ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

四国巡礼七十五番善通寺

2016年09月23日 20時50分33秒 | ウォーキング

え~、76番金倉寺という名前のお寺で、
お参り時に賽銭財布を忘れる
というトラブルに会いましたが、
お大師さんのおかげで
乗り越えることができました。

さすがに同行二人のごりやくです。

まあ人生の旅路も、
周りの人に命を2度も
助けられたりしていますから、
こうして「お大師様とともに」の
気持ちでありつづけたいものです。

さて、次に行こうとしているお寺が、
今回一番気になっていたお寺である
75番善通寺です。



ここは、あの空海生誕地のお寺です。

「善通寺」の名前は
彼の父親である佐伯善通から
付いた名前で、いまはもう
市の名前にもなっています。

昔、空海は自分の聖地として
高野山を私寺として開発し始めました。

しかし私寺としての
高野山の開発は
資金、人出など無理なことが
たくさんありました。

生きてるうちに
高野山を開発できるだろうか
と思い始めたころに、
公寺である京都の東寺を授かりました。

高野山の開発を続ける一方で、
東寺を彼の真言宗の霊場としました。

したがって、高野山の金剛峯寺も
併せてこの善通寺は
三大霊場の一つと言われています。

バスが止まるときに先達さんから、
「ここは広いので迷子にならないように」
と注意がありました。
たしかに広い境内でしたね。

参道を歩き、本堂に向かっている途中に、
空海の子ども姿の銅像もありましたので、
ここではこの姿を絵にしておくことにしました。

これ。



バッグのお堂の部分には
これまであまり使っていない
手法も使ったので、
しっとりした雰囲気を出せたかなあ。

八十八枚の景色を描いていく中で
少しずつ新しいことも
やっていきたいですねえ。

まずは手洗い所で手を清めていきます。

このときふと柄杓を見ると、
その裏に「奉納 〇山▢男」みたいな
名前が刻んであります。

ああ、そうかあこういうヒシャクも
参拝者の奉納で成り立っているんやね。

だったらそうだ、
気になるお寺にはdoironと
首Dさんの名前で
柄杓を奉納してはどうかと考えたのです。

名前を記した柄杓を持っていき、
気になるお寺に奉納してきます。

これはいいですねえ。
お参り度も上がるでしょう。

ではどこのお寺にするか、
これはこれから先の計画を見ながら
首Dさんと相談しなければなりませんねえ。

doironはこの先気になるお寺といえば、
五十一番の衛門三郎関連の石手寺、
二十四番の最御崎寺などですが、
いろんなことを勉強していくうちに
もっと気になるお寺も
出てくる可能性がありますねえ。

そんなところに奉納していこうと思います。

で、この善通寺も一つの気になるお寺でした。



大きな太子堂と本堂でお参りしながらも、
境内をしっかりと見まわしてきました。

境内が広いので、
ゆっくり歩く同行者の分
ちょっと余裕ができますからね。
こういう五重塔なんかも
きっちりとみてきました。



空海は習っていたお坊の学校をやめて、
唐に行き、青龍寺というお寺で
恵果阿闍梨に密教のすべてを伝授され、
日本で一番最初に
密教を教わった僧となりました。

これが空海の根本修行で、
この日本で真言密教へと
なっていくものだったのです。

この善通寺はまさしくその
青龍寺を模して伽藍を
創立していったお寺だったのです。

空海はこの善通寺で生まれ、
ここの空気を吸い、
ここの水を飲みながら
そだっていきました。

佐伯という素姓の中で
通常の僧としての動きはせずに、
自分が求めているものを
とことん追求していこう
という姿勢で若さを過ごしていった
という、そんな彼の原点と
思いがもっとも染みついているのが、
この善通寺なのかもしれませんね。

いつもよりしかっりお参りしていきましたとさ。

続く


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