ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

西国三十三所 河内の葛井寺2

2016年10月30日 23時03分54秒 | ウォーキング

今日は大阪マラソン応援でした。
これはまた記載するとして
ブログは昨日の続きです。



路地の地蔵を
ちょこちょこ眺めながら、



藤井寺市の市の花である
梅をあしらった
マンフタを踏みつつ進んでいきますと、



「葛井寺」に到着です。



何回か来たことがあるので
迷わずに来れました。

横の門から入っていきますと、
右に立派な藤の花があるようです。



だから「ふじいでら」なのかというと、
それは間違っています。
百済王族の子孫である
渡来人系氏族
葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)
により8世紀中頃に
創建されたことによる名前なんですねえ。

ここが本殿です。



え~、今回の三十三所の絵は、
この本殿を描いておきました。

これ。



う~ん、最近の風景画の題材が
お寺や神社などに
ちょっと決まりすぎてますかねえ。

もう少し都会の景色や
山の風景なんかも
描かないといけませんね。

ま、とりあえず、
いつものようにお参りしておきましょう。

ろうそく、線香をあげて、
納め札を入れていきます。

ここの納め札は三十三所用に
買ったものです。



ここのお寺は「真言宗御室派」の寺院ですから、
いつもの四国と同じような
作法がいいのかもしれませんがねえ。

まだお経などそういう記憶は
あたまにしっかりと
残っているわけでもないし、
資料も持っていませんので、
般若心経の出だしだけを
となえておきました。

「なんだー、かんだー、般若ハラミタ~」

そ、そんな無礼な
信者ではありませんがね。

納経所へ記帳の申し込みです。



そうそう、四国でももちろん納め札や
納経帳などもそろえていますから、
それぞれ間違えて
もっていかないように
注意しないといけませんね。

近頃は記帳していただくと、
「散華」なる小さな花弁のような
ものをいただきます。
これ。



これを決められた台帳に張って、
きれいに整えていくというのもまた
一つの巡礼の証になったりするんですね。
ああ、そうだ。
この台帳も手に入れないといけませんねえ。

それにこういうのもまた
四国と同じシステムですから、
資料もきっちりファイルごとに
分けて区別しておかないといけませんね。

記帳は、担当の人がまず
ハンコを3つ押してくれたあと、
達筆で書いていかれます。

お寺によっては読経をしながら
記入していかれるところもありますね。

ここの寺は無言でした。

書き終わったら、そこに
新聞の切れ端なんかを
にじみ止めに挟んでくれるのですが
以前の四国では
スポーツ新聞の
ちょっと怪しい広告が
挟まれていたこともありましたな。

そしてこのあと、
境内にある「腰掛けの松」や



「南大門」を眺めながら歩き、



参拝を終えます。

これが入り口近くの
お店のところにある道標です。



「右 つぼさか よしの はせ いせ」



「左 道明寺 たつた ほうりうじ なら」
とあります。

「たつた」というのはよくわかりませんが、
他はよくわかる道標ですねえ。

さあ、これで三十三所の
納経帳を抱えての
2番目のお寺参りが終わりです。

この後は、前回大雨の中歩いた



辛国神社を巡り歩いて、



藤井寺市役所に帰りました。

で、今回はもう一つ目的がありました。

それは、doironが仕事で
走り回ったM原市を
ちょっと検証しながら
走り回り続けることです。

退職して、もうすぐ5年。

どんなふうになったのか
ちょろっと回ってみましょう。

え~っとまずは市内の国道の
中央環状線に植え込みが
増えていましたね。

うん、見た目もグリーンになりましたね。

それから、doironが買いつけた土地には、
ふむふむ幼稚園ができています。

あ、こんなとこに
道ができたんやあ
というのはちょっとした驚きです。

箱モノもいくつかできているようです。

トライアスロン完走に向けて、
泳ぎを習ったプールのところに
何かできる様ですねえ。

まあ、いろいろと若い市長ですから
精力的に町の変革に
取り組んでおられるようです。

じゃあ、あそこはどうなったんだろう、
あの取り組みは継続してやっているのかなと、
ほかにも気になるところは
いろいろとあります。

いろんな一線から離れると、
こういう過去巡りもまた、
お寺巡り同様に
ちょっと面白かったりするのですねえ。

とりあえず三十三所巡り
第2弾「葛井寺」は
こうして身近な過去もたどりつつ

終わりです。


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