ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

伏見ウロウロほっつき流れ旅 2

2015年06月08日 21時21分06秒 | ウォーキング

伏見の中心地の歩行を終え、
この桃山御陵参道から



郊外へと入って行く、ん?出ていく
まとにかく舞台は郊外へと移る。

この御陵というのが伏見桃山陵。
明治天皇の御陵がここにある。





また、そんな御陵に囲まれるように
伏見桃山城がそびえている。





伏見という地は
何となく京都にあるんだろうなあ
という程度で、
白地図をひろげて伏見を指さしなさい
と言われたら、多分正確にはさせなかっただろう。

東海道本線は今や遠く離れているし、
名神高速にも伏見インターなどはない。

この地に来てようやく、
京都の南のやや東よりで、
東山が南に尽きる場所に
位置するんだなあということを初めて認識し、
空白だった頭の中の地図に
インプットすることができた。

行ってみないと
なかなかわからないものである。

「事件は地図の上で起こっているんじゃない。
現場で起こってるんだ」

加えて、面白いことがわかったりもする。
そのひとつが「町名」。

彩り豊かな伏見桃山城の
北あたりに「深草大亀谷五郎太町」
というのがあり、
その西に
「桃山町永井久太郎」

「桃山福島太夫北町」

といった人の名前の付いた町が
ゴロゴロとある。

きっと、そんな町名にも
それぞれの歴史があるんだろう。

泉大津市に
「曽根doiron町」とか作ってもらえないかなあ。

これは今回帰ってから歩いた道を
地図で詳細に調べている時に
わかったことだから、
電プレを確認しなかったのが悔しくてならない。

予習が足りなかったといわざるを得ない。

道は東山丘陵の西側を
のたのたと進んでいく。

恋に疲れた女が一人で
京都を歩くのは歌にもなるが、
山歩きに疲れたおっさんが
一人で京都を歩くのは、
せいぜいブログになるくらいなのである。

JR奈良線の藤森駅の横を



下って行く坂道からは遠くに、
先日歩いた天王山から
ポンポン山あたりの山並が見えてくる。



そういえばそろそろ
ポンポンもすいてきたが、
もう少し頑張って歩こう。

「勝運 馬の社」とかかれた
藤森神社に入ろう。



最近、近所に住む幼馴染が
競馬に凝っている。
それがまた最近上昇気流に乗っていて、
立て続けに大きな配当を得ているものだから、
日曜日の午後となると、
他の幼馴染がそいつの家に集まって、
テレビの競馬中継にかじりついている。

たまにビールを持って顔を出すのだが、
帰ったらこの神社のことを
話してやらねばなるまいて。

で、なぜこの神社が「勝運」なのかというと、
これがしゃれている。

勝運の神様を祭神の一人として
祀っているということもあるけれど、
この神社は

「菖蒲の節句発祥地」

なんだそうだ。



「菖蒲」は「勝負」に通じるところから
「勝運」というのが
どうやらわかりやすい理由のようだ。

「馬の社」というのは、
毎年五月五日の祭りで
「駈馬神事」が行われるからだそうだ。

それらを総合して競馬の神様
といわれるようになったのは、
なるべくしてなったというところだろう。

「駈馬」と「祭神」と「菖蒲」の
どれが卵でどれが鶏なのか知らないけど、
なかなか面白いいわれを持っている。

また境内には、
こんな手水鉢がある。



かの有名な泥棒、石川五右衛門が
宇治の浮島にある十三重の塔の
上から5番目の石を
持ってきたものなんだそうだ。

いまもその宇治の十三重の塔には
ひとつだけ色の違う石があるそうだから、
これはまた見に行くところが増えた。

それにしてもこんな石
どうやって運んだん?て感じやね。

さらにこの神社の境内には、
二つとしてない良い水として
「不二の水」と名付けられた名水がある。

たくさん汲みに来ていたので
写真を撮れなかったが、
見ていたら
「どうぞ飲んでくださいよ」
とすすめられたので、
「ごめんなさいよ」と横から飲んでみたら、
冷たくておいしい。
不思議に甘い味がしたな。

ここもまた、伏見の酒の仕込み水と
同じ水脈なんだろうか。

いっそ直接酒が湧けば
面倒が省けていいのになあ。

そんな妄想を抱きながらデヘヘと続く。


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