ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

太子道6 飛鳥の橘寺

2018年11月03日 20時48分32秒 | ウォーキング

こんなイヌタデや秋の花々が咲く



野原を見ながら進んでいきますと、
道はやがて突き当たります。

ああ、そうかあ、ここは
こんな道なっていたなあ。

そこで右を見てみますと
こんな石の碑が立っています。



そこには、右の石には
「日本仏教発祥の地」と書かれ、
左には「聖徳皇太子御誕生所」と
書かれています。



そう、彼が生まれたといわれる
「橘寺」の石碑です。



ああ、田んぼの向こうに見えるのが
「橘寺」です。
まあ言ってみれば彼の人生の
出発点があそこだったんですねえ。
そこを目指していきましょう
と歩き始めたその時です。

30代くらいのきれいな女性が
こちらに向かってきます。

「聖徳太子さんですか」
って聞かれたらどうしましょう。
病院に行けと言いましょうか。

「こんな薄毛の太子はおらんやろ」
とかえしましょうか。

「サインしてください」と言われたら
「事務所通してね」と断るか
などと考えていたのですが、
決してそんなわけではなくて、

「あの~亀の形をした石が
あると聞いたのですが、ご存知ですか」
と聞いてきます。

ああ、ちょうどいいところで
道案内を頼まれましたね。

「ちょうどいいところです。
この道を300m位戻っていくと、
右側にありますよ」と



簡単に教えることができましたね。

「橘寺に行かれるのですか」

「はい。中には入らないと思いますが
そっちへ行くつもりです」

「ほかにも行かれるのですか」
「はい飛鳥川沿いを歩いて八木駅まで行きます。」
と答えると「ぎょえ~」と驚いてはりましたね。

はいはい、どうせdoironは
変わりものですからね~。

「気を付けて~」とお別れし、
こんな龍神王の石碑などを
眺めながら橘寺へと向かって行きます。

ここは前回も飛鳥を訪ねてきたときに
入ったお寺でしたねえ。



二面石もありましたねえ。



まあ今回は彼の歩いた道ですから、
中には入らずくるりんと回っていきましょう。

下の方に降りていくと、
お寺が見渡せるこんな場所に、
また「聖徳皇太子御誕生所」の
石が立っています。



ああ、この辺りから太子は
歩いて行ったのですかねえ。



と思ったら違うんですねえ。
かれが斑鳩に通った頃は、
どうも雷という土地にあった
小墾田宮からのようです。

もう少し先の甘樫丘の近くだそうですが、
でもまあそれも推定だし、
この辺から進めていきましょう。

飛鳥川のところに出たら、
その道を左折して



川沿いのコースに入っていきます。



黒駒に乗った太子は、
さらさら流れる川の流れの音を
聞きながら法隆寺へと
向かって行ったのでしょう。

今の季節だったら彼岸花とかが
咲いていたのかなあ。



こんなコスモスやひっつきむしは





まだ日本にはなかったでしょうねえ。

米が実り、豊かな地域から
かっぽかっぽと進んでいったのでしょう。

道はこの先で飛鳥寺の
近くを通ります。
立派な大仏のいる所ですねえ。



特徴のある顔をしているので
すぐにわかりますよ。

この大仏は幾度かの火難とかに
さらされてきました。

そして補修もされ、多くの部分が
創建時からは変わっている
ということから、
日本最古級でありながら
国宝化されずにいます。

でも最近の研究から、
補修されているものの
当時の部品は多く残されている
ことがわかり、見直しが
されているようです。

重要文化財から国宝へ。

そんな飛鳥大仏の出世の報が
近々届くのではないかと
見られているそうです。

そしてそんな飛鳥寺から
少しだけ離れたところにあるのが、
飛鳥板葺きの宮で
大化の改新時に討たれた蘇我入鹿の首が
ここまで飛んできたという
五輪の塔があります。



飛鳥の「首塚」といわれています。

情報が少ない中で、
いろんな思いがさく裂し、
こういう場所を作ったんでしょうねえ。
まあ、この事件は聖徳太子より後の
時代の出来事でしたけどね。

続く


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