ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

安治川をあっちから 2

2016年06月04日 20時49分05秒 | ウォーキング

ここの渡し舟は
明治38年に開設されました。

大阪港の繁栄を企図した
大阪市が港湾振興策の一環として
始めたもので、
昭和15年までは市の港湾部が
所管していましたが、
今は経営は土木部(現建設局)に移され、
現在にいたっています。

昭和12年12月1日午後9時ごろ、
渡船が突風にあおられて転覆、
軍需工場帰りの乗客53人の
犠牲者を出す事故があったそうです。

利用者は昭和42年には
1日平均1700人の利用者が
あったそうですが、
平成20年には700人の利用者だった
といわれています。

まあ、これだけ交通機関が発達した土地で、
健気に頑張っていることですな。

ここから見る景色はなかなかのもので、
天保山大橋やその麓の
天保山公園、



正面は天保山公園の観覧車、



海のほうにはATCなどがそびえています。



で、時刻表の時刻どおりになりましたら、
対岸の岸を出発した渡船が
こっちを向いてやってきます。



見ると、お~結構たくさん
載っているじゃないですか。

20人くらいでしょうか。
中でも変わっていたのが、
ママちゃりに乗った白人の
外国人さんが何人かいます。

USJの影響なんですかねえ。

もちろん、結構年配のご夫婦や、
ロードバイクに乗ってる若者、
doironのような退職者なんかも
いましたねえ。

ゾロゾロとみんなが降りたら、
こちらの4人もすぐに
乗船し船はすぐに出発します。



この日は波も静かでした。



そしてあっという間の2~3分で
もう終点です。



一日36~37往復の
この渡船の経費は
どんなものでしょう。

なんか費用対効果を期待したら、
いつまで続くかわかりませんねえ。

渡船がついたのは、
ああ~覚えています。



ここは日本一低い山、
天保山の三角点の下あたり
ですねえ。



もともとこの渡しが渡った安治川は
淀川の本来の河口でした。
そこを天保年間に浚渫し、
川をさらえて土砂で作ったのが
天保山なんですねえ。



いまは桜なんかもきれいな
公園になっています。





あ、そしたらさっきまでいた
対岸の「桜島」は
なぜ桜島なんでしょうか。

調べてみましたら、
今の安治川口の近くにある
春日出南の桜堤と
当地の埋立て権者である
「島徳蔵」の姓を
合成したからだったそうです。

じゃあ、「安治川」はなんで?
というのも調べてみましたが、
こちらは記載がなかったですねえ。

よく洪水を起こした淀川の流れを整理して、
安全な治水の川となったから
なんですかねえ。

まあ、そんな安治川を渡しでわたり、
この天保山の三角地点から
またウォーキングが始まるのです。

公園内を横切って道路に出ていきましょう。



最初は広くてちょっと寂しい道を、
遠くに港大橋を眺めながら
歩き始めます。



そして港通りの大きな交差点を
左折し橋を渡たります。





おっ、JAFってこんなとこに
あったんですねえ。



で、また港晴2の交差点に出たら



左折して、安治川に沿って進んでいきます。



といっても、安治川沿いは
工場に覆われていて近づけませんので、
殺風景な歩道を進んでいくのです。



左前方には大阪市の
中央体育館が見えてきますが、
まだまだその道を直進していきます。



道が直進過ぎて、
寂しすぎて、
神社仏閣なんかもないし
ブログネタが全然たまりません。

それにしてもここらは
大きな工場や作業所が
たくさん並んでいますねえ。



あまり近づきすぎると、
でっかい作業トラックに
轢かれそうです。

いやあそれにしても
自分がもうメインで
働いてないから言うんやないけど、
世間をこうして歩いてみてたら
世の中ってホントにいろんな人が
いろんな場でお仕事されて
いるんですねえ。

生きていくのってほんまに大変ですなあっ
と思いつつ続きます。


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