下流で雨がふりだしたので
帰ろうかと思いましたが
やっぱり歩くのは
doironのアモーレです。
雨がやんできたので
また途中ででんしゃをおりて
目的の河川敷道をアモーレしましょう。
え?お前の場合は
「おきざり」やろって?
ああ、そうかもしれません。
ということで、次はJR桜ノ宮駅から
大川の上流部分に入りました。
以前、大阪市内の大川歩きを
したときはここから
下流に向かって歩いたのですが、
今回は上流に向かって
さかのぼっていきます。
下り一方の自分の人生とは反対ですやん。
最上流にある淀川の毛馬閘門までの
河川敷を往復しましょう。
まずは駅を降りて
少し下流の源八橋を降りていきます。
その昔、この河原で源八さんが
焼き芋を売ってたところからついた名前・・・
では決してありません。
対岸の北区の町名から来た名前で、
川の中州に「源発」という
名前の砂州があったことから
ついた名前だそうです。
そしてその源八はここに開かれていた
渡しの名前にもなっていたそうです。
その後、昭和11年に橋ができて
渡しがなくなったのですが
「源八」という名はその橋の名として
残っているそうです。
いまも対岸のほうには
こういう碑も残っているようです。
あの俳聖「蕪村」はこの先の
毛馬閘門当たりの生まれですが、
この源八橋についてこんなのをうたっています。
「源八をわたりてうめのあるじかな」。
さあその橋の下からスタートです。
河川敷には歩きやすい道がついています。
そういえば昔、淀川を走るマラソンで
この辺りを走ったことがありますねえ。
今はこんな看板もたっています。
あ、このあたりが
大阪市の水道発祥の地なんですねえ。
で、そのうちに上流に見えてきたのが
「都島橋」です。
仁徳天皇の高津宮、
孝徳天皇の長柄豊碕宮が
当地の近くにあったことによる命名なんです。
今も地下鉄の駅名にもなっていますねえ。
この橋もくぐっていきましょう。
若干うっすら曇っている空の下、
この橋の下で休憩している人も
おられました。
でもdoironは負けずに歩いていきます。
雨が降ろうが槍が降ろうが、
だれを相手にするんかわかりませんが
頑張ります。
あ、槍だったら休憩しているかな。
そしてまた前方に変わった形の橋が
見えてきました。
まるでUFOのような橋です。
そうです。
それもそのはず、この橋は
車の通れない歩行者用の橋で、
まるでどこかへ飛び去って
行きそうなUFO見たいな姿から
「飛翔橋」と名付けられた橋です。
と、こう書いたらまた嘘やろ~
と言われそうですが、
ここはそれマジで本当の話です。
結構たくさんの人がわたっているのを見ました。
なおも気持ちのいい道を進んでいきますと、
右には「毛馬桜ノ宮公園」があり、
そこからさきに工業用水取水口のある
横の川をまたぐように掛けられてある
「春風橋」を超えていきます。
ジョギングしていた人の顔が
ここの上り坂で苦痛に歪んでいた
のを思い出します。
自分もあんな風に走っていたのかなあ
って振り返ってしまいますね。
そして毛馬橋も超えて、
ようやく毛馬の閘門のところに
たどり着きました。
ここは大川に流れる水量を
調整する役目と同時に、
淀川と大川の水位差により
困難となる船舶の通過を
スムーズにさせるための設備を含んでいます。
その先で、ついに淀川と合流です。
たぶん次回の淀川歩きでは
ここを通るでしょう。
この合流点のところには
蕪村の生誕碑があります。
へえ~彼の生誕地は
川のそばだったんですねえ。
いやあ、ほかにも節ありですけど・・・
蕪村が弟子に送った手紙に
毛馬生まれであると書かれています。
ここで読んだ一句が
「春風や堤長ごうして家遠し」
うんうんわかりますよ。
わかるけどねdoironは
早く帰らなければならないんです。
義母さんのこともあるしね。
この地には近々上流から
訪れる予定ですので長居せず
淀川の写真を撮り、
すぐに引き返し
同じ道を桜島に向けて
とっとと帰ったのでした。
この時の距離は、
往復で約5.2キロを
一時間5分で歩いて
帰ったのでした。
ああ、ウルトラで歩いた時のペースですねえ。
これでまあ大阪市内部分を
流れる淀川はすべて歩きました。
あと残りはこの辺を通って
今の本流である淀川を
下っていくのみです。
その川下りは、この後で。
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