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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

京都に行ったカモ~ 1

2016年05月04日 20時45分14秒 | ウォーキング

京都の東側を南北に流れるのが

「鴨川」



出町柳で高野川と合流するまでは
「賀茂川」と呼ばれている。

いずれにも「かも」という読み仮名がつく。

この「かも」という名前の
もとになったのが、
昨春歩いた葛城古道に本貫を持つ
「鴨族」なのである。

当時、葛城族がいなくなった後、
神の声を聴くシャーマン
として栄えたのですが、
後に氏族となって
全国に散らばりあちこちに
「カモ」の字を残しています。



このカモ川もそのうちの一つです。
「鴨」は「神」からきた言葉。
洛西に住む「秦族」とともに
統治を束ねていた洛東の鴨族を訪ね、
時の支配者は京の平安を
作り出していったのです。

その鴨族を神として祀り、
賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)を
下鴨神社の祭神とするとともに、
その孫である賀茂別雷大神を
上賀茂神社の祭神として、
二つの神社を「賀茂川」沿いに
配置しました。

「上賀茂」と「下鴨」と書くが、
長い間に漢字が変遷したもので、
元は同じ「鴨族」なのである。

この二つの神社を結ぶ道は
「加茂街道」と言われているが、
この日はその街道周辺の道を、
歩きやすい賀茂川沿いを中心に
選んでそこを歩いてみた。

昨年以来ずっとこの道を歩きたい
と考えつつ、ようやく1年後に
その希望がかなったということだ。

上賀茂神社は、京都の東の北の方。
賀茂別雷大神がおられたという
山裾をちょろっと抜けると、
あの比叡山の借景の美しい
「圓通寺」につくというような位置だ。



京都駅西の県道を
まっすぐ北に上がり、
加茂川に突き当たった
と思ったらすぐに右折して
「御園橋」を渡ると、
山城の国一ノ宮である
上賀茂神社の大きなバス停が見えてくる。

その一番奥に駐車場があるので、



そこに車を駐めて歩きだすことにした。

まあまあ料金もさほど高くもない。

では歩く姿に軽く衣装替えをし、
ナビもセットして、
入り口の一の鳥居である
赤鳥居に向かおう。



鳥居は普通の明神鳥居。

その中にまず芝生の広場がある。



この日は、地元の幼稚園?
の子供たちでにぎわっていた。

むむー、世界遺産であり
歴史的保存地区の桜の根元で
遊ぶとは贅沢であるなあ。

この一の鳥居から二の鳥居の間には、
長い1本道があり、
本日子供らが遊んでいる場所では、
競馬会(くらべうま)神事が
毎年5月5日に行われる。

二頭の馬の競争を
何回も行うものだが、
昔衣装した騎手とか、
勝った馬の騎手に
与えられる白い切れとかを
振り回すのが、
なんとも情緒があっていい
とかよく言われている。

これが済まないと、
5月中旬の葵祭が


始まらないといわれている。

そう競馬会の会場で
「埒」が空いて競馬会の馬が出ないと
物事がうまくいかない
というような意味である。

現代日本語の「埒があかない」
と葵祭はどうもいかない
というところから、
この競馬絵が「埒が明かない」の
語源になっているそうです。

二の鳥居のところには
こんな看板が立てられている。



そう、昨年の秋からこの神社は
「式年遷宮」の年になっている。

敬神崇祖、不易流行などの趣旨に基づき、
21年に一度の行事である。

奈良時代から数えて
42回目に当たるそうだ。

国宝建物などの檜皮の吹き替え、
欠損個所の補修、
金属類の磨き、
そして各種行事もあわせて
13億以上ものお金をかけて
行われるそうだ。

神も仏も人々の心から
希薄になったこの時代に
きっと大変な事業になるんでしょうなあ。

当時、この地に住み
神の言葉を放っていた鴨族。

あの葛城古道歴史の町から
いつここに進出してきたんでしょうね。



この神社にはまだまだ
興味のあるところがいくつかあります。

それをもう少し説明してまいりましょう。

では~っと、続く。


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