意深く、ちゃんと体と対話しながら
進んでいきましょう。
あっ、これは熊野古道ではありませんよ。
熊野古道から小広の峠まで続く道です。
この地方独特のハチの巣箱
「ゴーラ」がおかれたりしています。
そしてこの道沿いにたくさんあった植物が
「アケボノソウ」です。
せんぶりの仲間なんですが、
花一つ一つをよく見ると、
細かいきれいな模様がついてますよ。
doironの好きな野草の一つです。
前方に小屋が見えてきましたね。
あそこが熊野古道との分岐点です。
そこから谷へと下っていきましょう。
春にはいっぱい咲いていた
マムシグサたちが、
あちこちで毒々しい色の身をつけています。
さすがに有毒植物ですねえ。
でもねえ、昔の縄文時代の遺跡には
このマムシグサの身も含まれており、
食していたといううわさもあるそうです。
この植物、毒は口中に激痛を
走らせるそうなのだが、
時期によっては甘く食べられる
期間もあるそうで、
まあ、その辺はちょっと
不思議な面のある植物なのだ。
山中の地蔵や
取って食べてみようかな
というキノコもありました。
でもねえ、きのこ類は
それはちょっと危ないですねえ。
そして、ようやくこんな標識も
現れ始めました。
う~ん、道は間違えてませんね。
で、本日最初の王子
「熊瀬川王子」に到着です。
この王子の石は・・・昭和50年代に
建てられたもののようです。
熊瀬川王子は「熊野縁起」の中に
出てくるのですが、
そのほかには出てこないそうで、
もしかしたら「小広王子」そのものの
見間違いかもしれない
という説もあるそうです。
こういう案内に沿って進んでいきますと、
ここにあったのが
「一里塚」です。
江戸時代、和歌山から本宮までの
熊野街道沿いに
一里ごとに塚が設けられて、
松が植えられていたそうです。
和歌山から28里(112キロ)だって。
う~ん、峠を越えて、海越えて、
梅の里も越えてよくやってきましたね。
ここまで来たら昔の熊野詣の人たちも
ワクワクしたでしょうねえ。
道は、こんな木の根道や
山道を進み、
この辺りは草鞋峠と言われていたようです。
前後に男坂や女坂もあり、
結構山深い感じです。
昔は蛭降峠(ひるふりとうげ)百八丁
といわれ、山ビルに悩まされたようですが、
いまは大丈夫やろうねと、
心配しつつ
続く。
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