ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大和街道 橋本へ1

2019年06月24日 21時44分59秒 | ウォーキング

近頃、あちこち歩き始めたころに
行きかけた道がどんどん
完歩となっていってます。

熊野古道中辺路や淀川歩き、
リボン通りに太子道は
すべて歩きました。

いやあいろいろ行きましたねえ。

あ、でももう一本歩き途中の
街道がありますねえ。
和歌山市から紀ノ川沿いを
歩いて五条へと向かう
「大和街道」です。

ちょうど一年前に高野口まで歩き、
そこで少し止まっていました。
ではその道の続きを
また歩きに行ってみましょう。

この街道歩きももう田舎の山道から
かなり都会の道へと移ってきた
感じがしますねえ。

まずは橋本市まで先に南海高野線で行って、
そこからJRで高野口へと移動して
歩き始めることにしました。

ここが橋本駅です。



ここには、今日乗る予定のJR和歌山線と
乗ってきた南海高野線の
電車が乗り込んでいます。



ホームで待ってると高野線の
電車が多いですねえ。

そしてやがて和歌山線の電車が
やってきて乗車です。
二両編成。
これで目的の高野口へと向かいます。

この日は土曜日でしたので、
乗っているのは若い子どもたちが
多かったですね。
窓からは景色をしっかり眺めます。
今日はこの電車から見えている
景色のどこかを歩くんやなあと、
興味津々で眺めていきます。

だいたいこの日は川とは反対側の
山側を歩くようです。

「紀伊山田」の駅も過ぎて
二駅目が「高野口」です。
前回の終点でしたね。



運転手に切符を渡して下りてゆきます。
まあこの辺は無人駅が多いですねえ。
ここの駅のロビーはちょっと広いです。
近所のお年寄りが集まって
世間話ができるくらいです。

片隅には本棚があり、
いろんな本が置かれています。
まあ自由に借りて読み自由に帰す
というような感じですねえ。

そして駅前には変わった旅館がありますよ。



「葛城館」という旅館で、
むかしから高野に参る人たちを
泊めたりしていたそうです。

さあではここから今日の
歩きが始まりますよ。
線路に沿って歩いていきましょう。

おお~こんな田舎にも今風の
おうちですねえ。



山の下がさりげなく開発されて
住宅が立っています。
高野口というのは2006年までは
高野口町だったのですが、
いまは橋本市と合併しています。
でもこんなマンふたはまだ
高野口のままなんですね。



小魚とサツキですかねえ。

そして駅の北側にはパイル織物の
資料館があるそうですが、
今はもうこの織物も衰退してきているとか。
かつてはパイル織物の大生産地で、
当時新幹線の座席はすべて
ここのパイル織物だったそうです。
まあ今日は少し道を戻るので
パスしておきましょう。

田原川の田原橋をわたったら、



右折して東の方へと進んでいきましょう。
この辺りは「名古曽」というあたりです。
こんな教楽寺や



瀧井寺とかがあります。



あ、大和街道の道標が出てきましたねえ。



高野口町の案内板です。

実はねえ、この大和街道って
正式な地図がないんですよ。
ちょうど笠田を歩いているころは
そんな道筋を示す資料もあったのですよ、
でもそれ以降なくてねえ。

でもこうして石の道標を作っている
くらいだから、きっとどこかに
あるのでしょうね。
でもそれがわからないので、
行き当たりばったり歩いている
ような状況です。

ネットで見てみると、
大和街道という道もいくつか出てきます。
三重から奈良へ向かう道なんかも
大和街道っていうんですねえ。
ま、ネットでもそんな状態だから、
doironはこの石の道標を頼りに
歩いている状況です。
なんか昔の旅人のようですよねえ。
道標の矢印の向きを便りに
進んでいきます。



まあ、ここが街道なんやろなあ
という勘は働くんですけどね。

そんなあやふやな勘とともに
doironの歩きがここでは
支えられています。

続く


最新の画像もっと見る

コメントを投稿