ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 初めての海沿い 2

2014年12月25日 21時09分39秒 | ウォーキング

日高川沿いの気持ちいい遊歩道の終点が、
この湊歩道橋です。



これを渡ってしばらく42号沿いを進むと
左に入っていく道が現れます。



案内は?っと、
あ、お店の看板にさり気なく書かれてあります。



しかも古道沿いの道には
おもてなしの福助も・・・



それは違うか。

このあたりの国道42号は
まだ御坊までしか高速道路が開通していなかった頃に
何度か通っているはずです。

その頃は国道沿いに細々と
集落が張り付いているだけだと思っていたら、
1本中の熊野古道を歩いてみると、
結構奥まで集落があることにまず驚きました。

こんな古い家が建ち並んでいたり、



わけのわからない貼り紙をしている家があったりして、



多くの人が住んでいることをうかがわせます。

さて、鹽屋王子のある鹽屋王子神社に到着しました。



「鹽」というのは「塩」のことです。
したがって、地図や案内等にも
「塩屋王子」と書かれてあります。

この地域周辺にある遺跡からは
たくさんの製塩土器が見つかったことから
昔は製塩が盛んだったことがわかるそうです。

「地名は歴史のタイムカプセル」といわれるだけあって
全くその通りの名前ですねえ。

ここは王子としては古い歴史を持つそうです。

また、地元の魚屋が伊勢神宮から勧請した
天照大神を祭神としたこの王子は、
その女神像が美しかったことから

「美人王子」

の別称を持っています。
なので、この王子のある神社にお参りすると
美人の子どもが生まれるという民間信仰があるそうです。



境内には玉垣で囲まれた
「御所の芝」もあります。



たしか同じ名前の史跡が、
海南の少し南にある藤代塔下王子のところにもありましたねえ。



熊野御幸の際の後鳥羽院行在所ノ跡
という事であればいわれは同じなのですが、
こちらは大塔の宮熊野落ちの際に、
泊まったといういわれもあり、
明治の中ごろに社殿の左背後の林の中から
今の地に移転したともいわれています。
本当のところはわかりません。

そこは大きな楠が何本も繁る古い神社でした。



神社を出て、少し先に流れている川が

「王子川」、



そしてそこにかかる橋が

「王子橋」でした。



この名前もこれまで何度も出てきました。
一体全国に王子川が何本あって、
王子橋が何本あるのか、
その分布を取ったら面白いかもしれません。
きっと、熊野信仰の何らかの側面が
浮き彫りになるような気がしますが、
まあ、機会があれば取り組んでみましょう。

その王子橋を渡って、
熊野古道は直進していきます。

繰り返しになりますが
本当に国道から少し中に入るだけで、
こんなにも生活臭の漂う集落が続いていきます。



御坊市街からかなり歩いてきたように思うのですが、
案内表示も、マンふたもまだ御坊のものです。



ん?マンふたのデザインに違和感を覚えました。

そうです。中央に配置されている絵が
これまでのものと異なります。

前は、中央にマメ科の植物が描かれていましたが、
ここでは大きな花が一輪描かれています。

何の花だろうと思いながら歩いていると・・・
解決しました。

「ハマボウ」の花でした。



ここ塩屋には日本でも五本の指に入る
ハマボウの大群生地があるそうです。

残念ながら今はその花の季節ではありません。
街角のところどころに見かける
「ハマボウ」の文字が
マンふたの疑問を解決してくれました。

おやおやこれは民家の塀に埋め込まれた地蔵の祠。



なぜかほほえましさを感じました。

このあたりから、道の前方に
大きな煙突がそびえはじめます。



大量に排出されている煙(水蒸気?)が
海からの風で横にたなびいています。

あ、光專寺への案内がありました。



県下屈指の大木であるビャクシンがあるそうです。
行ってみなくてはなりません。

おお~、確かに立派なビャクシンが見えています。



案内板には潮岬の元の宮にあるビャクシンと並んで
県下屈指の・・・とあります。



潮岬かあ、また行ってみましょう。

あ、そうそうたしか有田の浄念寺のそれは
「推定樹齢500年以上」とあったはず。

ここは推定600年と書かれてありました。

そんなビャクシンを見上げながら、
その樹ともう少しお話がしたかったのですが、
まだ古道は今日の予定の半分も来ていません。

引き返すために乗らねばならない
バスの時刻のこともあることだし、
あまりもたもたせずに先に進みましょう。

続く


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