ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大阪の小阪 2

2014年08月15日 21時12分04秒 | ウォーキング

司馬遼太郎は41歳から平成8年に亡くなるまで、
30数年間東大阪に住んでいた。

没後5年後の平成13年に、
その下小阪の実家の横に、
安藤忠雄設計の
司馬遼太郎記念館が建てられ今に至っている。



入り口には、司馬遼太郎の実名である
「福田」の文字も添えられた表札がかかっていた。



入ってすぐの庭部分を歩いていると、



窓越しに彼の書斎が見えるようになっている。
これ。



書棚にはたくさんの本が置かれ、
机の上にはついさっきまで
彼がそこで文章を書いていたように、
メガネが無造作に置かれてある。

窓際には、座ると気持ちよさそうな椅子が置かれてあり、
目を休め、頭を休めながら
庭の木々を眺めていた姿が目に浮かぶようだ。

doironの書斎と比べてみよう。

書棚にはハイキングの地図本や
古本屋の100円文庫が並び、
机の上にはパソコンと共に
食べかけのお菓子が置かれてある。

窓は西日が入るので
半ば雨戸を閉めたままである。

まったくえらい違いだ。

そもそも彼の素晴らしい才能と
doironのそれじゃあ、
銀河と石ころほどの差があるので、
まあ石ころにはふさわしい
と言えばふさわしい書斎ではある。

あるだけましかと思うことにしよう。

その実家を通り過ぎ、



記念館の方に行くとビックリするほどの多くの人がいた。

なんとその日は、俳句大会の日だったのだ。
館内のあちこちで、高齢者が紙に何かを書いている。

中には展示してあるショーケースの上にまで
紙を広げている行儀の悪さ。

それに、上映館の中でもペチャクチャしゃべりまくっているし、
「今どきの年よりは・・・」と言いたくなるよまったく。

まあそんな人たちにあきれ返りながらも
しげしげと展示を眺めてみた。

館内は撮影禁止なので写真を紹介できないが、
3階まで吹き抜けになった書棚と
そこに並べられた本の数々には圧倒された。

その中の一冊に目が止まった。

「菜の花の沖」。

そこに並べられてあった本の装丁に見覚えがあったので、
もしやと思って家に帰ってから確認してみたら、
これも古本屋で1冊100円で買った本が、
全部初版本であったのには驚いた。

途中まで読んで止まっているその本を
またありがたく読み始めようと思っている。

もうひとつ面白かったのは
その書棚の天井に、
偶然にもあの坂本竜馬の有名な写真の姿の一部が
まるで影絵のように、
天井に染みになって浮かび上がっていることだった。
ちょうどこの写真の四角で囲った部分の



シルエットの形のしみで、
「竜馬が記念館をのぞきに来ている」
とそこでは紹介されていました。

ひょっとしたら我が家の壁にも
「ミロのヴィーナス」なんかがあるかもしれません。

大勢の人達から逃げるように退館し、
次に目指したのが「俊徳道」。

といっても、近鉄の駅のことではありません。

河内国高安の長者の息子で、
継母の呪いによって失明した
「俊徳丸」が落魄したのちに、
恋仲にあった娘・乙姫の助けで
四天王寺の観音に祈願することによって
病が癒えるという伝説があり、
その俊徳丸が四天王寺へと通ったみちが

「俊徳道」

または

「俊徳街道」

として今も残っている。

その道がこれ。



今で言うところの府道24号線です。

俊徳丸の伝説は、熊野に詣でた小栗判官が
熊野で蘇生したという話によく似ている。
蘇りを伝説化することによって、
聖地化し、勧進を進めるという目論見がそこにあるようだ。

そんな俊徳道をしばらく歩いて、



くつろぎの長瀬川沿いに



近鉄まで戻って



歩行距離は約5キロ。

盛夏にほっつくには頃合いの街歩きでした。

大阪の小阪、終わり。


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