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全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 雨のち晴れの峠越え 3

2014年11月27日 21時42分44秒 | ウォーキング

石畳道を登って、
峠まで152mの道案内のところに来ると、
もうひとつ道案内があります。
「大峠の地蔵」と書かれてあります。



行ってみましょう。

「大峠」とはここでは鹿ヶ瀬峠のことをいいます。

山の中に熊野古道を見下ろすように建っているのが

「大峠の地蔵」です。



この地蔵、珍しいことに
「痔の地蔵」といわれています。

じ、じ、痔蔵ですか

略せばそういうことです。
身に覚えのある方は是非お参りを。

古い地蔵でしたが、
そこにあった賽銭箱に
ハゲシク興味を魅かれました。

これ。



ブラザーの洗濯機なんて、
いつの時代やねんという感じです。

もしかしたら、この賽銭箱も
値打ちものかもしれません。

その地蔵の少し先にあったのが

「法華壇」です。



ま、いわゆる供養塔です。



何の供養かといいますと、
こんな話があります。

お坊さんがホッケを焼いて食べていると・・・

ではありません。

生涯で6万部の法華経を読むという
修行があるそうなんですが、
その修行をしていた比叡山の僧が、
熊野三山に向かう途中で、
志半ばにして行き倒れたそうです。
それから100年ほど後に
この地を通りかかった僧が
どこからともなく
お経の声が聞こえるので
その声の主を探したところ、
大きな木の下で
苔むした髑髏が赤い舌を動かして
お経を読んでいたそうです。

ちょっと想像すると怖いですね。

それが行き倒れた僧の髑髏であることを知った僧が、
死してなお修行を続けようとする僧を偲んで、
そこに供養塔を建てたとのことです。

法華壇にあった供養塔は、
確かに大きな木の根元で
木に抱かれるように建てられてありました。



本日もっともパワーを感じたスポットでした。

そこを出て、最後に頑張って急斜面を登ると、
やっと海抜354mの大峠に到着です。



紀伊路屈指の難所といわれる
鹿ヶ瀬峠のてっぺんです。

これまでいくつかの峠を越えてきましたが、
ここはあまり普段人が通っている様子もなく
確かに長かったような気がします。

途中で見た道の横の斜面もかなり急で深く、
現在のような道のなかった昔は
さぞや大変だったことでしょう。

なのにこの頂上には
茶屋があったそうです。



いつも思うのですが、
仕入れや通いはどうしていたのでしょうかねえ。

ま、そんな心配はさておき、
ここにはあの熊野ブルーの
案内板が建てられてありました。



通常は王子跡に建てられているのですが、
熊野古道の重要ポイントには、
こんな風に道案内とともに建てられているようです。

広場からはくだりに入っていきます。



しばらく木の階段が続いた後、
500m以上続く
現存する最長の石畳道が始まります。



萩の往還道にもあった石畳によく似ています。

道路の整備、保全という点では
優れているのかもしれませんが、
いかんせんでこぼこで歩きにくい。

萩も終盤でこの石畳道が続くので、
走りにくかったことを思い出しました。
(終盤はほとんど歩きですけど・・・)

油断していると、足をねんざしそうだし、
足の裏は痛いし、その上このあたりでは
やんでいたとはいえ雨に濡れた石はツルツル滑ります。

周りをあまり見る余裕もなく降りて行きました。

ただ、気がついたのは
この道沿いにあった「黒竹」です。



高知県中土佐町と並んで
和歌山の日高がこの竹の
主な産地になっています。

表面が黒いこの竹は、
園芸用にも重宝がられるとともに、
竹細工にもよく使われるそうです。

枯れた枝に葉が固まり、
鳥の巣のように見えるのも特徴のようです。



難儀をして降りてきたのですが、
変に力が入って膝や腰に負担がかかりました。
登ってきた道は急でしたが、
この下る道も急なうえに
その石畳ですから、そういう意味でも
難所であったわけです。

やっとのことで次の小さな峠である
「小峠」に着きました。



ここにはベンチもあるのですが
苔むしており、座ったらお尻が緑色になりそうです。

道標地蔵をチェックしただけでスルーしました。



なおも石畳道が続き、傾斜が落ち着いてきた
熊野古道公園の最上部のところで
ようやく普通の道になります。



ふ~、やっと普通に歩けます。

続く。


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