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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

中山道訪ね旅 4

2016年03月05日 21時52分46秒 | ウォーキング

続いて中山道を歩いていきます。

道のわきにはこんな案内がついていたりします。
これは一里塚。



なんと東京から五十五里の塚跡だそうです。

ここは地元のおやすみどころです。



中に入って休憩してたら、
お茶や漬物、お菓子まで出してくれはりました。

御柱のことなんかを
いろいろと教えてくれはしましたな。

このあたりからは温泉が続きます。
一般家庭でも温泉を引いている家は
結構あったそうなんですが、
施設の老朽化や維持管理に
結構な費用が重なるようで、
やめていった人も多いと聞きました。

しかし道端には、
暑くて触れないようなお湯がちょろちょろ出ていたり、









日常に入れる温泉が続いています。



見ていてなんかもったいないくらいです。

そしてこの交差点が、



中山道と甲州街道の分岐点です。



昔の絵にも描かれており、
お店の名前なんかも変わってなかったりします。

その近くに、歴史民俗資料館があったので
入ってみましょう。





先ほどの休憩所やこういう無料の資料館には、
年配の方が詰めておられます。
地域のボランティアだったりするのですかねえ。

中に入ると、昔のお店の看板や



浮世絵、





昔道具なんかも飾られておりました。



これが、御柱の「曳き綱」。



だんじりの曳き綱よりは太いようです。

さて、では諏訪大社の下社秋宮に着きました。



お、御神湯はさすがに温泉です。



建物は先ほどの春宮とよく似ています。
まず、神楽殿があって
その後ろに拝殿があります。

その拝殿を囲むように4本の御柱が立っています。





では、上社と下社あわせて4社が
諏訪信仰の中身となっています。
ではなぜ4社に分かれているのでしょう。

これにはいろんな説があるようです。
大きな理由は位置的なもの。
といっても局所的なものではなく、
諏訪湖と富士山や他の山々の
位置関係を表したものがほとんどです。

さすがに、熊野のように
3つの月が出たこととかの意見はありません。

あとは陰陽とか五行とかの
意見もあります。

まあ、結局確かな意味は分かりませんが、
諏訪大社には「男神」と「女神」がいることや
諏訪湖の氷が春に溶け出して
湖面に道が現れることなんかが
絡み合ってそんな形になっているのかもしれません。

この後は一言だけ願いをかなえてくれる地蔵に詣り
さてこの辺で時刻はお昼となりました。

食事にしましょう。

当所、この辺りはウナギが名物なので、
それにしようかとも思っていたのですが、
この日は秋宮の前にある
「お蕎麦やさん」が気になったので
入ってみました。



食べたのはこれ。

卵盛りそばでした。



うむ~なかなかうまかったです。

で、この店で気になったことが一つ。

メニューに「もりそば」と
「ざるそば」の二種類がありました。
その二つが結局どんな違いか分からないままでした。
なので気になって、
ネットで調べたら
青のりがついているかどうかだけのようでしたが・・・
どうなんでしょうかねえ。
なんか違いがあるのでしょうか。

取材を忘れてしまいました。

木落坂に行ってみましょう。
あの春宮の奥の方です。



見てみると、おお~かなりの坂道ですねえ。





ここを滑り落とすんですねえ。

さぞやあの大木に乗って
ここを下ってくるとしたら、
大変でしょうねえ。

だんじりも危険ですが、
ここの祭りもかなりデンジャラスです。

この春に、この木落しがなされるそうですが、
現地の若者たちは今頃から
かなり気合を入れているんでしょうねえ。

そんな木落し現場を確認して、
余韻を残しながらdoironの
中山道訪ね旅は終わりです。

熊野古道とかとはまた違った
歴史の重みがあるようです。

近いうちに、この中山道を旅の目的にして
ちょこちょこ尋ねてみたいな
と思った旅となりました。

帰りの電車では「釜飯」とビールで



乾杯しながら帰路に就いたdoiron家なのでした。


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