ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

四国巡礼三十四番種間寺

2017年03月10日 21時35分23秒 | ウォーキング

こういう観音様の銅像は難しいですね。



doironなんかは石像の顔を
どう書いても笑顔になってしまいます。

なかなか顔の部品って
書き足しにくいから、
ウシッと書いてしまうのですが
なかなか思うような顔に
なってくれませんなあ。

まあ悲しい顔よりかはいいかなあ
とか思って自分を許してしまいますがね。

この清瀧寺は行基の開基で



もともとは釈木寺という
お寺だったそうですが、
後に大師が来て7日間の修行をし、
最後に杖を突くと清水が湧いて



今の清瀧寺に名を改めたものだ
と言われています。

ここの境内からは高岡平野が望まれます。



この平野内を流れるのが
「仁淀川」です。

その川の水の美しさは、
水質の調査結果でも
日本一といわれています。

その仁淀川の名前なんですが、
いくつか説があるのですが
そのなかで、一番お気に入りが
当時の大坂の淀川に似て
きれいなところから

「似淀川」

といわれ、それが「仁淀川」に
変わったという説ですね。

環境の仕事をしていたころも、
この川の名前は何度も聞きました。

それに先達さんもバスの中で、
この川の名前の由来を
この節に限定して話してはりましたね。

いやあ、しかし四国って
どこも川の流れは本当にきれいですねえ。

さあお参りを終えて、
また再びマイクロバスで
帰ろうとするのですが、
ちょっとマイクロバスの手配が
滞ってしまいました。
寺の出口にいないのです。

どうも別の班のバスが到着したようで
その人たちを運ぼうと混乱しています。

こうなると、あとの班もまた
納経帳に時間がかかったりして
大変になるんですね。
意外に、こういう時間が
巡礼の足手まといになったりします。

で、ようやく次の班の人を
載せてやってきた
マイクロバスに乗り換えて、出発です。

この時におりてくる別班の添乗員を見ていたら、
前回の添乗員さんでしたね。
まあ、大変なお仕事ですが、
本人もこっそり自分の納経帳なんかも
持ってきてたりしてねえ。
仕事を続けているうちに
先達さんになれるかもしれませんね。

バスが来るまでの間、
じっくり寺内を見学できました。




さあではお参りも済ませたので
次のお寺に向かいましょう。
次はバスで10キロほど先にある
34番種間寺です。

今回のバスは結構飛ばします。
狭い地域でも木の枝を屋根で
ごしごしこすりながらでも
飛ばしていきます。

さぞやこの四国の経験の
深い運転手さんなんだろう
と思って、あとで停止時に

「いつも四国にはよく来ているんですか?」

ときいたら
「いやあ、久しぶりの仕事で、
この四国に来ました」とのこと。

ドヒャー、聞かなきゃよかったかな、
あとの運転がかなり不安になりましたわあ。

まあそんな運転でお寺に到着です。



このお寺にはちょっと古い歴史があります。

百済から大阪の四天王寺設営のために
来ていた仏師や仏工が
仕事を終えて百済に帰ろうとするときに、
土佐沖で暴風にあい
ここに流れ着いたそうです。

その時に薬師如来を刻み、
海の安全を祈ったのが
この寺の始まりだそうです。



そして寺の名前も歴史があります。

弘法大師が唐から持ち帰った五穀
(米、麦、あわ、きび、豆 諸説あり)の
種をまいたところから
この名前になったと言われています。

で、この寺はいつの間にか
安産のお寺といわれるようになっています。

境内に入っていくと、
観音堂がありその堂の周りに
底の抜けたひしゃくが
きれいに並んで飾られています。





それを絵にしたのがこれ。



なんでも底の抜けたひしゃくは
通りがよく、安産のお守りになるそうです。
種間寺の名前にふさわしい
取り組みじゃあ、あ~りませんか。

とまあ、これはdoironの
勝手な解釈ですがね。

観音堂の木の柱の絵を描くのが大変でしたねえ。

続く


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