ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

渡しを渡った私11

2020年10月10日 20時51分00秒 | ウォーキング

「難波津に咲くやこの花 冬ごもり
今は春べと 咲くやこの花」

昔、王仁が呼んだとされる
難波津の歌から、此花区に
なったといいます。

天保山渡しを乗った先の区の名前です。
しかも地名がこんな鹿児島のような桜島。
島の名前ではなくて、
桜の堤と島という名字をくっつけて
桜島と呼んでいます。



はあ地名だけでも
歴史を感じますねえ。
渡船を降りてそんな景色を
眺めながら街中に入ってゆきますと、
USJの外観が見えてきます。

このUSJがここに決まるまでは
様々なことがありました。
建設場所の視察に現れた団体に対し、
堺市がここにと場所を示したのだが、
交通の便も悪くすぐに交渉決裂、
それを聞いた自治体が
いくつか手を挙げたのだが、
大阪市があげた鶴山町を
視察することになり、
そこへ行ったのだが
ここも交通の便や土地が狭い
という事で決裂した。

しかし大阪市はあきらめずに、
決裂した日の夜に会議を行い
此花区の桜島を選び、
帰国を一日遅らせて
見に来てほしいと
申し出たそうだ。

結局、そこがMCAという団体の
お気に入りとなり、
ようやくここに建設されることが
決まったということです。

以前歩いた時の記憶があったので、
そこのコンビニに行き
コーヒーを買って駐車場の片隅で
休憩します。



目の前には、あのUSJの
ジェットコースターが
走ってゆきます。

「キャー」という声が天空に
響き渡ります。

USJは一回だけですが
行ったことがあるのですが、
さすがにあんなのには
乗れなかったです。

コーヒーを飲みながら、
ククくと笑うのでもう十分です。

とまあそんなことを
しているうちに、
帰りの渡船の時間が
迫ってきましたよ。
また歩いて渡船場に
向かいましょう。



渡船場に着くと、あ、
今回も結構お客さんが来ていますよ。
先程と同じくらいいます。
外国人も多いですね。

待合室には大阪の渡船の
歴史なんかの紙も張られていましたので、
しっかり勉強です。



それによると、明治の時代に
大阪市の渡船が始まって、
昭和10年頃には渡船場が
31か所もあったそうです。

昔は派手だったんですね。
今は道路が発達したりして
8か所になっているんですね。

とまあそうしているうちに、
渡船が近づいてきました。



やってくる船もとても賑やかです。
外国人なんかは「ハーイ」
とかいいながら降りてきます。

さあではそれと入れ替わって乗船です。
先ほど話をした船員も
「あ、また来よった」
みたいな笑顔で迎え入れてくれます。

下流の方には弁天町の
ビル群なんかも見えていましたね。



帰りも5分くらいで到着です。
ああ、これで今の大阪市にある
すべての無料渡船に
今年乗船しましたねえ。

次はいつ来るかなあ。
自転車で渡って回る
というのもいいかもしれませんね。

また、一日で全舟制覇も
いいかもしれません。
何かと色々とむつかしいことも
あるんでしょうが、
大阪市さんも頑張って
残しておいてほしいですね。

さあではここまで来ているんですから、
天保山の三角点も見ていきましょう。
公園に入っていって確認しましたよ。



ここが高さ4.53mの
三角点のある日本一低い山です。



とこう書きたいところですが、
いまは仙台の日和山が、
震災により高さ3mの山と
認定されたので、今は
天保山は元日本一低い山に
なるんですねえ。ちょっと残念。

でも日本一お気楽なdoironの
訪問を受けましたから
それでよしとしましょう。

そのあと、天保山に戻り、
難波食いしん坊横丁で、



大阪渡し船制覇の焼肉弁当を
食べてお祝いし、満足げに



帰宅していった
doironなのでありました。

ああ~カロリー取りすぎですねえ。
そこは反省。



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