え~、2回も前触れしていた今回のシリーズですが、
いよいよ書きはじめることにします。
JR阪和線で下松駅に到着し、
午前10時から歩き始めました。
駅を出て30号線の方に向かって歩くと
すぐに「上轟橋(かみとどろきばし)」があります。
なんてところに落書きをするんでしょう。
バカとしか思えませんな。
厳密にいえばこの地点から
まだ歩いていなかった街道の区間に入っていきます。
この橋の名前にも由来があります。
熊野街道は、
病の小栗判官を土車に乗せて、
照手姫が熊野まで連れて行った
という涙なしでは書けない、
聞けない話があることから、
別名「小栗街道」と呼ばれていることは、
このブログの読者ならもうお分かりですね。
あ、ちなみに土車とは
土砂運搬用に使われていた
木製のリヤカーのようなものですね。
こんな感じ。
その二人の道行きで
春木川を渡るときに
車輪の音が大きく轟いた
ということからつけられた名前だそうです。
ところで、春木川上流の三ヶ山町のほうにも
「轟橋」という橋がありますが
その「轟」は、小栗とは関係ないので、
きっと水の音からつけられたと思われます。
でも、それならなぜ
「上轟橋」とつけられているんでしょう。
位置関係から言えば「下轟橋」のはずなんですが・・・
もしかしたら、下流にも「轟橋」があるのでしょうか。
ま、いずれジダンが轟きながら
ハチと戦いつつ解決してくれるだろうと、
ここは追及せずに街道に入っていきます。
次に目指すのが
「和泉式部筆塚」。
このあたりには和泉式部ゆかりの場所がいくつかあります。
その最初が「筆塚」なんです。
ここで少し和泉式部について書いてみましょう。
(なかなか進まん)
彼女は978年頃に生まれています。
いらん計算ですが
生きていれば1025歳ということですね。
蟻の熊野詣といわれるほど
大勢の人がこぞって熊野に詣でたのが、
鎌倉から平安時代にかけて。
そのブームのきっかけとなったのが、
京の都の上皇など、
やんごとなき人々の熊野詣でありました。
西暦でいうと1000年から1200年くらいでしょうか。
なので、和泉式部は
それより少し前の人ということになりますが、
まあ50歳くらいまでは生きていた
という記録がありますから、
熊野詣をまんざら知らないというわけでもなさそうです。
彼女は橘道貞の妻でありましたが
その婚姻は破綻。
その後、冷泉天皇の第三皇子・為尊親王と熱愛し、
身分違いであることをとがめられて
親に勘当されたにもかかわらず、
為尊親王の死後、
今度は敦道親王と浮名を流すという
遍歴を持っています。
ただ、その親王も早世。
その後30歳半ばで藤原保昌と再婚しました。
彼女はまた歌人としても有名です。
詠んでいるのも情熱的な恋の歌が多く、
多くの男性遍歴と合わせて
恋多き女性といわれています。
その彼女が愛用していた筆をまつった
というのが「筆塚」です。
資料と地図によると、
30号線の下松と上松の境界あたりらしいのですが、
どうにも見つかりません。
地図もおおざっぱなので、
あたり一帯をつぶさに歩き回ってみました。
意外に入り組んだ住宅街には
こんなところもありました。
菅原神社へ入っていく参道です。
そんなところをうろつきながら
あっちこっち探したのですが、
結局見つけることができず、
この時点で小1時間を費やしてしまいました。
先が思いやられます。
最後の手段で、公共施設で聞いてみようと、
そこに図書館があったので
訊きに入ろうとしたのですが、
どうも新しくオープン予定の図書館らしく
業者さんが準備作業の真っ最中でした。
扉の所から中の人を手招きしてみると、
若い女性が扉を開けてくれました。
中に入れてもらえて
筆塚について聞いてみたのですが
その人もわからない様子。
仕方なくあきらめようとした時に、
館内案内図に目が留まりました。
2階になんと
「小栗街道ラウンジ」
てのがあるじゃないですか。
広域連携で岸和田市の図書館でも
本を貸し出しをしてもらえるはずなので、
オープンしたらぜひ訪ねてみようと思います。
それはさておき、
結局筆塚はわからないまま、
先を行くことにしました。
この先には「恋多き女性」であった
和泉式部ならではの
史跡があるはずです。
次回に続きます。
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筆塚ですが、菅原神社近くのうちの社員にも尋ねたところ・・・やっぱり知らないそうです。(T_T)
それと、立ち寄った図書館・・・うちが建設させていただきました!!
また明日以降の記事が楽しみです。
図書館で作業をしている業者さんも
一緒になって考えてくれましたが
見つかりませんでした。
あのあたり、走っていくことがあったら
気を付けて見といてくださいね~
それにしても、岸和田城の二の丸跡のモニュメントも作ったんですよねえ。
今度は図書館ですか。
すごいなあ。地図に残る仕事はいいなあと思います。
僕も記憶に残る記事を書かなくてはなるまいて。