ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野街道、久米田巡った1

2013年06月08日 21時27分58秒 | ウォーキング

熊野街道もその経路が
すべて解明されているわけではない。

はたして熊野街道が
1本だけの道だったのかというところまで突き詰めていくと、
多少の複数経路はあるのかもしれない。

例えば、川を渡るのが嫌な人は東側コース、
山は避けられるけど遠回りの南側コース
みたいにね。
もっと簡単に、
宗旨にあわせて浄土宗のお寺を経由するコースと
浄土真宗のお寺を通るコース
というのもあったかもしれない。

そんな昔の参拝道を、
当時の文書や今の地名、
言い伝え、石碑、地形などから推察しているのが、
今の熊野街道なのである。

九十九あるといわれている王子の場所さえ、
諸説あって確定していない場所もある。

そういった、謎を孕み、
好奇心をかきたてられるのも
街道歩きの醍醐味の一つではある。

今回歩いた、岸和田市の久米田周辺は、
資料によって経路が異なっている。

例えば大阪府の資料では、
府道30号線をずっと往くコースになっているが、
別の資料ではもう少し西の海側を通る経路が書かれてあったり、
2コース両方が書かれてあるという資料もある。

何が本当で、何をどう受け継いでいるのか、
長年の土地利用の変化や
開発の進展により、
そんな過去がうずもれてしまったため、
いくつかの推察によって
2コースの説となっているのだろう。

そこで、今回はその2コースを
AコースとBコースに分け、
往路はAコースを行き、
ABの合流点からBコースを引き返す
という歩き方をしてみた。

題して、「久米田巡った」。

今日からシリーズはじめます。

はじまりはじまり

和泉の熊野街道を篠田王子から歩いて、
小田公園横の小栗橋にたどり着いたところで、
以後の街道部分は
少しの区間消失しているというのを、
以前「街道が近いどう」シリーズで書いた。

今回は小田公園の少し手前の
和気の交差点の先で西に分岐し、
忠岡町の高月あたりから
岸和田市箕土路を抜けていくコースをAコースとして
まず南下してみた。

和気の交差点に立つと、
春分の少し前頃の夕刻に
ちょうど道の先に夕日が沈んでいたから、
やや南寄りの西方向に
道が伸びているのがわかる。
それが府道227号和気岸和田線だ。

和気交差点で、時計、歩数計、ナビアプリと
すべての計測器をスタートさせ、
その道を進んでいった。

スタートしておよそ5分で、
阪和線の踏切が見えてくる。



まず、その踏切の手前右側、
ライオンズマンションの前にある道標地蔵がこれ。



地蔵の前に、湯呑みが置かれ、
どなたか団子も供えている。
それをパチリ。



「右 岸和田道 左 うしみち・・」と読める。

うしみちは、牛滝方面を指すのかもしれないから、
道路の左側、道に対して
直角におかれていないと方向がおかしい。

多分、線路の敷設か
マンションの建設に伴って、
ここに移動させたのかもしれない。

そんな道標の頭をナデナデしつつ
進んでいくと、
今度は多賀橋に出る。

この橋は、松尾川と牛滝川の合流地点に架かる橋なので、
手前の橋げたには、「多賀橋」と「松尾川」の標記があり、





渡ったところの橋げたには
「たがはし」と「牛滝川」の標記があった。





ちょうど橋の真ん中で、
川と川に挟まれた突起部分があり、



そこはその形から「三角公園」と名付けられていた。

下流の高板橋から撮った写真がこれ。



そんな多賀橋を渡って下っていくと、
高月南3の交差点に出る。
ここまで10分足らずで到着する。

しかし、その少し手前の右奥に見える
「天神社」にちょっと寄り道した。

天神社とも呼ばれているが、
わかりやすく言うと菅原道真を祀った、

「菅原神社」。



これは扁額というんですかね。
ここではこれのほかには
神社の縁起の説明板も、
何も書かれていないようだったが、
よく見るとさりげなく置かれてあった
狛犬がびっくりの形をしていた。

な、な、な、な、なんじゃこれは!

と思わずナニコレ風に驚いてしまった
doironなのでした。

そして帰ってジダンのブログを見て二度びっくり、
彼もここに来たらしく、しかも同じ狛犬に反応しておりました。

続く


最新の画像もっと見る

コメントを投稿