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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

真田幸村のその後2

2018年08月20日 20時51分38秒 | ウォーキング

玉手橋を渡ったところは
柏原市内です。



マンホールのふたもなんとなく
ブドウ狩り的なデザインですねえ。

石川を越えたところに
水道局があります。



ここからずっと柏原市内の
玉手山公園を目指して
歩いていきましょう。



静かな住宅街ですねえ。



道のずっと先に
伯太彦神社があります。
式台の神社です。
この神社があったのか、



先に川の名前があったのか



よくわかりませんが、
石川は昔は博多川または
伯太川と呼ばれていたそうです。

この川沿いで農業に
従事する人達の神社だったそうです。

そんな伯太彦神社に



向かう道を右折して
登っていくとそこにあるのが、



「柏原市立 玉手山公園」です。

この公園の歴史は古く、
民営の公園としては
全国的にも2番目、
西日本では最初に出来た公園です。



でもそれも平成10年には廃止され、
柏原市が近鉄からの土地の寄付を受けて、
こんな形でオープンさせています。

何となく子どものころから
名前を知っていた公園ですが、
今はこんな風に変遷しているんですねえ。



そしてこの公園が、
実は大坂夏の陣の道明寺の戦いの跡。

後藤又兵衛が豊臣方と戦って
戦死した後ともいわれている。

でも亡くなったのは
又兵衛の影武者で
彼は生き残って
奈良山中まで行き、
又兵衛桜のところに逃げた
という説もありますねえ。

この公園に入っていくと、
事務所がありますが
そこに数人の管理人がいました。

あれは柏原市の職員かなあ。
それともシルバーかなあ。

若そうに見えたけどなあ。

この玉手山公園は
近鉄に土地の寄付を受けていますが、
もっと多くの土地が
「安福寺」から借地しており
年間600万円以上の
借地料を払っているそうです。

歴史的にも重要な土地ではあるんですが、
結構経費の掛かる場所では
ありますねえ。

あ、そうそうここには
小林一茶も訪れて
ここで俳句を二句詠んでいるそうです。

その石碑が後で登場します。

そんなこの公園にまつわる
人々の像が入り口のところに
顔写真パネルで立っていましたよ。



各所に建てられた案内に従って
階段をウンコラショと
上がっていきますと、
そこに小林一茶の句碑がありました。



「雲折々 適に青葉みゆ 玉手山」

そしてもう一区が

「初蝉や 人松陰を したふ句」。

ああ、ちょうど一茶が訪れたのも
doironと同じころで、
初蝉が鳴く頃だったんやねえ。

かれは葛井寺や道明寺を訪れた後
ここに着たそうです。
その横に橿原市の展示館がありました。
昔の郷土玩具や玉手山公園の様々な



案内がありますねえ。





そしてその横には、
なぜか貝類の展示館。

結構ウロウロしましたが、
その間一人の管理人もお客もなく、
いやあこれはこんな山の中ではなく
もっと人が来る場所に
作った方がいいのではないかなあ。

さっきの借地料とか維持管理料を考えたら、
この玉手山公園施設の
費用対効果は超疑問ですねえ。

もうちょっと頭を絞って
維持していった方がいいよなあと、
柏原市民ではないけど思いますねえ。

でもまあdoironは散策を続けます。

こういう夏の陣をしのびつつ、



みんなでツツジを植えたりしています。

地元民の熱い想いもあるんだよ
ということでしょうか。

そしてここには後藤又兵衛の碑ですねえ。



名前の付いた枝垂れ桜なんかが
植えられていますねえ。

横にある吉村竹右衛門の碑は、
又兵衛の家来で又兵衛を葬った人
といわれていますが、
又兵衛には逃亡説もありますから、
その辺はよくわからんところです。

あ、ここには小林一茶の碑も
またありますねえ。
句碑でしょうか。



なんか石がよくわからん
漢字で建てられていました。

いやあ、なんかいろいろと
こんな碑がありますねえ。

公園となって100年近く。
いろんな手が加わっています。

続く