ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

河内を歩いた泉州のおっさん3

2018年08月11日 22時02分22秒 | ウォーキング

「河内木綿」に「河内音頭」それから
「八尾」の語源と、
ここまででだいぶ八尾とは
仲良くなってきました。

地元の農家を潤した綿産業、
念仏踊りが庶民の踊りになった河内音頭。
八尾の人々は地域で懸命に
暮らしてきたようですね。

江戸時代の伽藍の姿の本殿を見ながら、
仁王門を出ていきますと、



こちら側が正面ですね。
その外に「八尾地蔵尊」の
案内の石が立っていますね。



ちょっとした参道を抜けていきますと、
そのあたりからこんな古い
お店の形跡もある



ファミリーロードという商店街が
続いています。



あ、よく見るとここでは
「お逮夜市」というのをやっているようです。

今日の日にちは26日。

わあ、一日ずれてたら
27日のお逮夜市だったのになあ。
その日は賑わうのかなあ。
日にちがずれてて残念でした。

その商店街の突き当りにあるのが



「八尾天満宮」です。
先ほどの常光寺は「八尾僧正」がいた
「八尾の地蔵さん」といわれてましたが、
ここは「八尾の明神さん」といわれています。



いやあなかなかありがたそうな
神社仏閣が続きますねえ。



参道には「大峰さん」と
かかれた石と下駄をはいた、
多分「役行者」でしょう、
その銅像が置かれてありましたねえ。



「講」もあったりするんでしょう。

ここは天穂日命と菅原道真を祭神として
片桐旦元が創設したといわれています。

立派な本殿でお参りして、
さあまた歩き続けましょう。

商店街の制服屋さんは面白かったですねえ。



ウルトラマンが制服着てたり、



タイガーマスクが八尾河内音頭の
Tシャツ来てたりしてましたね~

さすがに河内!
商店のおっさんも陽気に
頑張っている雰囲気でした。

慈願寺を外から眺めながら、



だんだんとにぎやかなところに
出ていきます。

ここが八尾の図書館です。



暑いので凉をとるのと
トイレ借りで入っていくと、
ああここには「今東光」の
資料館があるのですねえ。



のぞいてみましょう。

作品がいろいろと並べられていますが、
残念ながらこの人の著作物は
読んだことがないですねえ。

資料館にある資料で読んでみよう
と思ったのは
「小説 河内風土記」ですかねえ。

また地元の図書館で探してみましょう。

こういう地域の風土記を
残しているというのは、
まだ今も残る遺物が
あったりしていいかもですねえ。

だったらdoironのブログを見て
同じところに行ってみよう
とするのも旦しいかもしれませんよ。

ちょっと多すぎてキリがないかなあ。

その図書館の前にあるのが
「八尾市役所」です。



現役で仕事をしていたころは
ここにはたびたび訪れましたねえ。

ここの記者クラブにもよく行きました。

某新聞社の記者は親切で、
いつもよく投稿した記事を
掲載してくれましたねえ。

あの青いシャツの記者姿が懐かしいです。

そんな八尾市役所も
今はあの頃と全然違う
建物になっていますねえ。

こういう場所も今風過ぎたら
ちょっと物足りない感じがしますねえ。

そんな市役所前の道を北向いていくと
「本町1丁目」の大きな交差点にでます。



この交差点には
「八尾街道」の案内がありました。

奈良街道の側道で、
八尾の重要な施設をめぐり、
再び奈良街道に合流する案内なんかも
書かれていました。

こんな交差点にも河内のおっさん風の
高齢者がたまっていたりしますねえ。

兄ちゃん、なんの写真撮ってんねん
なんて聞かれそうやなあ。

その八尾街道の案内板の横には
道標も建っています。



「左 信貴山 ならいせ道」

と刻まれています。
嘉永5年とありますから
1850年頃の道標です。

そしてこの横にある金融機関の土地は、
八尾地内町を作った河内のおっさん
「森本七郎兵衛」の
旧宅の跡地だったのですねえ。



続く