「穂高見命」が降臨してできた、
穂高神社があるところ、それが
神が現れたので「明神」といいいます。
いやあここはもう神だらけですよ。
歩いている林道の横の森の中には
木々の後ろにきっと神様が
潜んでいたのでしょう。
樹木の上の方から見下ろしていた
のかもしれません。
首藤さんも、こっそり僕らの背後を
そっと歩いていたのでしょう。
明神の所にはこんな朝焼けの宿
という明神館があります。
ちらっと中に入ってみましょう。
すると、おお~メニューの中には
イワナの塩焼きというのも
あるではないですか。
実はこの明神館のところから
梓川の方に向かっていくと
明神橋というのがかかっています。
その奥にこの上高地を開いた頃に
山案内人であり漁師でもあった
「上條嘉門次」の小屋があり、
そこで今もイワナの塩焼きを
いろりのところで焼いており、
清酒・嘉門次とともに
売り出しているそうですので、
これは最終日の大きな楽しみの
一つになっています。
この嘉門次が、英国の宣教師である
ウォルター・ウエストンの上高地からの
登山を推奨した人です。
いまは前回も書いた通り
名勝として名高い上高地の元祖ですね。
この上高地は、今はマイカーでは入れません。
バス及びタクシーでしか
途中の釜トンネルをこえて
こられないのです。
昔はねえ、夏の終わり頃は
マイカーで入れたのですよ。
義父母と小さい息子を連れて
30年ほど前にここへマイカーで来て、
駐車場に入るのに1時間待ったことがあります。
それがもう無理なんですねえ。
こうしてここの自然は
守られているんですね。
帰りはそちらへ渡って、
梓川の右岸を歩くといいですよと
先週くらいにここに来ていた
babiさんのおすすめ通りに
散策することになっています。
その嘉門次小屋だけでなく、
ここでも塩焼きは帰るんやあ
と感心しつつ店を出て行きますと、
babiさんによく似た一人の女性が
「雨で嫌ですねえ。
モンベルのカッパ着てはるんですねえ。
私はモンベルの傘で、
これで横尾まで行きます。」
と話しかけてこられました。
「今日はどこまで行くんですか?」
と訪ねると、
「涸沢へ行ってきます」とのこと。
「ああ、そうなんですか。
一緒ですねえ。またコースであったらよろしく」
とあいさつを交わしましたよ。
なんか山の仲間たちは
みんな愛想がいいですねえ。
この後も何回か登場しますので、
名前は知らないから「bibiさん」
と名付けておきましょう。
さあでは次の目標値である
「徳沢」に向けて、
まるで滝行をしているみたいな
豪雨の中を進んでいきましょう。
この時に一番心配していたのは
「カメラ」です。
携帯はもうビニール袋に入れて、
チョッキの奥にしまってありますが、
カメラはそうはいきません。
どんな撮りたい景色や植物などの
生き物が現れるかわかりませんから、
すぐに出せるところに
置いておきたいのです。
結局はビニール袋に入れて、
カッパの下に首からぶら下げて
持ち運びしました。
まあこんな雨の中で
撮影する機会はほとんどないのですがね。
梓川沿いの道も、
アップダウンを繰り返しながら
少しずつ登っていきます。
時折止む雨の中、梓川の向こう側、
すなわち穂高側の景色も
たまに見えてきたりします。
ところどころに大きな岩の塊
なんかも見えて、
おお頑張ってここまで来たぞ
って感じですね。
たまに後ろからT本さんの
姿なんかも雨の様子を見ながら
写したりもします。
T本さんは、たまに一人で
大峰に行ったりと
精力的に山登りを続けていますから、
その姿はなかなか決められています。
涸沢下の急登の下りなんかに備えて、
今回はスキーのストックを2本、
頑張って持ってきてはりましたよ。
続く
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