ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

シルクロードの東端にて 1

2014年11月07日 21時49分28秒 | ウォーキング

近頃、歩いてからの飲み会
というパターンが多くなってきました。

大阪市内はこれまで熊野街道、
天王寺七坂、生国魂神社界隈、
今宮戎界隈、御堂筋、天神橋筋商店街、
野田福島と歩いてきましたが、
市内にはまだまだ歩きたいコースがあります。

今回も、昔からのラン友である
仁Oさんの飲み会に呼ばれていたので、
それに先立ち市内ウォーキングをすることにしました。

当時大阪から奈良までの最短距離であった
「暗越奈良街道」の鶴橋から
玉造の東側部分を中心とした散策です。

あの西方より様々なものが渡来した
シルクロードの東端にあたります。
と書けば壮大なイメージですが
実態はちまちまと歩いたわけです。

飲み会時間をターゲットにして家を出ました。
いでたちは、飲み会の行われるのが
ラン友の旦那さんがやっておられる
焼肉のお店ということで、
帰りは夜の繁華街を歩くことを意識して、
ジーンズに長袖上着
というきわめて普通の装束で歩くことにしました。

運動した直後にビールで焼肉というのが、
もっとも血液内尿酸にとって
ウハウハの状況をもたらすのですが、
こんな時のために普段は粗食に努めていますので
まあよかちんでしょう。

鶴橋の駅に降り立ったのがちょうど14時。

焼肉を食べに行くのに先立って、
スタート地点に焼肉の聖地鶴橋を選んだというわけです。

こんなコースを歩きました。



街道歩きだけではなく、
いろんなところを訪ね歩いたので、
こんないびつなコースになっています。

さあ、歩行開始です。

駅を出て千日前通りを東に向かいました。





玉津3の交差点にあったのが、
胞衣(えな)塚です。



「胞衣」とは胎児を包んでいた幕や胎盤のことで、
その近くに祠のあった「大小橋命」の



胞衣がおさめられているそうです。

「えな」は「よな」に通じ、
夜泣き封じの御利益がある
ということで地元で親しまれていると
説明板にありました。

その胞衣塚を左折すると
すぐ左手に鳥居があります。



「比賣許曽(ひめこそ)神社」

ん?どこかで聞いた名前やなあ
と思って考えてみますと、
そう、doironがかつて働いていた
M市に「阿麻美許曽(あまみこそ)神社」がありましたっけ。

調べてみますと、
許曽という名前のつく神社は
全国で100を超えるそうです。

許曽というのは、朝鮮半島にあった新羅という国の言葉で
祭祀を行う聖地的な意味があるそうです。

鶴橋に関連の国の外国人が多いのと
何か関係があるのでしょうか。

また近くを流れる「平野川」も
別名「百済川」といわれるほどですから、
この街の起こりと深い関係があるのに違いありません。

神社の中を鳥居をくぐらないように
注意しながら通り抜け、
狭い路地を歩くと、



ここもやはり昭和の匂いがしますねえ。

やがて広い道に出てなおもそれを横切って進んでいくと、
住宅の前にさり気なく「亀の橋」の痕跡があります。



鶴橋の語源となった「鶴の橋」


ネットから

に対して同じく縁起のいい名前として
名付けられた橋の痕跡だそうです。



そこを左折してぐるっと回っていくと、
今年の6月に亡くなった
義父さんの実家近くにさしかかります。

そこにあるのが、「松下幸之助企業の地」の石碑です。



あの有名な「改良ソケット」がこの地で誕生したんですね。

このあたりがモノづくりの町として
発展していく礎を築いた場所といわれています。

平野川の「剱橋」を左折し



うだつの上がる家並みも見られる



大成通の商店街を歩いていると、
小学生の姿が増えてきました。
こういう状況はやはり気を遣います。
南瓣天橋に詰めていた見守り隊の人に
胡散臭そうににらまれました。

こういう時はこそこそしていると
余計にあきませんね。

ちょっとすみませんと声をかけ移動してもらい、
橋柱の写真を撮らせていただきました。



あ、そうそうそしてこんな時には
手に地図を持って歩くのがいいようです。

あくまで旅人を演出しなくてはなりませんからね。

続く


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