ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

雲雀山に風が吹く 5

2017年01月26日 21時25分30秒 | ウォーキング

このタンクは飲み物用の水ではなくて、



これがまあ、ミカン畑の
作業につかれた人が入る

お風呂用のタンク・・・

でもありません。
ミカン畑用の水タンクですな。



この先にもいくつかこのタンクがありました。

おっと、こんな見晴らしのいい場所では
風が強烈に冷たいですねえ。
ゴーっと音をたてて吹いてます。



このずっと後で海が近くに見える
山になっていくのですが、
さぞやそこは海の風も
強烈に吹いてめちゃめちゃ寒いやろなあ
と予想してしまいます。

寒いやろなあ。
でも行かなくちゃ。

こんな廃車のある山道を抜け、



古い峠の案内板を抜けたら、



おお~見えてきました。


あの二年前の秋に登った
懐かしの糸我峠です。



熊野古道とはこんな感じで交わります。



ここには昔2件の茶屋があり、
そこではミカンを
保存しておき
真夏に登ってきた人に
出して喜ばれていたそうです。

藤原定家は
「険阻を凌ぎて、イトカ山を登る」
と書いて残しています。

まあ今ではさほど
きつくはない山ですが、
荷物なんかをたくさん持って
後続をお守りしながら
やってくる昔の山は
難儀をしたことでしょうねえ。

偉い人は籠に乗っていましたしねえ。

今の糸我峠にはその時の
イラストが書かれてあります。



茶屋で人々をもてなしている
光景ですね。

その巨大なイラストの下が
風がさえぎられて
暖かそうだったので、
まあお茶屋によったつもりで
ここでお昼ご飯にすることにしました。

今日のメニューはこれ。



寒そうなので
あったかいうどんを
いただくことにしました。



あっためるのはガスコンロですが、
そうやねえ3月くらいになったら
アルコールコンロに
変えていきましょうかねえ。

うどんをすすりながら、
しばらくのんびりしましたが
結局は一人もここには
現れませんでしたね。





熊野はあんなに大勢の人がいたのにねえ。

さあお腹いっぱいになりましたので、
また歩き始めましょう。

以前はここから湯浅の街へと
降りて行ったのですが、
今回はパンフレットでは
「万葉の道」、ここでは
「万葉の熊野古道」と書かれた方向へと
進んでいきます。

すると、道が緑色の塀で
阻まれているような感じです。



うわー、これは垂直ののぼり道~
とおもったら、先ほどとは別の水タンクでした。



道の真ん中のそれをまくように越え、
山の管理用かミカン畑用か
のために作られたいくつかの道を、
ありがたい道標に助けられて
おりていきますと、
そこが鹿内峠です。



かつては糸我の村から
ここへ上がってくる
道があったのですが
通行止めになり、
いまは糸我峠からの今来た道で来る
という形になっています。



万葉集にこんな歌があります。

「紀の国の 昔猟夫の 鳴り矢もち 
鹿とりなびし 坂の上にぞある」

この峠名の語源と言われていますね。

この峠にはもう一つ
見どころがあります。
それは江戸時代につくられたという
「役行者」の石仏です。



錫杖を持った力強い姿ですねえ。
この辺りの役行者には
いろんないわれがあって、
その一つには、
はやり病が山を越えてこないように
という願いもあったそうです。

ここからしばらく下ったり、
つわぶきの咲く道を下っていきます。



あ、また道標があります。
そこには奈良時代の通貨である
「和同開珎」11個が発見されています。



貝の中に入れられてあったそうで、
なかなかいい状態で見つかったそうです。
これは日本で最初の流通貨幣でした。
一枚当たり一文の値打ちがありました。
当時の相場によると、
これ一枚で、米2kg買えた
というほどのものです。

無事に帰れるように
という旅人がお金を埋めていく
そんな場合も昔はあったそうです。

続く


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