さて、飛鳥と一口に言ってますが
この太子道の飛鳥は
小墾田宮付近と推定されています。
まあでも推定地だし、
doironが歩く太子道は飛鳥駅からとしましょう。
橿原神宮前駅からさらに
吉野線に乗って二駅目、
飛鳥駅に到着しました。
特急にも乗らず、
準急でやってきたので
3時少し前くらいになりましたねえ。
飲み会は八木駅で待ち合わせなので、
約十キロを二時間半で待ち合わせです。
う~ん、大体あちこちウロウロ見ながら
歩くにはぎりぎりのタイムですねえ。
時計に注意して歩いていくことにしましょう。
聖徳太子も時間を意識したのかなあ。
駅前でナビを入れ、
さあではスタートしていきましょう。
まずは駅前から飛鳥の方に向かって
東進していきます。
駅前すぐの交差点のところには、
高校生が山のようにいます。
学校から見学に来たんでしょうねえ。
午後3時ですから、
もう帰る所なんでしょう。
いっぱい勉強してきたかなあ。
石舞台を見学したり、
首塚で「ええ~、うそ~」とか
言ってきたんやろなあ。
そんな学生をかき分けながら、
doironは進んでいきます。
飛鳥はねえ結構よくいったんですよ。
どこかの旧跡とかに行ったら
位置関係は大抵わかります。
でも駅から歩いていくのは
初めてなので、
地図を見ながら歩いていきましょう。
どんどん観光客が歩いて帰ってくるのと
すれ違います。
おっさん連中なんかはもう
「さあ、これから飲むぞ~」
というような楽しそうな顔ですな。
田舎道を進み、山道へと入ったところで
出たのが、高松塚古墳を含む
公園の駐車場です。
高松塚は誰の古墳なのか
まだはっきりとわかってはいません。
そもそもこの地方の古墳は
被葬者が誰なのか
はっきりよくわからないのが
ほとんどなんだそうです。
今日はこの墓には寄りません。
まっすぐ道を進んでいきましょう。
やがて左前方に大きな古墳が見えてきます。
これは天武・持統天皇陵です。
ここはねえ被葬者が
ほぼ特定されている古墳です。
天武天皇は40代天皇で
聖徳太子は31代の用明天皇の
息子に当たります。
まあ遠いのですが太子とは
親戚関係に当たりますねえ。
ここも横をちょこっと寄りながら
通り過ぎていきましょう。
田舎の道を進みながら歩いていきますと、
ちょっと町の中のような
ところに出てきました。
ああこの辺りは結構見覚えのある
ところですねえ。
この石像の横をはいっていく
小さな道が飛鳥のメインの散歩道ですねえ。
ここは自分のバイクや
レンタルバイク、徒歩なんかで
何回か通りましたねえ。
右に曲がって入っていくと
すぐに現れるのが「亀石」です。
岩が削られてそこに
カメのような顔があります。
目玉が飛び出ているところから
「蛙」のような形という説も
あったりしますが、
全体の形はやはり「亀」の石ですねえ。
なぜ、このようなものがここにあるかは
いろんな説があります。
橘寺の敷地の隅っこを表しているとか
仏教伝来のまえの産土神みたいなもの、
あるいは猿石などのように
古墳に関する石造物などがあります。
そしてもう一つ、
この亀石の向いている方角に意味があって、
ある方向を向くと
この辺りが大水害になる
などというこわい説もあるようです。
謎が謎を産み、
いろんな見方がされる石なんですねえ。
この辺りには想像もつかない用途で
作られたりしているものが結構あります。
酒舟石や二面石、鬼の雪隠
なんかもそうですね。
他に同様物がないということで
その製作意図に様々な憶測が
されていたりします。
そんな亀石を眺めつつ、
もう少しのこの田舎道を進んで行きましょう。
こんな大きな木に囲まれたところにも
祠があったりしますと
聖徳太子もまだ出ないまま
二話が終わりましたとさ。
続く